2-14 掴み取る希望
事の起こりは梓達がうずくまっていた三井らに遭遇した頃に時を遡る。
「君、この間初めてダンジョンに入ったばかりだったでしょ、それがどうしてこんなとこにまで――!」
「ああ……だって、稼がなくちゃ、あいつら全員大学にやれないし……あいつらはいいって言うけどさぁ……本当はそうじゃねえの、分かんだよ……だから――」
酩酊したような虚ろな目をした三井が落ち込んだかと思えば苛立つように頭を掻きつつ、的を外した答えを返してくるのを見、彼の容態の深刻さに気づいた梓達は視線を交わす。
情緒不安定に加え支離滅裂な言動、それはダンジョン中毒の初期症状に違いなかった。
「長瀬さん、それは間違いないのか?」
「うん、わ――アタシはこの三井君の初回実習でヘルプ頼まれてたから知ってる、間違いないよ。
あれから一ケ月ちょっとしか経ってない、どれだけのペースでダンジョンに入ってたのかは知らないけど、中層で活動するにはまだ早いでしょ」
それを確認した梓の一行が三井のチームメンバーらしき少年達に険のある目つきを向けてしまう。
「い、いやいや、本当に知らなかったんだって」
「……今はその話は後だ」
責任を追及している場合ではないと判断した一人が素早く装備から非常用キット、催眠薬のボトルを取り出し用意した当て布に染み込ませる。
「カメラ向けといてくれよ」
非常薬の用途はゲートで追及されてしまう、証明の為に装備カメラに使用する場面を録画しておくことを皆へ頼みながら少年は薬剤の染み込んだ布を三井の口へと当てた。
三井は一瞬目を見開いていたが抵抗は見せることなく、しばらくすると睡魔に負けた瞼が落ちその意識は閉ざされた。
ダンジョン内で精神が不安定になった探索員は時にふとした弾みで暴れ出し、救助が困難になるケースがある。
搬送する場合にはこうして意識を落としておくのがそれを防ぐための一つの解決策だった。
「地上まで運ぶぞ、当然お前達も一緒だからな、モンスターと出くわしたらしっかり守れよな」
「……分かった」
同行者の探索歴の確認は義務ではなく、彼らに過失があったと公的に言えるかは実のところ定かではない。
しかしこれで万が一に三井が死亡し責任を問われれば探索員資格の剥奪もあり得ることは分かっているのか、少年達も素直に従う姿を見せていた。
非常用キットの一つ、折り畳み式の担架を組み立てると梓のチームメイトが重荷となる自身の装備を仲間に預け、担架に座らせた三井を固定し背負い上げる。
こうして一人がまず戦闘には加われなくなる以上、道中の安全を確保するために三井の仲間達の協力は不可欠だった。
「急がないとね、せめてモンスターが出てこないといいんだけど――っ」
そんな梓の口にしようとした願望は早くも打ち砕かれることになる。
いち早くその気配を察知し、梓が顔を向けた先では。
「――コボルトか!」
通路の先に狗頭のモンスター、コボルトの疾走してくる姿が見て取れた。
鬼種における脅威度は高くも無いが低いわけでも無く、ただの一頭でも油断は出来ない。
ましてかばうべき人間のいる状況ではゴブリンよりも機敏に動き回るコボルトの厄介さはより高くなる。
しかし今は一刻を争う時、慎重になるあまり時間をかけてはいられないし、相手をしている間に更にモンスターが湧いて出てくるかもしれない。
焦りながらもそれぞれが応戦の構えを取ろうとしていたが――
「っ長瀬さん!?」
「先に行って、手間かけてらんないでしょ!」
前に出て得物を構えた梓の言葉が皆を躊躇わせる。
「それならアタシも――」
「そっちの護衛にも人手がいるよ、そろそろB級も近かったから丁度良いし、仕留めたらすぐ追いかけるから行っちゃって」
人一人を担いでいる状態で襲われればひとたまりもなく、梓の言うように戦力を分断し過ぎるのも危険なことだった。
なまじ梓の腕の良さを知ってしまっていることも彼女ならば言葉通りにこなせるのではないかと、仲間達に希望を抱かせてしまう。
コボルトを単独で処理できる探索員がその場に居れば迷いなく任せることができたのかもしれないが、残念ながらその場にB級資格を持ち合わせる人間は居なかった。
少年達が逡巡している間にもコボルトは迫り、弱っている人間が居ることを見抜いたのか梓を飛び越えようと高く跳び上がる。
「させない――って!」
その行動を見抜いた梓が振り上げた両手剣を頭上のコボルトへ叩き付ける。
避けられないよう腹を向けられた剣で強かに打ち飛ばされたコボルトは高い鳴き声を上げながら転がり落ち、恨めしそうに梓を睨みつける。
「ほら行ってったら!」
完全に敵視された梓が再び飛び掛かってきたコボルトの爪を腕を添えた剣で受け止める。
近づきすぎた相手にすかさず蹴りを打ち込み距離を空けさせる対応の速さは流石に慣れたもので、そんな戦いぶりに背を押される形で――少年達は彼女を残し、地上へと走るのだった。
◆
「長瀬って……まさか」
本当に知らないだけで、この都市には梓の他にも長瀬という名字の探索員が居るのかも知れなかった。
けれどもたまたま同じ姓なのではないかと思えるほど唯はその名前の人物に多く会ったことは無い。
命の価値は平等で、危機の迫っている状況でその扱いに差をつけるべきではないと理解しながらも、知り合いのそれを特別視しないことなどそうそう出来るものではなかった。
唯とてそれは例外ではなく、元から救援に向かう腹積もりであったのに動揺は隠せなかった。
「……気になるけど、話してる場合じゃないよな。
早く救難信号出してくれればいいんだけど」
PDAを気にしながら芳樹が告げるように、何故か危機にあることは間違いない筈である梓からの救難信号は発せられていない。
ある程度の人数が揃っており、かけつけた探索員が逆に退路を妨げないようにあえて出していなかったと推測できる先程すれ違った少年達とは状況も違うはずだった。
落ち着いて考えればここは中層、あれだけの人数で下層に赴くとは思えない以上は受信範囲から外れているとも考えにくく、その程度の距離でも信号は裕に届く。
「下手に降りればすれ違いになるかもしれません。
信号が出されるのを待ちたいところではありますが……」
珍しく静の発言が歯切れ悪いのは、唯と同じようにある懸念を抱いてしまっているせいだろうか。
――思い出すのは、あの時の泣きだしそうな少女の顔。
梓の取り繕った外面にはとっくに唯も気づいていた。
洒落っ気はいかにもな印象の上辺をなぞったようにぎこちなく、むしろ生真面目さが端々から感じ取れる、見た目よりもずっと繊細な人に思えるぐらいだ。
しかし何があって、彼女がそうしているのか尋ねることを唯はこれまでしていない。
素性を偽る自分がそこまで踏み込むことが、後ろめたかったから。
そして康哉に助けられたことを未だに引きずっているようだった梓が、もしかするなら助けを求めようとしないのではないかと唯は考えてしまう。
自分が危険に遭うよりも、自分を助けようとした人が危険に遭う方が恐ろしい、そんな精神状態になってしまっているのではないかと。
「……待ってたら、間に合わないかもしれない」
「そうですね、ですからなるべく周辺を警戒しつつ下りるしかないでしょう。
場合によっては唯さんと私達で二手に分かれることも――?」
本来採るべき手段を語る静に対して、唯は首を振って見せた。
もっともではあるが、それでも間に合わない可能性はある。
だが唯にはそれを確実にできるかもしれない手段が残されていた。
「私が、長瀬さんの居場所を探るよ」
「探る……? 唯さん、それは一体どういうことですか」
「ごめん、説明してる時間が無いし、上手く説明できるか分からない。
でも少しだけ……私に時間を与えて欲しい」
困惑する静と芳樹に、申し訳なく思いながらも唯は一瞬だけ目を閉じ、決断と共に装備を解除していった。
「は……? 香乃さん、何を……」
最早トレードマークとなった大鉞をホルダーごと地へ下ろし、携帯している投擲斧も落としてしまう。
アーマーまで外してしまうと少し肌も露出し、芳樹がぎょっとする様子を見せていたが気を抜くわけにはいかない。
もし別の万が一|が起こってしまった場合、自分がこんなものを身に着けていては邪魔になるだろうから。
そうしてダンジョンの奥へ体を向けた唯は息を吸い込み高まる緊張を落ち着けながら、背にする二人へ最後の頼み事を告げた。
「静さん、高村君、もし――私がおかしくなったら、容赦なく撃ってくれていいからね」
「――え?」
十分に危険性を説明できないことを心の中で詫びながら、唯はその感覚を解放していった。
今の体に変容してからというもの、鋭敏化した共感性とでも言うべきか、唯は他者の感情をある程度読み取れるまでになっている。
人と接するのにあまり気分の良いものではなかったし、それがダンジョンにおいては危険であることも自覚しているので普段は意識して抑制している感覚だった。
何しろモンスターから伝わってくる、唯に何度も体調不良を起こさせた原因――それこそがこの感覚で掴み取ってしまった彼らから放射されている感情なのだから。
幾人もの憎悪や嫌悪を濃縮したような、あまりに負の色に染まりすぎているそれらを何故モンスターが有しているのかは分からないが、触れ過ぎると精神を病んでしまいそうなほどでダンジョンでそれを押さえ込むことは唯にとって必要な備えだった。
けれど今はそれだけが頼り、梓の気持ちを探り当てるという初の試みに。
他の人間と比べ少し特徴的な彼女の感情が印象に残っていただけに実行へ踏み切ることが出来た。
打算も無く心からの親切心で人に接することができる優しい少女の、罪悪感に覆い隠された――思慕の情。
多くの人の場合それは家族や友人ではなく、異性へと向けられているモノで、初めてそれを理解したときは困惑もした。
この気持ちにも真剣に向き合うことをしなかった自分を恥じながら、感覚を広げていく。
そして唯の元には予想通りの衝動が、距離をお構いなしに伝わってくるのだった。
「あぅ――ぐ……」
眩暈、ふらつき、膝をつく。
無差別に広げる感覚の網は当然ダンジョン内を徘徊するモンスター達をも捉え、それらが有する感情がまとまり唯へと収斂する。
これまでに何度もモンスターから向けられる憎悪に過剰反応してしまったことはある。
だがそれも数頭程度のもので、これだけ多数の感情をまとめて受け止めるのは初めてだ。
結果として起こったのは幸か不幸か、予想からそう外れてもいない事態で、思考の一切を埋め尽くすかのような激情の奔流に唯は見舞われていた。
「ぁ『――』……『――――』あぁ……『――――――』あぁぁっ!」
聞こえない慟哭が、唯の精神を蝕んでいく。
ここには居ない誰かが憎い。
ここには居ない誰かが妬ましい。
ここには居ない誰かが恨めしい。
誰かの区別もいつしか曖昧となり、いっそ世界の全てが憎くてどうしようもない。
誰から誰へと向けられた思いなのか、分からずともあまりに生々しいそれがかつてこの世にあったものなのだと、理屈なくも唯は悟ってしまう。
限りなく押し寄せる衝動を晴らしたい欲求が込み上げ、誰かに思いのままこの衝動をぶつけられたらどんなに楽になるだろうかと、そんな考えが脳裏をよぎってしまうほどに。
唐突に叫び、苦しみ出した唯に驚き、歩み寄ろうとする後ろからの気配がかすかに残る生身の感覚に伝わってくる。
まだ唯は理性を保っていた、この試みを中断すればこれ以上苦しむことはない。
大体こんな不確かな手段を選ばずとも梓の元へ辿り着けないわけではない、地道に捜索すればいいだけの話。
間に合わなかったとしても唯に責があるわけではない、ダンジョンというのはこの程度のこと、いくらでも起こり得る環境なのだ。
妥協してしまえば楽になる、だが。
「――まだだっ!」
叫び、背後に手を向け制した唯の言葉の強さに歩み寄ろうとしていた芳樹が目を瞠り立ち止まる。
真に求めるものへ手を伸ばすだけの力が自分にはある、それを知る唯に迷いは無い。
砕けそうなほどに歯を食いしばり押し寄せる憎念の波を掻き分け、意識を伸ばし続けた先で――その温もりを唯は確かに知覚する。
焦り、興奮、怯え、入り混じったそれはモンスターとは異なる、紛れも無い生きた人間のもので、見知った彼女のものに違いなかった。
「見つ、けた!」
掴み取った希望を胸に灯し、唯はその道を伐り拓くための相棒である大鉞をその手に立ち上がった。
ちょっと危ないかと思いましたが何とか予定通りに投稿できました。
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