2-9 不器用な彼女
「ごめんなさい……やっぱり説明しておくべきだったわね」
私服に着替えた後に戻った練習室で、珍しく消沈した様子の紗耶香から謝罪を受けてしまった。
芳樹と梓の二人にはAMAGIの探索事業に勧誘の話を勧めてあったらしく、今日はその追加説明に呼んであったらしい。
二人が来るということを伝達してあれば唯もあんな格好のままでいることは無かっただろうし、彼女の落ち度と言えば落ち度ではあったが。
「いや、そこまで気にしなくていいよ紗耶香さん。びっくりはしたけど、悪気があったわけでもないんだし」
女性としての体裁と男性としての意識が混線し、頭の処理が追い付かなくなっただけで冷静になった今考えれば大したことの無いトラブルだった。
「アタシらもノックすれば良かったねー、ごめん。……ヨッシー的には眼福だったかな?」
「よせよそんなこと言うの……とにかく、香乃さんごめん、俺も不注意だった」
異性を辱めてしまった自覚があるのか、この場で唯一男性の芳樹が頭まで下げて謝ってくるがモデル誌に先程の姿と近いピンナップを晒している唯からすればとやかく言う気にはなれない。
加えて彼はあのような格好でも邪な目で見はしないだろうという確信があった。
「気にしなくていいよ。 つい慌てちゃったけど、高村君はそういう目で見る気無いだろうし」
高村芳樹という少年が異性に対して性的な欲求を全くと言っていいほど示さないことを唯は知っている。
可愛らしいグッズを好むらしいことを知ったのを切っ掛けに、クラスの男子がたまに話題に乗せる有名女優やアイドルの好みに対する反応がまるで取り繕ったようなものであることに気づかされた。
そして現在、他者の感情をある程度感じ取れてしまうようになった唯は彼から他の男子らと話す際に下心めいたものを感じてしまうときが多々ある。
容姿については自覚しているので仕方ないと分かっていただけに彼、芳樹からはそういった気を向けられることがないことにもすぐ気づいた。
きっと彼はそういう関心が無い人なのだろうと、ただ唯はそう考えていたのだが。
「そういう目……?」
「あ――」
共に二度ダンジョンへ潜りこそしたが唯と芳樹は親しいと言えるほどの仲ではない。
不思議そうな顔をされてしまったように、そんな間柄でありながら知った風なことを口にするのが不自然だったと悟り慌てながら唯は話題を逸らす。
「そ、それより紗耶香さん、なんでこんな部屋に高村君達を?」
「まあ契約はまだなんだけど、とりあえず新装備の使い勝手を確かめてもらおうかと思ったの。
こういう武装って結構向き不向きもあるから」
すんなりと会話を継いだ紗耶香は静に取り出されていたXREP銃を示す。
新装備、発射装置などと誤魔化してもその実態は銃器と言って差し支えない。
既存の得物とは使い勝手など別物であるし、致死性が無いとはいえ誤射の危険があることには変わりないのだから紗耶香の言う通り適性を見ておくことは必要だった。
「そういうわけで静、二人に取り扱いの説明、お願いね」
「承知しました、お二人ともこちらにどうぞ」
「あ、はい」
射撃レーンへと連れられて行った二人がXREP銃を手にした静の解説に聞き入り出したのを見ながら、唯はそっと紗耶香に訴えかける。
「紗耶香さん、あの……」
「うん、相談せずあの二人に声掛けたのは、ごめんね」
事業へ他の探索員を勧誘することは唯も聞いていたが、それがあの二人――友人だった芳樹と康哉の最期に関わった梓。
モンスターとの融合により性転換したという常識離れした事実であるだけに可能性はきわめて低いが、彼らには唯の正体に勘付かれるおそれがある。
一学生である彼らに唯が元々は康哉という人物であると立証することはできないのかもしれないが、余計な疑いを招くことは唯の身分を偽装している紗耶香にとっても避けたいことである筈だった。
「要注意な人達なら目を離すより囲い込んでおきたい、っていうのが半分」
監視下に置いておく、そう取れてしまいそうな発言につい唯の目つきが険しくなってしまう。
姿形が変わろうと、友人としての情を抱いている彼らがそんな扱いを受けるのは唯にとって好ましい事ではない。
唯の顰蹙を目の当たりにし、申し訳なさそうにしながらも紗耶香は言葉を続ける。
「もう半分は、信頼度ね」
「……信頼?」
「そう、私からじゃなく、コウちゃんからのね。
深層を更新した北海道チームの話は聞いてる?」
同じ日にミノタウロスを討伐したチームについては知り得ていたが、何故今その話題が出たのか意図を掴めずにいる唯に紗耶香は続ける。
連合の探索員同士で発生した小さな諍いと、それに対する違和感についてを。
「早い時期から密かに噂されてたことではあるのよね、ダンジョンに入った探索員はちょっと気性が荒くなるって」
モンスターを相手にし、暴力的な衝動は発散し続けているせいかこれまで気づかれることはなかったのだが、北海道チームの報告を受け過去の記録を遡った結果確かに疑わしく思われる場面が散見されたという。
オーガ級を相手にしたときなど、より慎重さを求められる相手である筈なのに探索員達が逸りミスを犯すなど。
唯自身これまでモンスターと相対したときに感じた暗い衝動を思い出し、ハッとさせられる。
今の体の特殊さから自分の身だけに起こる事と思い込んでいたが、程度に差があり過ぎるだけでそれは他の人間にも起こっている反応なのではないかと。
「コウちゃんはどうしても他の人に壁をつくらざるを得ないから、サポートしてもらうなら少しでも信頼できる人がいいなって思ったの。
誰もかれもが鉞姫の活躍を称賛してくれるわけじゃないから、ね」
類を見ない活躍ぶりで憧憬を集める一方で、何故彼女ばかりが成功を収めているのかと唯に対して妬みや嫉みを抱く探索員も少なからずいることだろう。
だからといって直接的な行動に起こすことは早々無いだろうが、常識が通用しないダンジョン内ではそうとも言い切れない。
感情の暴走、その矛先が唯に向かないという保証は出来なかった。
「……それであの二人を?」
「うん、静からこの間の探索の報告は聞いたけど、あの二人ならコウちゃんに悪い感情は持たないんじゃないかなって。
……まあ悪い虫になっちゃわないかは心配してるんだけど」
視線を逸らし、髪をいじる紗耶香の恥ずかしがっているような横顔を見た唯は胸を衝かれる。
つまり彼女はこんなリスクのある真似を自分の為にやってくれているのだと、知ってしまえば先程腹を立ててしまった自分が大人げなくすら思えてしまい。
XREP銃の普及、探索員事業の確立、どちらも彼女が目的とするダンジョンの『潰し方』を知るための手段ではあるが、それを唯の助けとする為に彼女が骨を折っていることが感じ取れてしまうのだ。
けれども芳樹達が契約を結ぶかは分からないが、友人達を巻き込むことにはまだ複雑な思いがある。
ありがとう、と口にすることを躊躇った唯はふっと小さく息を漏らすと、部屋の外へ足を向ける。
「説明、しばらくかかりますよね、皆に飲み物でも用意してきます。
――紗耶香さんは何かリクエストありますか?」
尋ねると、唯に黙って事を進めたことを気にしていたのか後ろめたそうだった紗耶香の表情が一瞬虚を突かれたようなものになり、すぐに眩しい笑みが花開く。
「私、炭酸は苦手なの、それ以外ならなんでもいいよ。
ああ一階に厨房があるから、そっちは好きに使って構わないからね」
給湯室やキッチンですらなく厨房ですかと呆れつつ、唯は万能なようでいて不器用な恩人への差し入れを用意しに向かうのだった。
ブックマーク、評価、感想して頂いてる皆さまいつもありがとうございます、更新遅れすみません。
切りどころ悩んでしまったので明後日にでもまた更新しようと思います。