精神世界クライシス
「うっ……」
沢村あみと申します。
社畜歴二年……鬱病を発症。
会社で倒れて会社で目覚め、そのまま働かされそうになったので、そのまま退職を伝えて現在に至ります。
受理は恐らくされていないでしょう……スマホがずーっと震えていたので電源を切ったのが五分前。
頭が働きません。
私、どうしたらいいんでしょう?
このままだと壊れる気がするんです。
いや、さっきから涙が止まらないし、自分が今どこを歩いてるのかもよく分からないし、どこに逃げたら良いのか……そうです、逃げなければ……。
逃げなきゃ、壊れる。
死んじゃう……。
でも、どこへ?
私が壊れて、死んで……誰か悲しむのでしょうか?
親とは仲も悪いし、友達とは一年以上連絡とってないし、私がいなくなったら同僚はどうなってしまうんでしょう?
みんな家に帰れず、涙を流しながら仕事してるのに……私だけ、逃げ……。
「はあ……はぁ……はあ……」
呼吸が上手く出来ない。
ああ、過呼吸です。
会社で倒れた原因です。
とにかく苦しくて苦しくて、私はこのまま死ぬんじゃないかと思ったやつです。
また、あの苦しみが押し寄せて……!
「はあ、はぁ、はぁっ、はぁ……!」
あ、いや……嫌だ……あの苦しいのは嫌……誰か……!
「大丈夫ですか!」
「……!」
「顔色が真っ青です! それに……」
突然背中に大きな手が添えられました。
見上げると青い瞳、黒い髪の——
イ、イケメン……!
超イケメン!
しかも顔近!
……驚きのあまり呼吸が止まりました。
「あ、あの、えっと……」
「知り合いの病院が近くにあります。少し休まれた方がいいであります!」
…………あります?
「歩けますか?」
「…………、……は、はい」
人に……優しい言葉をかけられたのが久しぶりすぎて……また涙が溢れてきてしまいました。
まるで王子様のように優しく笑いかけ、背に手を当ててエスコートしてくれる……この超イケメンは一体……?
もしかして、私の運命の王子様——⁉︎
「重度の鬱病です。とはいえ鬱病にも種類があるので、大変でしょうがこちらのアンケートを記入してください。それによって薬を決めます。保険証は?」
「……あ……え、えーと……こ、これ……で?」
「はい、確かに。ん? あなた隣町から来たんですか? え? 歩いて?」
「……隣町……」
会社の住所を見て、若い女医さんが意外そうな声を出す。
私も意外だった。
イケメンに連れてこられたのは本当に病院……それも心療内科なんだもの。
私と同い年くらいの超美人がカルテに色々書き込みながら、私にヒアリングをしてくれた結果やはり病名は鬱。
そんな気はしてたけど……。
「そりゃ倒れかけますよ。アンケートは後でもいいですから、先にベッドで少し休んではいかがです? 新、ココアかなんか淹れてき……あ、やっぱいいです。お前に飲食物を触らせるとダークマターになります。手前のコンビニで買ってきてください」
「の、飲み物くらい淹れられるであります!」
「え、あの、そんな私は……」
「さっき過呼吸になりかけたのでしょう? 飲み物は過呼吸を落ち着かせる方法の一つなんですよ」
あ、そ、そっちが本命……。
それなら自分でお金を、と思ったけど女医さんには「まず休む。寝てください」と睨まれてしまう。
あ、あうう、こ、怖い……。
「新、病室に案内してあげてください。沢村さん、荷物を持って病室で少し眠ってください。アンケートは後でも構いませんから。それと、一応親御さんにもご連絡を。気分が悪くなるようなら新に言ってください。こいつ、一応これでも最低限の応急処置はできますから」
「なんでも言って欲しいであります!」
「……あ、ありがとうございます……」
あ、新さん。
高身長、超イケメン……明るくて優しい。
カッコいい、と思う。うん。
不思議、そういう風な感情さえうまく働かなかったのに……。
そ、それにベッドか……もしかして病室で新さんに……ああ、そんなエッチな……ひゃあ〜。
……気持ちは動かないのにイケメンを前にすると性欲は枠から不思議よね。
こういう方面の感情は動くのか……変な感じ。
ん、そうか……私がさっき新さんに声をかけられて、ほいほいついてきた理由ってそのままホテルへ……ってのを期待してたからか。
いや、でも病室で襲われる可能性はゼロじゃないし期待しておこう。
こんなイケメンにエッチな事をされてしまうのならそれはむしろご褒美……。
「七海さんも少し休まれてはいかがですか?」
「この後予約の患者が来るんですよ。つーか貴方仕事は?」
「明日はお休みであります! 今日も仕事は午前中で終わりましたので……家に帰ってやっておいて欲しい事はありますか?」
「えーと、それじゃあお風呂のお掃除をお願いします。天井までですよ?」
「了解であります!」
…………ん?
「あと、買い物もお願いします。貴方がお休みなら、二人分作らないといけません。んー……何か食べたいものはありますか?」
「ハンバーグが食べたいであります!」
「じゃあ玉ねぎと牛と豚の合挽き肉を三百グラム……いえ、四百グラムぐらい。それから卵と牛乳もなかったから買ってきてください」
「了解であります!」
ん、んん?
「あ、あの、お二人は……もしかして、お付き合いされて……?」
「ハイ!」
キッラァ!
と、今の私には眩しすぎる満面の笑顔。
…………なぁんだ、彼女持ちかぁ……。
しかもこの若くてスタイル抜群の美人女医。
「……貴方の知名度もまだまだですね」
「そうでありますな。頑張りがいがあるであります!」
「あっそう。では、このあと予約の患者が来るので……」
「はいであります! では、沢村さん、こちらです!」
「は、はい……」
「声量抑えなさい。うるさいですよ」
「あ、すみません」
予約制なんですね。
そこに割り込んで診てもらったのだとしたら申し訳ない。
私なんかが割り込んでお仕事の邪魔してすみません。
またどんどん気持ちが落ち込んでくる。
新さんに二つ隣の部屋に案内されると、そこはシンプルなベッドが一つ。
「今飲み物を買ってきます。荷物はそこのカゴに入れて……」
「あ、荷物……!」
診察室に忘れてきちゃった……!
「ちょっと取りに行ってきます」
「じゃあ、自分は飲み物を買ってきますので、部屋は自由に使ってください」
「あ、ありがとうございます」
なにからなにまですみません。
申し訳なくてペコペコ頭を下げると、少し困った顔をされてしまいました。
あ、謝り方が足りなかったのでしょうか。
「荷物……」
新さんはコンビニ。
わたしは再度診察室のドアをノックする。
あれ、おかしいな?
人の気配がしません……。
「失礼します……」
新しい患者さんが来るなら荷物はどけないとダメですよね。
と、恐る恐る扉を開くと——。
「?」
診察室のベッドに人が寝ています!
いつの間に……あ、さっき予約患者が来るって言ってたっけ……。
早く荷物を持って行きましょう
そう思って、診察室の机の横にあるカゴ……その中の自分の荷物を確認します。
やっぱり忘れてしまっていたんだ、邪魔だったでしょうに。
おや? けど、女医さんはどこへ?
「え!」
診察室に一歩入った途端、床が光る。
光る文字!?
プロジェクションマッピング!?
なんでこんなところに!?
これは、これはなん…………っ!?
「……………………ほんっとに、なに……これ……」
目を開けると薄暗い階段のど真ん中にいました。
とても幅の広い階段……螺旋階段ですね。
「…………」
いや、私……余裕だな。
まだ取り繕う余裕があるとか……。
「……っ」
暗い、暗い縦長のトンネル。
螺旋階段は闇の底まで続いている。
奈落の底ってこんな感じなんだろうか?
こ、怖い。
まるで自分の心の中にいるみたい……。
ここは一体……。
「……の、ぼろう」
そうだ、下を見ていたら怖くなる。
螺旋階段の上を見上げて、へっぴり腰のまま這うように登り始めた。
こわい、こわい、こわい。
飲み込まれるみたい……嫌だ、こわい。
「はぁ、はあ……はぁっ……」
しかしあっという間に疲れた。
仕事で寝てないから、とても疲れやすいのだ。
「はあ……」
自分の息遣いがやけに大きく聞こえる。
登るごとに息が詰まるようだった。
体が……引き摺り下ろされるように……重い……。
「うっ」
体も、胸の奥も、重い。
重くて重くて苦しすぎて……気が付けば螺旋階段の真ん中に、倒れ込むように沈んでいた。
……さすがに異常すぎる。
涙が勝手に溢れてきて、息苦しさで喉が引き攣った。
指先まで酸素が運ばれてないかのように震え始め、胸を押さえてその場で意味も分からず泣き出してしまう。
苦しい。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
悲しい。
悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい!
ごめんなさい、ごめんなさい……生きていてごめんなさい、息をしていて、音を聞いて、喋ってごめんなさい……私が生きててすみません……!
「ァッ、ぐ……だ、誰か……助け……」
苦し、い、くるし……。
「ハ、ハァ……ハァ……はぅっ……はぁ」
螺旋階段の……壁とは逆の……穴の、底。
苦しい。
そこから、落ちたら……この、苦しみから……逃れられる?
涙が溢れて、階段の床にシミを作った。
楽に——楽になりたい。
私が死んでも誰も……そうよ、こんなに苦しい場所に……申し訳ない気持ちで、生きていくぐらいなら……。
「あら、来ちゃったんです?」
……人の声?
壁とは反対の、底へと続く空間から飛び降りてしまいたい。
そんな風に思っていたところへ、女の人の声がした。
見上げると白いドレスの……女医さん?
「まあ、貴女の事も治療するつもりでしたから手間が省けたというか……でもここ、別な患者さんの心界ですよ?」
「……し、んかい?」
「まあ、簡単に言うと心の中……心の病んだ部分を具現化した場所の事ですかね。貴女の心界も多分こんな感じだと思いますよ」
「…………」
私の、心も……こんな感じ……?
こんな暗くて寒くて、重苦しい?
ああ、そうなんだろうな。
ここが苦しいのは、私の心の中のようだから……。
「っ……」
じゃあ、今私が感じているこの苦しさはこの人の?
『ナターシャー、そろそろ先に進もうよ〜』
「そうですね。沢村さん、貴女はここで待っていてください。危ないので」
「あ……あぶな、い?」
胸を押さえたまま見上げる。
神々しいほどに美しい。
飴色の長い髪、淡い緑色の瞳。
可憐な花のような白いドレス。
だがそんな姿とはかけ離れたもの取り出す。
どこに持っていたのか……。
「……⁉︎」
人一人の大きさはある、巨大な戦斧。
それを片手で軽々持ち上げ、肩に担ぐ。
表情は始終笑み。
それも、なかなかに邪悪な。
「っな……」
「行きますよ、ディオネ」
『はぁ〜い!』
はっ、とした。
振り向くと、私の後ろには水泡を弾けさせるヘドロの塊のようなものがいたのだ。
私の足を掴み、段々と登ってくる……。
「ひっ!」
『「紫電の一撃!」』
『GYAAAAAA⁉︎』
逃げなければ。
でも、苦しくて動けない!
目を閉じて頭を覆う。
そんな私の頭の上から、女医さんの声がしたあと化け物の悲鳴が響いた。
恐る恐る目を開ける。
ブクブクと蒸発していく……化け物の姿。
「な……!」
「さあ、どんどん狩りますよ〜! たっぷり狩って謝礼がっぽり!」
「⁉︎」
『がっぽり〜!』
どんどん狩る?
じゃああの化け物はまだいるの?
怯えていると私を軽やかに飛び越えた女医さんは、すたすたと階段を下っていく。
「……………………」
それこそが、この病院……『星科心療内科』の『治療』であると、後から聞かされるのだった。
あの女医さん……星科七海先生はあの不思議な力で患者の心の病を具現化した世界に入り、主に現代社会人が悩まされている鬱病を具現化した化け物を退治していく。
そうすると患者の心は晴れていき、治療は完了。
保険適応外なので高額にはなるが、直に病の元を退治するので効果はてきめん。
実際目にしてしまったので、信じるしかない。
「普段は催眠療法と言ってるんですけどね。で、沢村さんはこの治療を受けますか?」
「は、はい! ……お給料は……ほとんど使い道がなかったので……」
「分かりました。まあ、沢村さんの場合はかなり重度の鬱病なので二回か三回の狩りは必要になるでしょうね。あまり一気に狩りすぎても心が追い付かないでしょうし」
「は、はい……」
それはそんな気がするわ……。
「一回八万円になりまーす」
「は、はい」
あれ?
意外と安い?
これは私が健康を取り戻すまでの物語!