1-1 彼の運命の日
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現代の魔境たるダンジョンの発生は日本のみならず世界各地で同時に確認されていた。
地下鉄などのインフラをも侵食してダンジョンが発生したケースもあり、経済的に大きな損害をこうむった国も少なくない。
当然のことながら各国で軍隊などの治安維持組織による内部調査が行われることになったのだが、ダンジョン内に潜んでいた数々の障害を前にまともな成果を得られた国家は存在しなかった。
まず洞穴内に潜んでいたこれまで地上では発見されたことのないまるで物語の中に現れるような新種の鬼種、魔獣、モンスターなど様々な呼ばれ方をすることになる生物達。
多少の差異はあれど人型をしていることが共通していたそれらは極めて高い凶暴性を持ち、襲われた調査員や治安維持組織の隊員に少なくない被害を与えた。
とはいえ重火器で武装する軍隊からするならそれらも決して致命的な脅威とはなり得なかったが、深刻な問題となったのはダンジョンに満ちていた見えざる毒の存在。
洞窟内に足を踏み入れた者達のほとんどが一時間としない内に体調不良を訴え始め、やがてその場で気を失い二度と意識を取り戻すことなく死亡してしまう者が続出した。
大慌てで撤収指示が出されたときには既に被害は深刻で、日本国内だけでも百人規模の死者が出てしまっている。
原因究明も遅々として進まず、大気調査に酸素マスクの投入など様々な方策がとられたが実を結ぶものはなく、洞窟内で人々は一時間と正常な体調を維持できることができないことだけしか分からずに、事態が進展したのはダンジョン出現から半年後、とある調査チームの打ち出した仮説が検証された時だった。
洞窟内では高い年齢の者ほど早く体調が悪化する傾向にあった、ならば若年者であればある程度の活動が可能になりはしないだろうかと。
証明には人体実験が避けられず抵抗を示す政府関係者は少なくなかったが、洞穴浅部で細心の安全措置を講じた上で検証は実施され――結果として予想以上の成果をもたらすこととなる。
年齢が二十歳に達していない人間は一時間以上洞窟内で活動可能であった上に、実験を繰り返している内に被験者の中で洞窟内の活動時間が延長されていく者が現れはじめたのだった。
数々の検証の結果として、ダンジョン内には現存する科学技術では観測不可能な毒素が満ちており、その毒素は成人していない内ならば耐性を獲得できるものであるという説が仮説の域を出ないなりに真に迫ったものとして人々に受け入れられていく。
条件に難はあれどダンジョン内部の調査に光明が見えたことで各国の上層部が採った選択は大きく分けて二つ。
モンスターから産出する資源と共にダンジョンを政府が独占する国、ダンジョン内での狩猟行為を新たな産業として広く民間へ開放する国。
日本はどちらかというなら後者であり、国内に五つ発生したダンジョン、その周辺を迷宮特区として指定し近隣を探索活動を教育、支援する環境として整備することが宣言された。
湯井康哉はそうして複数開業された迷宮探索員としての育成を兼ねた高等学校に一期生として入学した一人だった。
◆
ダンジョン内に足を踏み入れて来た人の姿を視認するなりその最下級のモンスター、ゴブリンはけたたましい鳴き声を発しながら躍りかかる。
子供程度の体格といえど手先に備わった爪も口にぞろりと生えたギザ歯も鋭く尖っており、まったく我が身をかえりみない突進から振るわれるそれらの凶器は人体にとって十二分な脅威となる。
しかしゴブリンが襲いかかった相手――関東迷宮特区に属する深総第一学院の二年生、湯井康哉にとってそんな特攻のあしらいは慣れたものだった。
ゴブリンの習性は本能まかせと言うにふさわしく、単純で読みやすい。
康哉は左手に構える小ぶりな特殊素材の盾で腕ごと振るわれた爪を弾くと右手に握る手斧の腹でがら空きの足元を刈り払う。
前がかり過ぎるゴブリンはそれだけで体勢を崩しその場に頭から倒れ込んでしまう。
そうなってしまえば後の始末は容易い、康哉のチームメイトである同年代の少年が手にした幅広の両手剣を振るい落とし転がったゴブリンの首を刎ね落とす。
モンスター達は痛みに鈍いが首まで落とされては流石に生命活動を維持できないらしく、すぐにその小さな体躯は風化するように溶けていき後には角だけが残されていた。
「ナイスブロック、康哉。流石だな」
「まあゴブリン一体ぐらいならな」
止め役を務めた少年の他に二人居るチームメイト達との掛け合いにも過度な緊張感は無く落ち着いたもの。
康哉を含めこの場に居る少年達は探索者として学院での訓練を経てダンジョンに潜り初めてから半年になり、対モンスターの戦闘も数多くこなしている。
ダンジョンへの滞在可能時間も八時間を超えあくまで探索員という職種は生まれたばかりではあるが、その内で一線級と言える熟練度に達していた。
そんな彼らが現在潜っているのは関東ダンジョンにおいて中層と呼ばれている、出現するモンスターにコボルトが多くみられるようになる深度で大多数の探索者が稼ぎ場としている区域。
調査自体は深層と呼ばれる更に下まで進んではいるが、そちらはコボルト種に加え新種のモンスターが現れるようになり探索活動に危険を伴う領域で小人数での立ち入りは推奨されていない。
四人組のチームである康哉らもそこまで踏み込むつもりはなく、バックパックにそれなりの戦利品が溜まってきたところで地上へと戻ろうとしていた。
「今日は結構調子良かったな、これなら稼ぎも上々なんじゃないか?」
「そろそろ装備も更新したいんだよな、やっぱ防具ぐらい自衛隊の払下げ品じゃなくてメーカーブランドで揃えたいだろ」
「俺ならアーマーより剣だな、例のAMAGIのオリハルコン製とまでは言わないけどさ」
命懸けの探索者という職に就いた少年達だったが気が弛んだのかついその場で皮算用を始めてしまう。
遊び盛りな年頃であるだけに無理もないことではあったし、この頃は探索員向けの装備を国内企業が開発し始めヒロイックなデザインの武器や防具が市場に出回り始めた時期でもあった。
それにダンジョン内ではいつモンスターに遭遇するか分からず周囲に気を配り続けなければらないためにストレスも溜まりやすい。
適度にリラックスした状態を維持するのにこうした発散活動も無駄なわけではなかった。
とはいえどこからモンスターが湧いて出てくるか分からないダンジョンでいつまでも気を抜いてはいられない。
右手に片手斧、左手にホームベースより一回り程大きいサイズの盾を持ったスタイルの少年、康哉が気持ちを切り替えるために呼び掛けようとしたところでそれは起こった。
「――っ!?」
後ろ腰に感じる振動、発しているのは武器のホルダーが備わるベルトのスリットに収めてある国内探索員の指定装備の一つ、携帯情報端末だ。
康哉が手のひらサイズのそれを抜き出し明滅するボタンを押し込むとPDAから中空へ立体映像が映し出される。
らせん状に渦巻くようにして下へと交錯しながら伸びていく幾本もの青いチューブ、それは現時点で踏破されているこのダンジョンの地図を現したもので、その一点に現在地を示す緑色のマーカーが浮いている。
そして表示されているマーカーはもう一つ、立体マップで現在地から見て下方に赤いものが明滅しており、PDAの機能の一つ、救助が必要とされる危機に陥った探索員が付近に発する救難信号を示すものだった。
いち早く反応した康哉が反応の元へ向かうため踵を返すと、血相を変えたチームメイトの少年がその肩を掴む。
「ちょ……待て康哉、お前どうするつもりだ!?」
「どうって、助けに行くに決まってるだろ」
当然のこととばかりに答える康哉だったが、それを聞いた他の三人の顔は暗く険しいものになる。
助けに向かおうとする行動を快く思っていないのは明らかだったが、それを予期していたのか康哉もまた後ろめたそうに視線を落とす。
「分かってんだろ? この位置は完全に下層、危険域だってことぐらいさ」
「……ああ」
下層と呼ばれるその一帯からはゴブリン、コボルトに次ぐ新たなモンスター、鬼種が現れ始める。
そのオーガこそがダンジョンの探索活動を停滞させている最たる原因だった。
コボルトと比べても遥かに屈強な肉体を持つオーガは平均的な人数のチーム、四人組でも狩猟は困難であり探索員に銃火器の使用が許されている国でも大きな脅威となっている。
対峙するだけで大きな命の危険を伴う、安全を期するなら小人数で相対してはいけない相手だった。
「だったら無茶すんな、救助活動は義務じゃないんだ。大方オーガハントに失敗しちまったんだろ、それぐらい自己責任って分かってもらえるさ」
康哉に向けて仲間が言うように助けようとした側まで命を落としてしまう二次被害の危険性が高すぎるせいもあってダンジョン内での救助活動は義務付けられていない。
今回のケースで言えば下層に踏み込むのは複数チームを組んでオーガを狩る者達ぐらいで、彼らがリスクを承知の上で危険域に降りているだろうということもある。
オーガの角から得られるレアメタルは特に稀少なものが多く、取引価格が飛び抜けて高いこともありそれを目当てに徒党を組んでこのモンスターを狙う探索員は少なくなかった。
自己責任と言うのもあながち間違ってはいない、しかし――顔を上げた康哉の目には強い決意の色が浮いていた。
「悪い、先に帰ってくれ。俺は――行ってくる」
「……おい待て……康哉っ!」
仲間からの制止を振り切って、康哉は駆け出した。