1-6 入場審査
ダンジョンで遭遇するモンスターとの戦闘訓練の場となっている第一深総学園の実習棟。
実技教官室のデスクに腰掛けた一人の男性教官が据え置きのパソコンに向かいキーボードを叩いていた。
机上に置かれた書類を確認しながら長い間作業を続けていた男は作業が一段落したのか、手を下ろすと息を漏らしながら首を回しバキバキと凝り固まった関節を鳴らしていく。
そんな教官の机に脇からそっとコーヒーの注がれたマグカップが置かれ、それを用意してくれた中年頃の学院教員に男の疲労が覗く厳めしい顔つきが向けられた。
「これはどうも国村先生」
「いえいえ、お気になさらないで下さい、枡岡教官はブラックがお好みでしたよね?」
「ええ、ありがとうございます」
髪を短く刈り上げたその男性教官は目つきこそ鋭かったが、コーヒーを受け取る仕草は丁寧で礼儀正しい。
彼、枡岡剛士はこの学院で実技指導を行っている元自衛官で、鍛えこまれた体つきも相まって一見近寄りがたい雰囲気を纏い一部の生徒からは畏怖すらされているがその実、実直な性格をしていて同僚とも良好な関係を築いている。
そんな彼がこの日、午後の授業を終えてからなにやら難しい顔をして事務仕事を片付けていたのを見ていた同僚の国村はつい気になったことを尋ねてしまう。
「随分と難しい顔をされていましたね、午後に担当されていたのは入場審査でしたか、そちらで何かあったんですか?」
「まあ今回は合格者がそれなりに居ましたから、方々に手続きやらのメールを飛ばさなきゃならんのが面倒だってのはありますね。
後は気になる生徒が居たことぐらいですか」
「ほう、気になる生徒ですか」
枡岡の言葉が珍しそうに反応すると教師、国村はふと何かを思い出したように手を打った。
「そういえば二年に今日から転校生が来てるそうですね、珍しいことに第三校から。
もしかしてそちらの生徒さんでしたか?」
「ああ確かそうですね、名前は香乃というらしいですが」
「学内でも随分な噂になっているそうですね、それにしても転校初日から入場審査とは……もしかして彼女、探索員としての資質に問題でもあったんですか?」
その転校生の容姿から審査における成績が優れなかったのではないかと予測する国村だったが、枡岡は眉根を寄せ苦慮しているような顔を見せながらそれを否定する。
「問題、とも言えるかもしれませんね、まあなんというか……資質ならあるでしょう、それこそ異常なぐらいに」
危惧と真逆の答えを告げられ、ポカンと呆ける国村に無理もないと枡形は苦笑いを浮かべてしまう。
彼自身、未だに白昼夢のように感じられるほど午後の審査で見たものは信じがたいものだった。
◆
国内において探索員には等級が設けられ、上位よりA、B、C、Dの四種で区別されている。
探索員資格を取得したばかり、つまり学院に入学したばかりの者は最下級のD等級となるのだが、彼らは自由にダンジョンへ出入りすることを許されていない。
ろくに実技訓練も積んでいない者を危険地帯へ送り込むわけにはいかないという配慮で、審査に合格して初めてダンジョンへの入場許可が為される。
しかしこの日、審査を担当することになった枡岡からしてみればその審査基準はどうにも納得できない代物だった。
最低限モンスターを仕留め得る攻撃が出来るかの判定。
合格点には対峙するモンスターが最下級のゴブリンを想定したものが設定され、それを満たしてさえしまえばダンジョンへ足を踏み入れることが可能となってしまう。
同じダンジョンには主たる活動域が異なるとはいえ、ゴブリンよりも圧倒的に強靭なモンスターであるオーガやコボルトが徘徊するというのにだ。
あまり条件を厳しくしすぎては探索員になれるものが僅かに限られてしまう、との意見があったせいであるらしいが、そんなものは枡岡からすれば反吐が出るような話である。
命の危険がある場所へ送り出そうというのに万全を期さずしてどうするのかと。
彼は齢三十を過ぎ、もうまともにダンジョンへ潜ることは叶わない、まだ年若い者達が無駄に命を散らすような真似をするべきでないとの思いから、せめて探索員となる若者達の力になれればと自衛官を辞してまでこの学院にやってきたのだったが。
希少資源に目が眩んだ上の人間の意図が透けて見えるような審査の緩い条件が枡岡には気に食わなかった。
「――次、用意しろ」
「は、はいっ」
入場審査に使用される実習棟の一室、審査を受けに来ているのは前年度末に転入してきた二年生徒が多く、今年の一年達は入学からまだ一月と経たない現状は実技の単位が足らず受けることができない。
枡岡に対して少し萎縮してしまいながらも呼ばれた男子がトランクケースから取り出した長剣を構え、用意されたゴブリンを模する木偶人形の前に立つ。
木偶とはいえそれなりに硬く、断ち切ることは容易ではないゴブリンの肉体はしっかりと再現されている。
深呼吸の後に、踏み込みながら持ち上げられた剣が気勢と共に振り下ろされた。
白刃がゴブリン人形の首へ食い込み――少年は両断するつもりで剣を振ったのだったが七分ほど食い込んだところで止まってしまう。
動かない的を相手にしてそれは枡岡からすれば十分とは言えない成果だが、ゴブリンは首の半分も切断すれば絶命することが確認されており、審査基準からするなら合格の範囲内だった。
「……合格だ」
「――ありがとうございます!」
破顔して下がっていく男子生徒の背中を見送りながら枡岡はこんないい加減な審査で本当にいいものなのだろうかと内心でため息を漏らしていた。
とはいえ彼の一存で審査基準を無視するわけにもいかず、次の生徒を呼び出していく。
「次で最後か――用意を」
「はい」
前に出た最後の生徒の姿に先に審査を終えた生徒達から俄かに視線が集まる。
枡岡もその生徒の存在には生徒達の集合時から気を引かれてはいたが、極力そんな素振りを見せないように努めていた。
香乃唯、第三校からの転校生だという、それだけでも珍しいが彼女は色々な意味で目立つ容姿をしている。
だからというわけでは無いが、唯という少女を時折密かに観察していた枡岡は線の細い彼女がこの審査をまともにこなせるか不安視していた。
しかし在学中の探索員は所属する養成校が監督することになっている以上、第一校生徒となった彼女はこちらでの入場審査を通らなければダンジョンへと入れない。
第三校で受けていたとされる実技の単位はこちらでも反映されているが、枡岡には目の前の少女がダンジョン探索などという荒事に向いているとは到底思えなかった。
そんな心配をよそに当の唯は担いでいたトランクケースを下ろすと緊張しているのか、微かな間を挟みながらも封を開く。
大型仕様のケースから槍や薙刀などの長柄武器を持ち出すものとばかり皆思っていたのだったが。
「……は?」
その声を漏らしたのはいずれかの生徒か、それとも枡岡だったのか、誰であったとしても唯を除くその場の全員が感想を共通していたのは間違いない。
刃幅は唯の肩幅よりも広く、湾曲した刃は大の大人の二の腕より長い。
ずるりと引き出されたのはその刃だけで担い手である唯の上半身を覆い隠してしまいそうなほど巨大な斧――大鉞。
そんなイメージにそぐわない凶暴な得物を持ち出すなどとは誰も予想できなかった。
外装だけ整えたハリボテの可能性を疑う枡岡だったが、鈍く光る刃の輝きがその疑念をくじけさせる。
軽量素材による代物とも思えない、もし見た目そのままの金属製だとするなら一体どれほどの重量になるというのか。
だというのに、長い柄を片手で握った唯は木偶人形の前に立つとそんな代物を容易く水平に持ち上げ、腕を体へ巻き付けるように引き構える。
「――っ」
小さな呼気に合わせ振るわれた刃が霞み、空間が薙ぎ払われた。
あまりにも速すぎたその軌跡を目で追えた人間は居らず、大鉞が振り抜かれたと知覚する頃には木偶人形の首から上が消失していた。
何が起こったのかと皆が気づけたのは、伐り飛ばされ宙を舞っていた人形の首が音を立てて床へ転がった数秒後の事だった。
地味な展開続きですみません。
ちょいちょい修正挟みながら投稿続けてますが設定私の趣味でガバらせているとこと知能足りずガバっているとこ多々あります。
こんな当作ですがブックマーク、評価して頂いた皆さまありがとうございます。