《サラブレッドを撃墜せよ2》
おれが乗っていた初代RX7の説明をしよう。
現代の車が普通にできることが、当時の国産車ではできない事が多かった。
フレーム強度が低いうえに、サスペンションの路面追従性が悪かったからだ。
フロントのマクファーソンストラットは、大目に見ればなんとかなる。
だが、リアのセミトレーリングアームは、現代の常識で見るとスポーツカーには使わないサスペンションだ。
路面の凹凸を追う事も出来ないし、コーナリング中はタイヤの接地面が偏ってしまうのだ。
直線ではグリップしていたタイヤが、曲がり始めると急にグリップを失ってしまい簡単にスピンしてしまう。
当時はこういった車が多くあり、テールハッピーと揶揄されたものだ。
カミソリのようなコーナリングは、スピンアウトと表裏一体のものだった。
おれはそんなRX7のタイヤを、前後異なるサイズ、異なる銘柄を組んでいた。
フロントはブリヂストン ポテンザRE71 60扁平。
リアはブリヂストン レグノGR04 65扁平。
前輪と後輪のグリップ力は、およそ10対7。
タイヤの直径はレグノの方が20mm大きい。
つまり10mmのヒップアップになっていた。
ただでさえ滑りやすいリアタイヤのグリップを下げて、重心も前寄りにしている。
また、サスペンションはカヤバの8段階調整可能なダンパーが入っていた。
フロントを7。
リアを4。
ノーマルでもピーキーな操縦性を、さらに超ピーキーに変えていた。
ハンドルは重心移動に使うだけ。
車体の向き変えはアクセルでやる。
これが後輪駆動の醍醐味じゃないか。
当時のマツダはポルシェをベンチマークとしていた。
プアマンズポルシェと呼ばれていたが、大切なのは中身だ。
ポルシェ等のスポーツカーは、お尻の皮膚感覚で路面状況が把握できる。
アスファルトの粒の一つ一つの大きさが、お尻でわかる。
タイヤ一本一本のグリップが、お尻でわかる。
あとどれだけアクセルを踏めるか?
あとどれだけハンドルを切れるか?
あとどれだけブレーキを踏めるか?
あとどれだけ小さく曲がれるか?
浮砂を踏んだ。
落ち葉を踏んだ。
ヒビ割れを踏んだ。
ネズミの尻尾を踏んだ。
メスのカブトムシを踏んだ。
それらのインフォメーションがお尻の皮膚感覚でわかる。
それを、当時のマツダは国産メーカーで唯一出来ていた。
素晴らしい事だ。
それともう一つ、シフトワークが速かった。
丁寧に慣らしたトランスミッションは、どの回転数でも手首のスナップだけで入れられる。
当時のRX7は、国産最速のシフトチェンジが可能だった。
おれのシフトチェンジの速さに驚いたプロ達が、おれをゴッドハンドと呼ぶ所以になったほどだ。
話をバトルに戻そう。
発進加速ではヒケをとらないRX7も、時速180キロで作動するスピードリミッターにはどうしようもない。
先行車両との車間は開いていく。
328GTBとM635CSiの車間が一度は開いたものの、次第に縮まっていく。
高速での伸びはM635CSiに軍配が上がったようだ。
おれのRX7は差が開く一方だ。
328GTBは綺麗に減速をして左のタイトコーナーに切れ込んでいく。
車の性能を使いこなせるドライバーのようだ。
早いところM635CSiを片付けないと、追い付くこともままならない。
M635CSiは少し雑な減速をして、コーナーをできるだけ大きく、できるだけ速く回れるようなライン取りで進入していく。
サーキットのお手本のような走り方だ。
なんだ、欠点だらけじゃないか!
峠の走り方を知らないようだ。
最初の左コーナーを立ち上がる時には、おれのRX7のノーズはM635CSiのテールにぴったりと貼り付いた。
コーナリング速度はおれの方が速い事を教えてあげないといけない。
軽くバンパープッシュする。
慌てるM635CSi。
だが、直線加速はRX7を上回る。
RX7を引き離すM635CSi。
二つ目のコーナーの立ち上がりでは、おれとの車間は開いていた。
バンパープッシュされるのが嫌で頑張ったらしい。
やればできる子のようだ。
328GTBは気軽に先行しているようだ。
ここから約1キロ先までは、緩やかに曲がる登り坂だ。
排気量の大きいエンジンであれば、直線と変わらない速度で走ることができる。
排気量の小さいRX7には分が悪い。
おれは180キロのリミッターに悩まされながら、直線に耐えていた。
次のコーナーは右のヘアピンから左のタイトに続く複合コーナーだ。
コーナリング速度で上回り、超ピーキーな運動性能を持つ、おれのRX7の得意分野だ。
M635CSiとの車間は、およそ30m。
常識的に考えると、ぞっとするほどの距離を離されている。
328GTBは、もう影も形も見えない。
本来ならば、もう負けが確定している状況だ。
とりあえず、アクセルをベタ踏みする。
それ以外にやる事がない。
ヘアピンの少し手前に、ほんのちょっとだけ右に曲がるコーナーがある。
大したコーナーではないけれど、ヘアピンを意識しすぎると、無駄に減速をしてしまう場所だった。
おれの計算通りならば、さっきのバンパープッシュはここで効き目が出るはずだ。
不用意に減速するM635CSi。
狙い通りだ。
車間を20mまで詰められた。
大回りにヘアピンに入るM635CSi。
いい速度で進入している。
綺麗なラインを描くじゃないか。
おれはオーバースピードでヘアピンに進入する。
ハンドルを、ほんの一瞬左に向ける。
半テンポ遅れて重心が右に移動する。
その重心を追うように、右にハンドルを切り、アクセルを踏む。
フロントは重心移動と一緒にインに切れ込みながら、リアはアウトに振り出される。
ヘアピンコーナーの入り口で、おれのRX7のノーズは出口に向いている。
後は遠心力を利用してコーナーを曲がる。
慣性ドリフト!
究極のコーナリングと呼ばれる慣性ドリフトは、グリップ走行の遥か上をゆく速度で曲がれるんだ。
ヘアピンの出口で、おれのRX7はM635CSiを射程に収める。
コーナーの外側に振り出したテールを、今度は反対側に振らなければならない。
一瞬、アクセルを抜く。
振り出されたテールは、トラクションが抜けた事で戻ろうとする。
と同時に、ハンドルを左に少しだけ切る。
重心が左に残っているうちにアクセルを踏む。
グリップする間を与えられないリアタイヤは、右に無理矢理振り出される。
結果として、フロントは強制的に左を向く。
これが慣性ドリフトの切り返しだ。
2つ目の左コーナーの脱出速度を上げるようなラインを描いていたM635CSiは、インがガラ空きだった。
まさか、おれに追いつかれるとは思ってもみなかっただろう。
タイヤが車線を跨ぐことなく、おれは慣性ドリフトが使える。
RX7の小ささが効いている。
M635CSiのインに、おれのRX7がノーズを突っ込む。
コーナーのアペックスから全開加速に入るRX7。
向き変えが速いから、早いタイミングで立ち上がり加速が出来るのも、慣性ドリフトならではの特権だ。
出口で2台が並ぶ。
BMWの誇る名機、M88型エンジンが吠える。
なんと官能的な排気音だろう。
対するはマツダの野心作、12Aロータリーターボが甲高い金属音を上げる。
まるで狂気の叫び声のようだ。
2台の全開加速の轟音が、夜の霧降高原に響いている。