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09


 それから……。先程買ってきていた色々な食材を、風呂釜に立て掛けた剣へと注いだり、擦り付けたり、刻んだり、おろしたり、砕いたり……。


 その度、バレない様に有る事無い事を吹き込みながら《生贄》とやらを与え続けた。

 この剣ひょっとして馬鹿なのかもしれない。


『いいぞハルオよ……そろそろ我が力も戻ってきたようだ』

「はぁ、そうですか……」

『どうした? 何だか落ち込んでいるようだが、流石に度重なる戦闘で疲弊したか?』


 落ち込むも何も、後でもう一回食材を買いに行くのと、中々カオスな事になってる風呂釜を掃除しなきゃと思えば憂鬱な気分にもなる。

 このまま捨てるのも勿体ないので後で焚いてみよう、野菜スープが出来るかもしれない何て考えていると、刃身がうねうねと動き始める。


『ハルオよ、離れていろ。今から肉体を構築するぞ……!』

「い、今ですか!? もう少しだけ待った方がいいと思いますよ。ね?」


 ……今ここで変態されるのは不味いかもしれないと、僕はやんわりと拒否した。


『あれだけ楽しみにしておったではないか?』

「そ、そりゃ楽しみですけど、今は不味いというか、間が悪いというか……」

『大丈夫だ。現状が苛酷であろうが我と君となら、乗り越えられる……!』

「そういう訳じゃ……」


 結構カッコいいセリフを言っているが、戦闘なんかしてないし、何よりここは自宅の浴室で風呂釜の中であって、おまけに野菜塗れ。


 ……もう少し別の場所で手に汗握る様なそのセリフを聞きたかったと思う。


『離れていろ……取り込んでしまうぞ……!』

「っひぃ!?」


 少々怒気を含む物騒な物言いに驚き、僕がぱっと手を離した途端、風呂釜の縁に斜め掛けになっていた剣が浮き、柄を地の方へ重力に反して逆立った。


「フフッ……フハハハハ! 騙されたな! 全ては芝居だったのだよ!」


 すると唐突に、剣はうねうねとその身を蠢かせながら高らかに笑う。

 今度は手に触れなくても、その声はハッキリと聞こえてきた。


「こうして生贄を集めさせたのも、全ては我が最低限の力を取り戻す為だったのさ! 何も完全復活とはいかぬが……ご苦労だったなハルオよ!」

「なっ……何だって!?」


 ひょっとして僕はとんでもない物を目覚めさせたのかと、背中に冷たい汗が伝う。

 と同時、ろくに生贄も捧げてないのにそれで大丈夫なのかと変に心配にもなった。


「……た、たぶん止めた方がいいと思いますよ!」


 そんな僕の忠告も聞かず、剣はうねうねと形を変えて行く。


「さぁ、この千年にも及ぶ禍根を、今晴らす時が来たのだ……!」


 そして次第に一ヶ所へと集まって行き、空間に浮かぶ球体になると、

 ―――――眩い光が僕の視界を奪っていった。


「…………くっ! な、なんだ!?」

「ふ、ふふふふ…………はははははははは! ようやく取り戻したぞ!」


 甲高い声が高々に響いて行くと、僕は閉じていた目を恐る恐る開ける。

 その時……僕は初めて目の前にいる人物と目が合った。


「…………なっ」


 頭部を覆う様に捻じれた二本の黒大角。

 そして、見る者全てを焦がす様な深紅の眼が僕をギョロリと睨みつけ、死人の様に生気を感じさせぬ白肌と対の如き漆黒の長髪が、しなやかに艶を放つ……。

 

 そんな【幼女】に呆気を取られて立ち尽くしていると、彼女は小さな口を開いた。


「我は地獄第一層から七層の全てを統べる深淵の王……。魔王、ヴァネッサ=サタニック=エルドラゴン・ハオスである! しかとこの姿、刮目して見るがいい!」


 刮目しろと言われても大変困ったもので、僕は急いで目を背けた。

 ……だって、小さな女の子とは言え、野菜の破片に塗れた全裸なんだもん!


「おい。そこの栄養価の低そうな人間よ。ハルオなる暗黒騎士は何処だ」

「いや、何か盛大に勘違いされるようですが、貴女に《生贄》を捧げたのは僕です。僕が晴夫です……なんか、すみませんでした……!」


 彼女を背に両手で自身の顔を覆いながら、僕は声高く返答する。


「何? 貴様のような非力そうな……って、なんじゃこりゃああああああ!?」


 ようやくヴァネッサは自身の置かれた状況に気が付いたようで悲鳴を上げていた。


「なんだこの身体は!? ち、小さいぞ!?」

「と、取り合えずこれを着てください! あと、お風呂を焚きますからっ!」


 自身が全裸で有る事は置いておいて、先ずは自分が野菜塗れである状況をおかしく思わないのだろうかと思いつつ、僕は自身の服を脱ぐと背後へ投げ、そのまま振り返らずに浴室を後にした。


 ◇


 家の外に回り、風呂焚きの炉を燃焼させて僕は竹筒を吹いている。

 中古物件とは言え新居早々風呂を食材塗れにして、一番風呂は魔王と名乗る幼女。


 うん。意味が分からないし、余り考えない事にした。


「えーと……ヴァネッサさん? 湯加減いかがですか?」


 風呂焚きは前線基地のアルバイトでも経験していた為、難なくこなすことが出来る。

 多分、今頃いい湯加減で細々になった野菜達と共に彼女も温まっているだろう。


「……ヴァネッサさん?」

「…………グスン」


 もう一度尋ねてみると、鼻を啜る音だけが壁越しに響いてくる。

 どうやら野菜と共に煮込まれる彼女はまだ落ち込んでいるらしい。

 何だか片付けれる雰囲気でもなかったし、しょうがないと思う。


「げ、元気出しましょうよ……ね?」

「何故我がこのような目に……グスン」


 初見の威勢が良かった頃とはかけ離れ、今にも消えそうな弱々しい声が煮込まれる野菜の良い香りと共に漂って来た。

 因みにヴァネッサには薬草風呂と苦し紛れの言い訳をしている。


「謝りますって……。まさか本当に食材で力を取り戻すとは思ってなかったし……」

「謝って済む問題じゃないもん」


 まぁ……確かに謝って済む問題でも無さそうだった。

 でも、そもそも人を騙そうとした方も悪いんじゃなかろうかとも思う。


「ああ……全ての計画が狂った……。おのれ人間め……」


 ポツリとした独白の後に遅れて、シャクシャクと言う音が聞こえてくる。


「あ、多分まだ煮えてませんよ」


 多分、泣いたらお腹が空いたんだろう、あれは生煮えのダイコンの音だと思う。


「うるさい! 貴様のせいだ! これでは奴に届かぬではないか……!」


 可愛らしい黄色い怒声が反響してくる。それにしても、計画や奴とはいったい……。


「その、計画とか奴を殺しにとか言ってましたけど、どういう事なんです? ていうか本当に何者なんですか? 剣が人型に成れる時点で普通じゃなさそうですけど……」


 考えるのを止めていたが先ずは聞かない事には先に進まないと、僕は口元の竹筒を退けて湯気が漏れる小窓へと尋ねた。


「それは……凡そ千年前の事だ。ああ、今思い出しても忌々しい……!」


 シャクシャク、ボリッという音が強く返って来ると、ヴァネッサは話しを続ける。


「凡そ千年前……。我は魔王として魔族達を統べておった。しかし、ある日の事だ。我が城へ《勇者》と呼ばれる人間が単体で攻め入ってきたのは……!」


 おお、何だかファンタジーっぽい話になって来たぞと、僕は耳を傾けた。


「今でも忘れぬ。奴は我が首を打ち取り、有ろう事か《魔王》と自身の事を名乗り出したのだ。その結果、我は力を失って生命維持の為に長い事石化しておったのだが……。今から百年くらい前であろうか、トンカントンカン我を金槌で打ち付けたり、業火で熱したり、冷水にぶち込んだり……もう散々で余りにも喧しくて覚めた少しの期間に、冥界と現世が重なっている事に気付いたのだよ」


 あー…………何だか少し可哀想になって来たぞこの娘。

 ……しかし、僕がこの異世界に来る際、死後の世界とやらで女神様は《イレギュラー》な存在として魔王の事を言っていたけども、まさかこの事だとは思わなかった。


「その、そんなに《勇者》って言うのは強かったんですか?」


 別に倒しに行くつもりはないけど、何となく気掛かりで尋ねてみる。


「強いなんて者ではない。奴は《転生者》だったのだ。小癪にも敵対する神族が差し出した刺客とも言えよう。生意気にも神族共は《ちーと》と言う無限の力をかの勇者に付与して冥界へと送り込み、我を葬り去ったのだ」


「………………え」


 ……目が点になる。ちーと? 恐らく僕も《転生者》と呼ばれるのだろうが、初めて聞いた。

 確かにゲームの世界じゃそう言ったものも存在するけど、え?


「どうした。何か気がかりでも?」

「い、いえ……別に何でもありませんよ。ははっ……」


 実は僕もそうなんですと名乗り出ると、大変面倒な事になりそうなので口を紡ぐ。


「しっかし……やっと我が声の届く人物を見つけたというのに、なんとひ弱で頼りない事か……あまつさえ我が生贄を野菜にするとは……おかげでこのような未熟な姿に……」


 ぼやく様な声と野菜をかじる音が混じって聞こえてくる。

 詰まる所、あの女神様……神族とやらは自分等で手が付けられなくなった大昔の《転生者》である勇者、現この世界の《魔王》って奴を倒すように、僕や他に死んだ人達を異世界へと送り込んでいるのだろう。


 ……ひょっとして僕以外の人はちゃんと《ちーと》って奴を貰ってこの世界に来てるんだろうか、なんて 漠然としたモヤモヤがどうも拭い去れない。


「おや、ハルオさん。一番風呂ですか」


 そんな事を考えていると、ふと、柔和な笑みを浮かべた壮年が垣根の向こうに立ちながら、僕に声を掛けて来た。


「あ、大家さん。これはこれは……」

「諸々の手続きが終わって、少し様子を伺いに来ました。住み心地はどうです?」

「え、ええ……お綺麗に使用されていたみたいで……」


 とっても不味い状況の最中、敷地内に足を踏み入れてきたのは、この家の持ち主であり、前住人の息子さんであるコンフォードさんだった。


「ここは駆け出し冒険者が集う街でしてね、中々その日暮らしの方も多いので、こうして借主さんがいらっしゃるだけでもありがたい。家もその方が長持ちするってものです」

「は、はは……そうですね」


 本来なら快く家賃も下げてくださった彼に礼を尽くしたい所なのだが……。


「……ん? この香り……? 昼食の下ごしらえですかな?」

「い、いやぁ~……。薬草風呂を沸かしている所でして……」


 僕は目を泳がせながら声を低くして答える。

 勿論、借りたばかりの風呂で幼女と野菜を煮込んでるなんて言える訳が無い。

 恐らく、いやきっとこの状況を見られたら多大な誤解を招くに違いない。


「ほほっ、薬草風呂ですか。にしては随分と風味豊かな香りが……」


 スンスンと、鼻を空に持っていくコンフォードは目を閉じて香りを確かめている。

 頼むから今日だけは早く帰って欲しいと、僕は竹筒を強く吹き、ワザとらしく周囲に煙をまき散らす事に徹した。


「そんなに火を焚き付けては風呂釜が沸騰してしまうのでは?」

「そ、そうですかぁ? あーそろそろ沸いたかな?」

「ハルオさん? どうかなさったかな? 随分と顔色が悪そうですが……」

「酸欠です! 酸欠! すみません、お風呂に入ってゆっくりしますので!」


 僕がそそくさとこの場を後にしようとした…………時だった。


「ああもう! 段々腹立ってきた! 貴様に責任を取ってもらうからな! あと味付けが濃すぎるようだが!? ていうか熱いではないか!」


 ひょいと小窓の冊子を握り、顔を見せたヴァネッサは赤面しながら叫んだ。

 その角にはキャベツっぽい葉野菜を垂らし、口にはダイコンヌを添えて……。


「…………その、お邪魔したようだね。また……」

「待ってください大家さん! 違うんです! お願いだから待って!」


 …………その後。


 幼女でスープの出汁を取る変態と街中で囁かれたのは、もう少し後の話。



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