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1-4 彼女の始まり

「それで問題はここからなんだけど湯井君、今後どうしたいのか希望はある?」


「今後? ……あっ」


 そう言われてはたと、ようやく彼は自身の置かれた状況に気づいてしまった。

 今の自分自身が湯井康哉であると証明する手立てが何一つないということに。


 安心していたのも一時のことで再び顔を青ざめさせながら康哉はその事実に打ちのめされてしまう。

 このままでは実家への仕送りを続けるどころか探索員として学院に復帰することすらできなくなるかもしれない。


「っ、DNA鑑定、とかは……」


 残された希望に縋り紗耶香に顔を向けその言葉を口にしたのだったが、返されたのは首を左右に振る、空しい否定の示しだった。


「残念だけどそれはもう試してあるの、今の貴方の体は湯井康哉君とは別人のものとしか判定できないそうよ」


 個人の証明に最も確かな筈の遺伝子情報すら変質してしまっているという、最後の望みを打ち砕かれ康哉は愕然とすることしかできなかった。

 それを聞かされた瞬間、康哉は体の中が空っぽになってしまったかのような空虚感に襲われ、がくりとうなだれてしまう。


 あの絶望的な状況で助かったのは喜ぶべきことだったろう。

 しかし康哉はもしかしたら今後だれにも自分を康哉と認識してもらえないかもしれない――家族にすらも。


 母から、妹から、別人のような目で見られ、扱われてしまう寂しさは想像してしまうだけで恐ろしい。

 けれど全く別人の容姿をした人間から私はあなたの肉親ですなどと言われ納得できるはずもないだろう。


 映像にも決定的な場面は映っていなかった以上、それを証明することはできないのだからどうすることもできない。

 そんな時、打ちひしがれる康哉の耳に声が届く。


「簡単に答えが出せる問題じゃないよね、だから提案なんだけど」


 声を掛けてきた紗耶香に康哉が鈍い反応で顔を向けると、彼女は場違いなまでに爽やかな笑みを浮かべて言葉を重ねてきた。


「気持ちに整理がつくまでの間、康哉君は重体で緊急入院ということにして、貴方は一校への編入生として別人の名で活動するのはどう?

 それなら探索員を続けられるし、何なら康哉君の銀行口座もそのまま利用できるようにしてあげる」


「なっ!? そんなこと出来るわけが――」


「出来るわ、私の名前、聞いて思うところは無い?」


 予想だにしなかった提案にうろたえながら、力強く答える紗耶香の名を反芻してみると確かに思い当たるものがあった。

 彼女の名字である天城は探索員であればほとんどが知っている大企業AMAGI代表と同じもの。


 かの会社は国内の大企業の中でも最も早くダンジョンに関わる産業に資本を投入し、迷宮特区内では多くの利権を得ているという。

 世界に先駆けてダンジョンで新発見された希少金属オリハルコンの加工をはじめ数多くの新技術を生み出し、斜陽を迎えつつあった日本の技術大国としての立場を立ち直らせた企業としても有名だ。


「あの大企業の……? でもそんなことまでできるわけが……」


「信じられない? でも世の中案外と無茶が通るものよ、特に先立つものがあれば、ね」


 暗に金さえあれば道理すら捻じ曲げられるとほのめかしているようなものであり、そんな手法をあまり好まない康哉はつい表情を歪めてしまう。

 それに加えて康哉はもう一つの疑問を抱いてしまっていた。


「……どうして俺にそこまで?」


 仮にそんな真似ができたとしても、事実が明るみに出れば社会的な地位を失いかねない、彼女にとっても危険を孕んだ行為だ。

 康哉は中学時代に陸上競技でそこそこの成績を残していたが特待生というわけではない。


 探索員としての実力に際立ったところがあるわけでもない自分にそこまでの援助を申し出る理由が分からなかった。


「そうね……しいて言うなら多少無茶なお願いが出来る探索員をスカウトしておきたかったっていうのはあるかな」


「……無茶なお願い?」


 オウム返しに聞き返すと紗耶香は頷いてみせてから語り始める。


「そう、私はね……知っておきたいのよ、ダンジョンの()()()を」


 その発言にまた康哉は驚かされる。

 元々どうやって発生したかすら分からないダンジョンはそれを消滅させることはできないのかと議論されたことも過去にある。


 しかしダンジョンから希少資源が得られることが分かり、その経済効果が広がっていくにつれ徐々にその話題は置き去りにされるようになっていた。

 そして最も恩恵を受けている存在の一つであると言える、AMAGIの人間がそんなことを言い出すなどと康哉は予想だにしなかった。


「意外? まあダンジョンなんて生まれたときと同じようにある日ふっと無くなっちゃうかもしれないしね。

 それなら別に構わないわ、別にダンジョンが無くたって人は生きていけるもの。

 ――でも、今後増えてしまうことが無いとも限らないでしょう?」


 紗耶香が口にするように、それは誰にも分からないが故に誰にも保証できないことだった。

 多くの人が大なり小なり危惧してはいる、けれどもダンジョンの脅威が身の回りにまで及ばないことでその実感を薄れさせてしまう。


「お偉い人達も対策は進めてるでしょうけどね、もしダンジョンがどんどん増えたりしたら――地上にまでその範囲が広がるようなことがあればとんでもない被害になるでしょうし」


 悲観的な想定、だが未来にそんなことが起きないと断言することも出来ない。

 ダンジョン内で人は長く活動できない、大人ならばすぐに死に至る。


 それを防ぐために対策を用意しておくことは決しておかしいことではなかった。


「そういうわけで、私はダンジョンをしっかり『探索』してくれる人をスカウトしたかったの、単なるお金稼ぎの場として利用するんじゃなくてね。

 もちろんAMAGIがスポンサーとして装備や生活の支援はバッチリさせてもらうわ、ただ――」


 淡々と説明を続けていた紗耶香だったがそこで言葉を切ると、顔つきを引き締め見据えてくる。

 眼差しに込められた真剣な気配に康哉も目を逸らせなくなってしまった。


「支援が十分であってもダンジョン探索が死と隣り合わせになるのは分かってる。

 だから貴方が嫌だと思うならこの契約は断ってくれても構わないわ。

 その場合でも貴方の身の回りについて出来る限りのお世話はさせてもらうつもり」


 一瞬何を言われたのか理解できず康哉は絶句してしまう。

 はじめに口にしたように無茶を聞いてくれる探索員を求めて彼女は自分に便宜を図ろうとしてくれているのだろうとばかり思っていたから。


 都合の良過ぎる話につい訝しんでしまいそうになるが、少女の瞳を見つめていると何故かそんな気が薄れていく。

 悪意などと呼べるような感情がそこには無い、不思議と康哉にはそう感じた自分の感覚が間違っていないと思い込めてしまった。


 そもそも彼女の手助けが無ければこんな有り様になっている自分は絶対に面倒なことになる。

 はじめから手を差し伸べなければ無用な手間はかからなかったのではと、康哉は最後の疑問を口にした。


「……いいのかな、俺みたいな並程度の探索者にそこまでしてもらっても?」


「いいのよ、この契約は今回の件が無くたって持ち掛けるつもりだし、それに――」


 康哉が尚更意味が分からないとばかりに目をしばたかせていると、紗耶香はまるで悩んでいるように口元をまごつかせ、やがて照れたように目線を外しながらも声音を落としてその言葉を口にした。


「単純に嫌なの、こんなことで貴方みたいな人が馬鹿を見るのが。

 何でもないことと思ってるかもしれないけど、知ってる? 貴方が救援に応じた回数は区内トップなのよ、今のご時世に珍しいわ」

 

 救援信号には応じるのもリスクがあり、自分達がモンスター狩猟に当てる時間も減らしてしまうため稼ぎも減り、疎まれがちだ。

 それは今回康哉が一時的に死に至る原因となった性分のせいであり、彼が固定したチームメイトをなかなか得られない要因だった。


「私嫌いじゃないのそういう人、だから世話させて欲しいっていうのは単なる私の私情、それでまあ……貴方には前から目を付けていたわけだけど……だからって気にして契約までしなくてもいいからね? 本当に」


 本音を吐露する気恥ずかしさに耐えかねたのか、顔を背けてしまった少女の様が可笑しくて、康哉はつい噴き出してしまう。

 契約に応じて欲しいのか断ってほしいのか分からない言い様の可笑しさもあるが、何より――自分でも後ろめたかった性格を肯定されたことが嬉しくて、緊張が弛んでしまっていた。


「ふっ――くく、ごめん」


 笑われてしまうようなことを言った自覚はあるのか、笑ってしまった康哉を責めることなく紗耶香は目をつぶって耐えている。

 申し訳なさを感じながら笑みを収めた康哉は不意に訪れた沈黙の間、じっと思考を巡らせ――やがて開かれたその瞳には静かな決意が浮いていた。


「うん、分かった。 正直、俺にどれだけの事が出来るかわからないけどその契約、応じさせてもらえないかな?」


 目を瞠りながら勢いよく顔を振り向かせた紗耶香だったが、咳払いして嬉しそうにしていた顔色をすぐに潜めると念を押すように確認してくる。


「んん……本当にいいの?」


「いいよ、俺がそうしたいって思ったから、そうすることにするんだ」


 誰にだって我慢できないことがある。

 彼女が自分に手を差し伸べてくれたように、康哉にとっては彼女のような人を助けることがそれだったのだ。


「よろしくお願いします、天城さん」


「ふふっ……紗耶香、でいいよ、よろしくね、()()ちゃん」


 どちらからともなく手を差し出し合い、握手と共に交わした挨拶に康哉の表情が固まる。

 不自然に変わった呼び方、そして目の前の少女がいつの間にか浮かべていた意味深な微笑みのせいで。  


「あの……ユイちゃんって、何ですか?」


「ああ敬語もいいから、同い年だしね。ほら貴方そんな体になっちゃったわけだし、男の子の時と同じままでやっていけるわけないでしょ。

 だからまずは名前から、フルネームは追々考えましょう?」


「えっ……えっ?」


 逃すまいとするように握った手を硬く握り締めながら紗耶香が満面の笑みで言い放つ言葉が自覚の甘かった康哉を追い詰めていく。


「まずは女の子の練習からね、徹底的に面倒みてあげるから、末永くよろしくね」


 自分がこれからどんな日々を送らなければならないのか、理解してしまった康哉は眩暈と共に意識が遠のくような錯覚を覚える。

 こうして湯井康哉の男としての人生は終わりを告げ、香乃唯としての人生が幕を上げたのだった。

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