1-3 違和感の正体
「う……ん……?」
瞼を開き、まず視界に映ったのは白い天井。
眠り過ぎた直後のように意識がぼやけて定まらなかったが、康哉はベッドに仰向けになっていたらしい体をゆっくりと起こす。
周囲を見回すと見覚えのない部屋に居るようだったが、言われずとも分かる雰囲気がそこにはある。
清潔そうなベッドに傍らの医療機器、おそらくは病院の病室だ。
どうして自分はそんな場所で眠っていたのかと思いふける康哉だったが、意識が途切れる間際の出来事――オーガと戦っていた記憶が蘇り急速に意識が覚醒する。
「――っ!?」
反射的に触れた首は確かに繋がっていた。
首を落とすつもりで逆に落とされたような記憶が最後に残っていた康哉はそのことにほっと胸を撫で下ろす。
「……?」
同時に感じたある違和感についと視線が自分の胸元へと落ちる。
身に着けているのは薄手の患者衣、そこまでは何の問題も無い、どうやってかダンジョンで救助され病院に搬送されたのだろうと思っていたのだから。
しかし患者衣の胸部を押し上げる膨らみ、それが何であるか康哉の頭は理解しようとしない。
けれどもそれは目の錯覚では無いらしかった。
おそるおそる、膨らみに押し当てた手に返る感触、そして触れられた感覚が確かにある。
自身の身に起こったその変化にパニックに陥ろうかとしていたとき、病室のドアを開きやってきた人物が康哉を自失から返らせる。
「あ、起きたみたいね」
「え? 君は――」
やってきたのは康哉の知らない、同年代程度に見える少女だった。
だが少女が着ている制服らしいワンピースには見覚えがある、この深総市に三つある探索員養成校、その内の第三校の制服だった。
公共事業として環境が整えられ準公務員的な立場となっている探索員を養成する学校でありながら、第三校は国内有力企業の投資により開校された私立。
他の二校と同じく深総の名を冠してこそいるが希少資源獲得を目的として企業が各地からスカウトしてきた特待生達が数多く通うことで有名だ。
スポンサー契約を結んだ探索員が獲得した資源は優先的に契約した企業へ配分されることから見込みのある探索員を企業が囲い込む動きは早期から見られた。
探索員からしても契約企業から高価な装備は支給してもらえるし、場合によっては生活費まで支援してもらえることもあるので基本的にはメリットが大きい。
そんな特徴のある第三校の生徒がどうして自分の病室を訪ねてくるのかという疑問よりも先に、康哉は出した声、それにより強まった違和感に口をつぐむ。
その康哉の様子を見た少女は何事か確信を得たように小さく頷くと、ベッドの脇に歩みより置かれていた丸椅子に腰を落とした。
「初めまして、私は天城紗耶香。見てわかるかもしれないけど、深総学院第三校に通ってる二年よ、よろしくね」
「……初めまして」
丁寧に名乗ってくれた少女に対して声を出すことをためらう康哉の返事は短く、素っ気なくとられかねない。
しかし紗耶香は気分は害した様子も無くまた頷いて見せ手にしていた手提げ鞄からノートサイズのタブレット端末、そして。
「……っ」
「私の勘違いじゃなければ、確かめてみたくなってるんじゃない?」
取り出し、そう言って差し出された手鏡に康哉は硬直してしまう。
それを見てしまった瞬間、後戻りできなくなるような気がして。
だが拒むことはただの逃避でしかないと理解も出来てしまう康哉はやがてゆっくりと、別人のもののように細くなってしまった手を伸ばす。
柄を掴み、伏せられていた鏡面を返す、そうして映し出されたのは。
「なん、だ……これ」
もう一方の手で頬に触れてみると目の前の鏡に映る、赤い瞳をした白髪の少女も同じように自身の頬に触れる。
見慣れた自分のものとは似ても似つかない顔立ちがそこには映し出されていた。
「湯井康哉君、で合ってる? 貴方の名前」
「……はい、そうです。けど……これは、何が……どうしてっ!」
顔どころか声も、体すら、性別までもまったく別人のものに変わってしまっている現実を受け入れられず康哉はつい初対面の相手を前に激情を振り撒いてしまいそうになるのだったが、意味を成さない言葉を喚き手鏡の柄を握り締めた瞬間、手の中で押し潰れる感触にハッと我に返った。
見てみれば木製らしい手鏡の柄がまるで押し潰されたようにひしゃげ、完全に折れてしまっていた。
そんなに力を込めた覚えはなく、第一に多少強く握ったところでこの手合いの素材がこんな壊れ方をするだろうか。
困惑しながらも驚いたように目を丸くしている紗耶香に気付き慌てて康哉は手鏡を壊してしまったことを詫びる。
「ご、ごめん! 壊そうと思ったわけじゃないんだけど……大事なものだったり、したかな?」
過失ではあったが壊してしまったことには変わりない。
凝った装飾が施されそれなりに値段が張りそうに見えることに気づいた康哉が今の今までしていた心配事を忘れたように、顔を青くしながら問い掛けると慌てふためく様がおかしかったのか、紗耶香はクスクスと笑ってしまっていた。
「いいわよ、大事でもそんなに高いものでもないから、気にしないで」
「でも――」
「それよりも」
なおも気にする言葉を遮って、紗耶香は取り出していたタブレットを起動し操作していく。
その姿を見ながら康哉は目を覚ました自分の所に何故医師でもなく、こんな少女がやってきたのだろうかと今更になって思い悩む。
画面に指を滑らせていく少女、紗耶香の顔にはやはり見覚えが無く、知り合いの線は薄い。
そもそも第三校の生徒などと交流は無かったし、よく見てみれば彼女は随分と目鼻立ちの整った容姿をしている。
あまり異性との付き合いに積極的でない康哉だったが、こんな女子と知り合っていたなら印象に残っていそうなものだ。
などと思い浮かべた辺りで不躾に相手の顔を注視してしまっていたことに気づき慌てて目を反らすのだったが、紗耶香が向けてきたタブレットの画面にすぐ引き戻されてしまう。
「ちょっときついかもしれないけど、これを見てもらうのが一番分かりやすいと思う。
――貴方の身に何が起こったのか、ね」
画面ではある動画が再生されている。
薄暗い洞窟を走る撮影者の足取りに合わせ上下に揺れる映像、見覚えのあるその光景はあの救難信号の元へ向かう康哉が駆け抜けた道だ。
やがて動画は康哉の記憶と寸分違わない、二体のオーガに四人の探索員が追い込まれていた場面に移る。
「これは……俺の装備カメラの映像?」
「そう、回収されたものね。これはメインカメラの映像」
国内探索員は定められた規則により活動内容を確認するため支給されるカメラを装備することが義務づけられている。
モンスターの生態を探ることもその規則の狙いの一つではあるが、最大の理由は探索員同士の諍いを防ぐためだった。
その問題はダンジョンに探索員を送り込むにあたって当初から政府も懸念していた。
地下の閉鎖空間で万が一に殺傷事件が起こった場合に下手をすれば『モンスターの被害に遭った』として真相が被害者ごと闇に葬られかねない。
ダンジョン探索を産業として確立させたい政府ではあったが犯罪の温床を生み出してしまうようなリスクを呑むことは到底できなかった。
止む無く公金を投入し政府が探索員へ行き渡るようカメラを配備し、それに合わせたルールが制定されていくことになる。
康哉が身に着けていたプロテクターにもカメラは装備されており、今見せられているのはそこから撮影されていた映像だった。
やがて映像は康哉が女型オーガに追い込まれてしまった場面に移り、あの記憶が夢ではなかったことを康哉は再確認してしまう。
撮影は康哉の主観で行われているためはっきりとその瞬間が映ったわけではない。
だが振るわれたオーガの斧、そして撮影者の体が崩れ落ちていく瞬間、カメラが捉えていた宙を舞う人体の一部を見てしまった康哉は込み上げる吐き気に口元を押さえてしまう。
「うっ……ぐ」
辛うじて嘔吐するまでには至らなかったが、それでも――自分の首が飛ばされる瞬間を見てしまった衝撃は震えあがってしまうほどに重い。
訳が分からなかった、どう見ても助からない状態なのにこうして生きていることも、体が全く別物と化してしまっていることも。
しかし湧き出すその疑問に対する解答らしきものは思いのほかすぐにもたらされるのだった。
「……!?」
撮影はまだ続いており、康哉の体はバックパックの影響か斜めに倒れ込んだらしく、見上げる形となっている映像には何かを探すように宙に手をさまよわせている首無しの女型オーガが映り込んでいる。
康哉の最後の一撃はオーガの首を落とすことに成功していたのだ。
そうして息絶えるのは時間の問題と思えたオーガの思いもよらぬ行動が康哉の目を見開かせる。
――ちょっと待て。
違う、それは違うと否定の言葉をいくら胸の内で叫んでも、映像の中には届く筈もない。
どんな間違いを起こしたのか、足元を手探り転がっていた物体――康哉の頭を拾い上げたオーガは自身の無くした首の先へ据え付けた。
当事者でもなければ滑稽にすら感じてしまいそうなその光景に呆然とする康哉の見ている前で、映像の中のオーガはビクリと脈打つように体を震わせ、まるで拒絶反応に苦しむように首を押させて悶え苦しんでいるようだったが、ただくっつけただけである筈の首は根を張ったように離れることなく、やがて糸の切れた人形のようにがくりとその場に崩れ落ちカメラから見切れてしまう。
間もなくして再生が終わるまでの間それ以上の変化が起こる事はなかったが、それ以降の出来事を補足するように紗耶香が告げる。
「この後に他の探索員が駆けつけて倒れていた貴方を救助したの。
――今の姿の、貴方をね、現場に他の生存者は居なかったわ」
康哉が殺された場所で見つかったという今の自分、そして今見せられた映像からその時に何が起こったのか、推測できてしまうのは荒唐無稽な出来事だ。
首を境に、康哉とオーガの肉体が融合でもしてしまったのではないかと。
そんなことがあるわけが無いと否定してしまうのは簡単だが、未だ解明の進まないダンジョン内では摩訶不思議な現象が多数確認されている。
ダンジョンに食われるように消えてしまう遺体、探索員が火事場の馬鹿力的なものを発揮したという報告の多さ。
常識の通用しない『ダンジョンのせい』という一言でしか説明のつかない場面は数多い。
これもそんな内の一つではないのか、というよりそれ以外に納得のいく理屈は考えられなかった。
「……どうして、俺が湯井康哉だって分かったんです?」
見つかった時すでにこの姿だったと言うのなら何故この女性にしか見えない容姿の自分が康哉だと判断できたのか、問い掛けてみると紗耶香は何でもないことのように答えてくれた。
「簡単よ、百パーセント確信してたわけじゃないけどね、ゲートの入場記録を調べたら今日ダンジョンに潜った探索員で帰還していないのは第一校所属の湯井康哉君だけ。
区内三校全ての探索員を調べても今の貴方と同じ顔をした人は居なかったわ、そして残されていたあの映像、ひょっとしたらって考えるには十分な判断材料だと思わない?」
確かに常識に囚われず発想さえ飛躍させることができるなら彼女の言うことは間違っていない。
それにしても事もなげに説明してみせる紗耶香だったが、それだけの情報を集めることが一学生に出来るのだろうかと不思議に思いながら、あることに康哉は気づくのだった。
未帰還者が俺だけってことは、あの子達は無事に帰り着いたんだな――良かった。
紗耶香が口にした情報が確かなら、オーガから逃がした四人組もダンジョンから帰還を果たしたことになる。
それを知ることができた康哉は混乱しきりだった目覚めからようやく得られた安堵感に頬を緩めてしまう。
そんな康哉の反応をじっと見ていた紗耶香は何らかの確信を強めたような微笑みを浮かべるのだった。