2-8 馴染みの闖入者
ともすればダンジョン探索よりも重いのではないかと言う疲労感に眩暈を覚えながら休憩スペースに辿り着き、買い物袋を脇に長椅子へ腰を落とす。
「お疲れさま、悪いけど静、飲み物頼める?」
「構いませんよ、唯さんは何か希望ありますか?」
「……微炭酸系のもので、お願いします」
同じ買い物後だというのに本日の同行者である紗耶香と静は平然としている辺り、まだまだ自分は女性の感覚に馴染めていないのだろう。
あまり馴染みすぎても複雑な気分になってしまうのだけれど。
週末連休に入った土曜の日、相談してあった新しい下着を調達するためこの日は紗耶香達とファッションビルへやってきている。
AMAGIの探索員装備モデルとなっている以上、更衣室などであまりに質素なものを着ているところを見せるのは風評によろしくないとのことで、ブランドやらデザインやらと随分こだわられてしまった。
今更のことではあるが、二人の前で女性ものの下着をあれこれと試着するだけでも顔から火が出そうなぐらいに気恥ずかしい。
その上に紹介された店で扱われていたのは庶民感覚が染み付いた唯からすれば驚くしかない価格設定のものばかりで、会計は男性時代と比べれば文字通り桁違いの額となった。
相場よりも値段が吊り上がってしまったのは自身の今の体形のせいでもあったが、カップサイズで価格が変動することなど唯には知る由も無い。
遠い目になりながら世の女性はこんなにも苦労していたのかとしみじみ浸っていると 飲み物を買いに行った静を見送った紗耶香が時計を気にする素振りを見せていた。
「もしかして、本当は忙しかったんじゃない?」
「うん? ああ、別にそういうわけじゃないわよ。このぐらいの時間なら十分余裕あるから気にしないで」
どういうわけか探索者装備の広報以外にも実家の会社経営に関わっている節があり多忙そうな彼女なだけにこういった私事に付き合ってもらうのは心苦しくもある。
しょっちゅうウチにやってきて夕食や朝食を摂っていくのを見ていると忘れそうになってしまうが。
「でもそうね、できればカフェでも一緒に行きたかったけど思ったより時間かかっちゃったし、コウちゃんこの後少し時間もらってもいい?」
「いいよ、ワタ――シも今日は完全に休みだし、それぐらい全然構わないから」
普段からよくからかわれてしまうことがあるせいでちょっと警戒していたのだけど、下着選び最中の紗耶香はとても真剣に付き合ってくれた。
よく考えれば風呂中でも彼女からアドバイスや指摘を受けることはあったが、無遠慮に体に触ったりとされたことは無かった。
男性に対しても女性に対しても接し方の線引きが難しい自分を気遣ってくれているのか、世話になりっぱなしの彼女の頼み事なら出来る限り聞いてあげたい。
「ふふ……もう少しってところかな、それじゃあ静が戻って一息入れたら移動しましょうか。
お隣、失礼するわね」
気が抜けたのか最近ようやく慣れて来た『私』の一人称を噛んでしまった。
それが恥ずかしくちょっと早口になってしまったのを可笑しそうにしながら紗耶香が隣へ腰を落とした。
フワリと漂う甘い香りに鼻腔をくすぐられたような気がして、一瞬ドキりとさせられる。
これまでの色んな事情もあってか、彼女との距離感は他の人達と比べて大分近い。
彼女の方からも気兼ねせずに物理的に距離を縮めてくることがよくあるのだが、女性的な言葉遣いに慣れてきてもこちらは精神的には健全な男子。
紗耶香のように、整った容姿の少女にこうして傍に寄られてしまうと緊張だってしてしまう。
けれど静を待つ僅かな間、他愛ない世間話を素性を偽ることなく話せるのは心地良く。
一校での学生生活、そしてダンジョンでの苦労話に瞳を輝かせ、楽しそうに聞いてくれる紗耶香と過ごす時間は嫌いではなかった。
◆
市内でも開発が進んでいる新区画は新しい建物が増えているものの、高層ビルの類は少なく意外にも見晴らしは悪くない。
発生の際に地揺れなどといった現象が起きたわけではないが、地下にダンジョンという構造物が存在することは人々の心に足元への不安を抱かせるのか、耐震性や緊急時の避難を考慮した建築が多く見られるせいだ。
連れられたのはそんな通りの一画、石材風の洒落た外壁材で仕上げられた三階建てのオフィスビル。
社名を示す看板も表札も無かったが、紗耶香は勝手知ったる様子で正面入口のロックを解除し中へと足を踏み入れて行く。
「ここは……もしかして」
以前からその構想については紗耶香から少しずつ聞かされていたが、実際目の当たりにすると緊張と昂揚がない交ぜになったような感情が湧いてくる。
「ええ、こちらが新設されたAMAGIの探索事業所、その建屋になります」
養成校を卒業した探索員達の受け入れを見据えた事業所、その規模は大きいものと言えなかったが、設備は十二分に整っていた。
事務室に会議室――紗耶香曰くブリーフィングルームなどが入った一階の事務エリア。
二階には運動能力の維持向上を目的にしたトレーニングジム設備が設けられていて、既に学院と変わらないかそれ以上のマシンが用意されている。
機材の用意が済んでいる辺り、探索員の受け入れは在学中から始めるつもりなのかもしれない。
三階は住居可能な個室や談話室のある生活スペースになっている。
下手なアパートよりも快適そうな造りで、男子寮暮らしをしていた頃なら間違いなく羨ましがっただろう。
「本当はプールも造りたかったんだけどね」とは紗耶香の談。
これでも色々と抑えた方らしかったが、隣で静がげんなりとした顔をしていた辺り結構な無茶を通したのではないだろうか。
そんな心配をしてしまいながらも、これだけ充実した環境に多少なり興奮してしまうのは隠しきれない。
出来れば各エリアを見て回ってみたいとそわそわしているのを察し取られてしまったのか、静に案内してもらえることになった。
そうして一階で用事があるとのことで残念そうにしていた紗耶香と一旦離れ、各階を巡っていると二階のジム脇に長いスペースをとってある部屋の存在に気づく。
「こちらは射撃練習室になりますね」
「えっ……射撃!?」
その意味は理解できても、探索員の鍛錬用として一般的でないその単語につい聞き返してしまう。
しかし聞き間違いではなかったらしく、静は頷き扉を開いて中を示してみせる。
室内の造りは見慣れない、だがどのような用途かは一目で分かる構造をしていた。
区切られた二十メートル以上はあるレーンの向こうに用意されたターゲット。
静の言う通りの場所であるのは間違いなさそうだったが、だからこそ何故という思いが込み上げてくる。
「まさか銃火器の使用が解禁でもされるんですか?」
同士打ちや傷害行為の危険性もあるが、実のところ傷を受けても怯まないモンスターを相手に銃弾はあまり効果的でない。
小銃クラスであればコボルト程度までなら圧倒できるらしいが、オーガのような巨体を持つ相手は余程の弾幕を張るか大口径弾でも用いなければ止められないだろうとは唯も思う。
そんな装備に弾薬を持ち込むのも一苦労で、銃が解禁されている海外における探索の進捗度合いが日本と大差無い理由でもある。
だからこそ今更そんな武装が解禁されるのだろうかと首を傾げたのだったが、その疑問は静によりあっさりと否定される。
「いえそれはありません、ここはあくまで――」
言いながら静は隅のロッカーへと向かい、何重かに掛けられたロックを解除していく。
随分と厳重に扱われているらしいそこから取り出されたのは見た目には明らかな銃器のようだったが。
「こちらのXREP発射装置の訓練室になります」
聞けば特殊な弾しか扱えなくした散弾銃モドキであるらしく、命中させればオーガでも十数秒は拘束可能というその性能を聞かされ驚かされる。
モンスターに電撃が有効というのも驚きだが、よく考えれば近接武器の戦闘に拘る必要は無いのだからあってもおかしくはない発想だった。
「まあ弾は有限ですから、これでも唯さん以上の成果は出せないでしょうけど。
そういえば唯さんはこちらの方もお得意でしたね」
言って静がまた取り出した、こちらは見慣れたAMAGI製の投擲斧、今も使用している『迅雷』と同じもの――いや、微妙に形状が洗練されている?
「こちらは今使用して頂いているタイプの更新版になります、折角ですし試し投げでもしてみますか?」
「それはちょっと興味ありますね、でも投げ斧なんかに使っても大丈夫なんですかここ?」
「構いませんよそれぐらい、ただ、そうですね……」
静の視線がこちらの上から下へ、見られているのはどうやら服装のようだった。
今身に着けているのは紗耶香に見繕ってもらった私服、上はゆったりとしたチュニックを着て下はデニム地のスキニーを穿いている。
何か妙なところがあっただろうかと自分でも確かめていると、また静がロッカーから別の物を取り出していた。
……一体どれだけのものを詰め込んであるんだろうか。
そう暢気な気分でいられたのも束の間。
「……更新って、こっちもでしたか」
「唯さんの装備は急造したものがほとんどでしたから、こちらの方が正式版といったところでしょうか。
着心地は問題ありませんか?」
十数分後、つい恨めしそうな声を出してしまっている原因は着替えることになった格好、細部に違いは見られるが例のほぼ水着のようなインナーだった。
髪は結い上げたし動きやすいのはいいのだが未だに人前でこの姿は恥ずかしいものがある。
「インナーとしての性能はまあ、問題ないと思います。そういえば静さんのは普通に上下分かれたタイプでしたよね、何で私のだけこんなデザインなんですか?」
「紗耶嬢の提案ですよ、唯さんなら似合うだろうって」
黒幕の発覚に頭を抱えたくなる。
確かに見栄えはいいのだろう、恥ずかしがらず堂々としていれば格好良くも見えるのかもしれない、けどそれが自分の身であると考えれば勘弁して頂きたい。
支援してもらっているのだから出来る限り要望には応えたいと思っているが、次の更新の際にここだけは修正してもらえるようお願いしよう。
今は諦めながらもそう心に決めておく。
「不便なところがあれば仰ってください、脱ぎにくいと催したときなど辛いでしょうし」
静も言うように生理的な現象は探索員にとっての大敵でもあるので、普通ならダンジョンへ潜る前に問題ないようしておくのが常だ。
しかし今の唯に限ってはその心配はあたらない。
「ああ、そちらは大丈夫と思います」
「……大丈夫、とは?」
「この体になってから飲み食いした物はほとんど消化できてるみたいで、滅多にトイレとか行かなくなっちゃったんですよ」
自覚するのにしばらくかかったことだが、身体能力もさることながら生理的な機能においても随分と変化してしまっているらしい。
それを聞いた静は珍しく口を半開きにして硬直していたが、すぐに立ち直り居住まいを正していた。
「それは羨ましい――いえ、これは不謹慎ですね。すみません」
「謝る事じゃありませんよ、それぐらい」
この体の変容ぶりには自分でも引いてしまうぐらいなので打ち明けたときにどんな反応をされても仕方ないとは思っている。
ダンジョン探索にはとても助かるとはいえ、異常なことには変わりない。
少し気まずくなってしまった雰囲気を切り替えようと用意されていた斧を手に取ってレーンに向かう。
最奥の壁に固定されている十字の入った丸い多重サークルのターゲット、距離は三十メートル程度だろうかと目測で大体のアタリをつける。
片手に柄を握り締め、後ろへと振りかぶり――
「ふっ!」
ありったけの力で踏み込んだ勢いを乗せ、投げ放つ。
綺麗に縦旋回しながら豪速で飛んで行った投げ斧はしっかりと狙い通りにターゲットの中心へ、爽快な音を響かせて斧刃を半ばまで食い込ませた。
手応えは悪くない、より投擲用に重心を調整してあるのか驚くほど綺麗に飛んでくれた。
「……相変わらず凄まじいですね」
「はは……オーガなんかはこれだけじゃ仕留めきれないんですけど」
「普通は投擲なんて刺さればいい方ですよ、唯さんなら人の首でも落とせそうですね」
空恐ろしいことを言う静に苦笑いしながら、投げた斧を回収。
思ったよりも新しい投げ斧の具合が良く、もう少し投げる感触を確かめておこうかと考えていた矢先に、部屋の扉が開かれた。
「紗耶香さん?」
用事を済ませた紗耶香が来たのかと思ったのだが、開いた扉の向こうに見えたのは予想外な人物達。
「あれ、香乃さん――」
学院の同級生でありこの間は一緒にダンジョンへ潜った二人、芳樹と梓。
何故二人がここに居るのかと考えること数秒、今自分がどんな格好をしていたかと思い当たり数瞬。
慌てそうになりながらも落ち着けと自分に言い聞かせる。
梓には似たような恰好を見られていることもある、同性同士でこの程度見られたとしても何の問題も無い。
梓は同性、芳樹も同性、どうということは――――あった。
「――う、わあっ!?」
「ちょ……ストップ香乃さん!」
「唯さん、いけません!」
恥ずかしさが込み上げてきてつい斧を振り上げてしまったのが投げつけようとしているようにでも見えたのか梓達からは怯えられ、静から制止されてしまう。
混乱したとはいえ決して人に対して斧を投げつけようとしたわけじゃない――本当に。
ガバりつつもなかなか一週間以内に更新間隔短縮できず申し訳ないです。
あまり気にしすぎるのは良く無いとは思っているのですがブックマークが500件を超えていたようで、先達の方と比べるとまだまだですが素直に嬉しいのでブクマ入れて下さった皆様ありがとうございます!
評価、感想下さっている皆さまもいつもありがとうございます、これを励みにまた頑張ります。