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08


『ありがとうハルオ……おかげで再び目覚める事が出来た』

「いててて……。もお、こういう地味な傷が一番痛いのに……」


 やっぱり気がかりだった僕は街で一通り買い物をした後、家に戻っていた。

 帰宅しても革紐が解けっぱなしだった辺り、本当に何もできなくなったみたいで、余りにも最期の言葉が可哀想に思えた僕は、刃部をそっと指先でなぞったのだった。


「それで……話ってなんですか?」


 剣の正面に正座して手をかざし、ついつい敬語で話してしまう。

 もし他の人に見られようものなら頭がおかしい人と捉えられる光景だと思う。


『実は折り入って頼みがある』

「頼みですか?」


 シュルシュルと音を立て、その辺の床にぐったりとしていた革紐が、突然生きた様に剣柄へ戻って巻き付くと、何処か深刻そうな抑揚で剣はそう言った。


『うむ……我が身体に生贄を……』

「いやです」


 物騒な単語が聞こえてきた瞬間即答した。


『あの、最後まで話を……』

「ですから僕そういう危ないのとか、殺すとか絶対無理です。他を当ってください」


 この頃には恐怖心とかもう無くなっていたけど、やっぱりかと落胆していた。

 ――――血肉を欲しがる。と、いう話は本当だったようで、すっかり状況に慣れた今は、恐怖よりもこの剣どうやって処理しようとしか頭の中になかった。


『ハルオしか意思の疎通が出来ないのだ……。それに生贄と言っても普通にモンスター等を討伐するだけで良い。これまで通り戦闘を続けるだけで良いのだよ』

「これまで通りも何も……僕、実際に振った事は無いですよ……?」

『謙遜する必要はない。我が身体は負の感情を糧としてその力を増幅させる。覚えているぞ、一週間程前だ。怒り、悲しみ、憎しみ……増大な力が流れ込んできたのを』


 ……確かにあの時、ムカついたり怖がったりしながら剣についた泥を擦り落としていたけれども、何か盛大な勘違いをしてらっしゃらないだろうか……?


『だからこうして白羽の矢を立てたのだ。よほど世に恨みを持つ者と私は見ている。そういう男こそ我が身を振るにふさわしい……。そう、冥府魔導を極める者だと……!』


 ……やっぱり盛大な勘違いをしてらっしゃるようで、剣は感銘した様子。

 それに冥府魔導とか物凄く物騒な単語が出てきて、僕はギョッとした。


「あの……折角のお誘いは嬉しいのですが、生憎僕は白魔術師でして……」

『白魔術だと? 冗談はよせ。祝福を願う白の魔術師が、身を焦がす様な憎悪を放てる訳が無かろう。そうだな、暗黒騎士と見た。さぞ怨嗟の道を歩んできたのだろう?』


 どうやら僕の声は聞こえていても姿形は見えていないらしい。


「いや、白魔術師なんです。本当に……別に人を恨んでなんか無いし、何なら僕の魔法で皆が幸せになって欲しいくらいには思ってますよ……?」

『フハハハハハ! 笑止! 随分と皮肉の効いた冗談だ』


 何だか僕のやってる事を全否定されたような気がしてイラっとした。

 ただのデカくて邪魔なオマケで付いて来た鉄板のくせして好き勝手言いやがって。


 ……焼きそば焼いてやろうかコイツ。


『その隠しきれない程の殺意と憤怒……! やはり我が見込んだ男だ!』

「…………」


 これ以上勘違いされても面倒だと思いそっと手を放して深呼吸。

 そしてもう一度剣へと振れる。


「……それで僕にどうしろと?」

『わっ!? 急に話しかける出ない、ビックリしたではないか……! それに急に居なくなるな! もう戻ってこないかと思ったぞ』


 ……あれ? 何だかこの剣ちゃん可愛い?

 ふと、そんな事を思った途端にいかんいかんと首を振った。

 いくら女性の声がするからと言って相手はただの鉄板見たいなものだし、そもそも幻聴の可能性もあるのにここまで寂しさに飢えてる自分を認めたくはない。


『そうだな。先ずは力を少しでも取り戻す為に、供物を捧げて欲しいのだ』

「いや……だから殺すとかは…………」

『そしてある程度力を取り戻せば肉体を手に入れる事が出来るだろう』


 ん? 今なんて? 

 肉体を? 手に? 入れ? る?


「その話詳しく聞かせてください」

『ほう。早速取り掛かってくれるかハルオよ。我が力が完全に覚醒すれば世界を手に入れる事だって不可能ではない……。君こそ冥府と現世を跨ぐ覇王となるのだよ』


「いや、その話じゃなくて」

『……は?』


「肉体を手に入れるとかどうとか……!」

『ああ、その事か。知っていると思うが、我は本来冥界に生息する生命体であり、人はダークチタニウムという特別な鉱石と呼んでいるらしいな。この世界に具現化した際、生命維持のためにずっと眠っていたのだよ。今はこの様な形に加工されているようだが、即ち全身が意志を持った金属と言う訳だ。なので、少しでも力を取り戻せば、今は少し倒れる程度や革紐を伸ばせる程度でも、自由自在に形を変える事ができるのだよ』


 なるほど。だが、まだ一つだけ気がかりが有る僕は剣へと尋ねる事にした。


「…………女の子なんですか?」

『は?』


 …………この際もう人じゃなくてもいい、そんな気がするんです。

 なんてったってここは異世界だし……。


『せ、性に固執するとは君もまだ人よの……。我に性別という概念は……』

「そうですか、一人で頑張ってください」

『そっ! それこそ冥界では皆が絶賛する美女と名高かったような!』

「……やります」


 細川晴夫。18歳。

 異世界生活二年目にて、ようやく確かな春の訪れを確信した気になりました。


『ふふふ……いきなり色欲とは、少し驚いたが流石我の見込んだ男だ。では早速生贄を捧げてくれ。ほんのニ、三体の大型魔物を切り殺せばすぐだ。血を注いでくれ』

「ニ、三体て……。簡単にいうなぁ……」


 勢いで承諾してしまったはいいが、僕のレベルは1だし、何より剣とか無縁の白魔術師だ。

 やはりチマチマやるしかないのだろうか。


『微かながら怠惰を感じるぞ。ひょっとしてめんどくさくなって……?』

「いやいや、そんな訳ないじゃないですか! 少し待っててください!」


 急いで剣から手を放す。

 一々細かいマイナス的感情に反応されていては気が滅入りそうだったし、それこそメンタルを削る呪いの剣だとも思う。


 ……しかし困った。

 この剣を担いでその辺のモンスターを狩りに行くにも他の冒険者に見つかる可能性があるし、かといって全身鎧を着て出かけてしまえば、僕を見つけた途端に冒険者が押し寄せてくるだろう。


 何よりまた変な噂が立ってしまうかもしれない。

 というより……この世界に来てから一年半以上が経っても、モンスターの一匹狩った事が無い僕にとっていきなり大型モンスターのニ、三体とか無理が有る。


「……そういえば魔術に使用する素材でモンスターの血とか売ってたような……」


 僕が頭を悩ませていると、部屋のカウンター上に置かれた牛乳がふと目に入った。


「……そうか、これだ!」


 目が見えていないし触れて無ければ話すらできないのだから、馬鹿正直に危ない思いをしながらモンスターなんて狩る必要が無いだろう。


 前に農家のじいさんが、牛の乳は血で出来ているという豆知識を僕に教えてくれたことが有って、そこから中学になるまで牛乳が飲めなかった事を僕は思いだした。


「お待たせしました」

『ん。準備が整ったか? では行こうか』


 僕は剣を片手に風呂場へと持っていき、風呂釜の中で斜めに傾けた。

 中古物件とは言え床に牛乳をぶちまけるなんて以ての外だ。


『……? なぜ置いた?』

「まぁまぁ。今、生贄を捧げますから」


 予め持ってきていた銅製の容器を手に取り、水差しのような形を傾けて牛乳を注ぐ。

 すると、じんわり剣先へと、新鮮な牛乳はみるみる伝っていく。


『お、おお……これは……!』

「どうです? ちゃんと力的なのみなぎってます?」


 柄を片手に握ったまま、剣の身幅がヒタヒタになるように注ぎ続けた。

 臭くなりそうだし後で水で流しておかなきゃ。カビ生えてきても嫌だし。


『う、うむ。確かに力が戻ってくるのだが…………何か乳臭くないか?』


 ギクッ。と、思わず握り込んでいた握力が強まる。


「きっとメスだったんでしょう! 小さい子モンスターもいたみたいですし……」

『ほう。それにしては感情の起伏が少ない恐ろしい奴だ。魔物とは言え子の前で母を無慈悲に惨殺するとは、やはり我が見込んだ男だな。ふふふ……』


 剣を風呂釜に突っ込んで牛乳を注いでるだけです。


 ……とか言えるような雰囲気じゃなくなってきた。


『多少は形を変える事が出来るようになったが……まだ足りぬな』


 牛乳を注ぎ終えると、剣身が粘土の様にうねうねと蠢き出した。不気味である。

 何より……本当の事を告げたら伸びてきそうだし、まためんどくさい事になりそう。


『さぁ。次の生贄を用意してくれ』

「わかりました……。少し待っててください」


 剣を風呂釜に傾けたまま浴室を後にし、僕は居間で頭を抱えた。


「なんか急に怖くなってきた……」


 まさかこんなに早く金属の形が変わるとは思わなかったし、しかも試しに与えた牛乳でって……これはいよいよ本格的に魔道具店でモンスターの血素材を購入する必要が有るかもしれない。

 ふと、先程までカウンター上の牛乳を置いていた隣にトマトが見えた。


「そういえば吸血鬼とかは血の変わりにトマトジュースを吞んでたような……」


 ……ひょっとしてこれなら行けるかもしれない。

 と。謎の確信を得た僕はトマトを片手に風呂場へ足を運んだ。


「お待たせしました」

『早いな。流石だ』

「……どうでしょうか?」


 剣柄を握って少し起こすと、僕はトマトを磨り潰す様に練り込んだ。

 流石に何か言われた時は素直に血を買って来ようと、そう思った時だった。


『……良いぞ。力が戻ってくるようだ』


 なるべく無感情に新鮮なトマトを、洗濯板を使う様に擦り続ける。


 ……………ひょっとして何でもいいのか……?


『しかし、妙に瑞々しいというか、酸味が有ると言うか……。それに、何故さっきから我が身に擦り付ける様にしているのだ? というより我を直接振るった方が……』


 しまった……僕の手が触れていればその感覚を察知できるようだ。


「ち、血が滴る新鮮な肉の方がよいかなーって、それと手に馴染む武器の方がいいですし」

『フハハハハ! なんと狂気じみた奴だ! やはり冥府魔導に相応しい!』


 ごめんなさい。それ、ただのトマトなんです……ごめんなさい!


『まだだ、まだ足りぬ……次の贄を頼んだぞ』

「あ、はい……」



 …………次は赤ワインで試してみよう。


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