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2-4 侍従の真相


 就寝前の入浴時間、いつもなら少し熱く感じる程度の湯に浸りゆっくりと心身を落ち着けている――はずなんだけれど。

 今の精神状態はリラックスどころかガチガチに緊張しっぱなし、というのも背を向けてこそいるが、同じ湯船にこちらと違いれっきとした女性である紗耶香が浸かっているせいだった。


 深総市での固定した住居は彼女も持っているはずなのに、今日のようにふらりと様子を見にやってきたかと思うとそのまま泊まっていくことがこのところ頻繁にある。

 部屋は客室が空いているから良いのだが、こうして入浴中に押し掛けられるのには未だに慣れなかった。


 女性となってしまってから早二ヶ月余り、更衣室なんかで薄着、下着姿の女性と空間を共有することには適応せざるを得なかったが、こうして一糸まとわぬ姿を晒すこと、直視してしまうことにはまだ羞恥心を堪え切れない。


「無理しないでって……言ったよね?」


「聞いたね、もうしないとは言ってもいないけど」


 しれっとそんなことを言ってのける彼女にはもうため息を返すことしかできない、確かにこんなシチュエーションに慣れてしまえば学院やゲートの更衣室もなんてことないんだろうけど。

 これでも数ケ月前まで健全な一男子だったのだ、髪を上げているせいでよく見えてしまう白いうなじや鎖骨のラインなどが見えてしまうと多少なり悶々とさせられてしまう。


 湯に沈んだそこから下などもってのほかで、散々自分の体で見慣れているものではあるけれど、他人のものとなると感覚なんて全く違ってくるらしい。


「コウちゃんぐらいにスタイル良くても他の子のこと気になるものなの?」


「……一応自分の体だからねコレ、初めの内はそれでもきつかったけど、そういう目じゃ見れないよ」


 鏡を見る度に一々ドキりとしていた頃のことを思い出すと憂鬱な気分になりそうだった。

 見た目以上に男だった頃との感覚の違いが大きくて、余計なことを気にする余裕が無かったのは幸いだったかもしれない。


 ごく日常的な動作、歩くだけでも違和感はするし走る感覚なんて取り戻すというより一からフォームを見直さなければならなかった。

 男性と女性は骨格からして別物なのだと身をもって味わった、中学時代に陸上部として姿勢に気をつかっていたことが仇となるなんて思いもしなかったとも。


 良い見本となってくれた武術経験者の静がいなければリハビリにはもっと時間を要したかもしれない。


「そういえば紗耶香さん、百合原さんとは付き合い長いのかな?」


「まあ幼馴染みたいなものだしね。

 ……なぁに? もしかして静みたいな子の方がタイプだったのコウちゃんって?」


 気を紛らわそうと話題に出したつもりが妙に食いつかれ、振り向き身を乗り出してきた紗耶香から咄嗟に首を背けた。

 藪蛇を突いてしまった気分だ、何故かむくれたように頬を膨らませている紗耶香に慌てて弁明する。


「そういうのじゃないよ、お付きみたいな人連れてるなんて紗耶香さんの家はほんとにすごいとこなんだなって、ずっと思ってたからつい気になっちゃって」


「そんなこと? まあお付きって言っても静の家との付き合いとか、本当はもうそういうの全然関係ないんだけどね」


 おや、と予想外なその発言に虚を突かれる、てっきり古い主従関係の延長のようなものが続いているものとばかり思っていた。

 しかし思い返すと二人の関係についてこれまで深く尋ねたことはなく、静の態度から勝手にそう思い込んでしまっていた節がある。


「だって時代が時代よ? 昔はどうだったのか知らないけど今時そんな関係お仕着せるつもりなんて父様も静のご両親もなかったんだから。

 ただ……あの子のお婆様だけは違ったみたいでね」


 そのお婆様という人に可笑しいところでもあったのか、クスリと笑いながら紗耶香は内緒話をするときのように声を潜めて話の先を続けていく。


「静ってダンジョンでは長巻を使ってるでしょ? その指導と一緒に小さい頃からお付きの心得だとか教え込まれちゃったみたい。

 それがまあ中学に上がる頃には自分には特別な使命があるんだみたいな思い込みを見事に(こじ)らせちゃって、フォローするの大変だったんだから」


 そこで「つまり」と要約するように紗耶香が指を立てる。

 どうでもいい――いや良くは無いのだけどこちらを向いたままそんな真似をしないで欲しい、色々と見えてしまいそうでヒヤヒヤする。


「今は大分落ち着いた方だけどね、あれは静のいわゆる『厨二(ちゅうに)モード』なのよ」


「……ちゅうに?」


 聞きなれない単語をそのまま聞き返してしまうと紗耶香は「あれ?」と小首を傾げてしまう。

 そんなにありふれた言葉なのかと記憶を掘り返してみると中学時代、友達が貸してくれた漫画本にそんな言葉があったような気もしてきた。


「見たことがあるような気もするけど、どういう意味だったかな……」


 もっと詳しく思い出そうと試みるのだったが、脱衣所の方から足音が聞こえたことでそんな思考も途切れてしまう。

 今日の来客は紗耶香一人ではないのだ、というより紗耶香が来た日には彼女も一緒に来ていることがほとんどだった。


「紗耶嬢、居るんですよね?」


「うん、先にお風呂頂いてるわよ」


「懲りませんねまったく……唯さん、遅くなってしまいますから私も失礼しますよ」


 そう言ってすぐに風呂場の戸が開かれ、今しがた話題に上げてしまっていた少女、静が入ってきてしまった。

 紗耶香よりもこちらのことを男性として意識していないらしい彼女はタオルを腕にかけただけの姿でそのスレンダーな体をろくに隠しもしていない。


 とはいえ彼女も紗耶香同様に同じ年頃の異性、気にせず居られるわけもなくますます肩身が狭くなってきた。

 そんなこちらの心情を知ってか知らずか、体を洗うために風呂椅子に腰を落としてシャワーの蛇口を捻りながら静が顔を向けずに声を掛けてくる。


「やり方はあまりよろしくないと思ってましたけど、唯さんも大分女性慣れしてきたみたいですね」


「ええまあ、流石に――あ、ごめん、聞こえちゃってたかな」


 本当にこのやり方はどうかと思うけど、助かってしまっているのは事実だ。

 それはそれとして静のことを本人の居ないところであれこれ聞いてしまった後ろめたさについ謝りを入れてしまう。


「何がです?」


「うん、話の流れで紗耶香さんに百合原さんの中学時代のこととか聞いちゃったから」


「ああ、そんなことですか」


 まったく動じた様子も見せず静はシャワーで体を流し続けていた。

 こうした同年代としては思えないぐらい成熟した落ち着きぶりが彼女の大人ぶりを感じさせる。


 そう、この日までは思っていた。

 会話の途切れた空間に響くシャワーの水音がやけに単調だと思っていたら、いつの間にか静の動きが止まっている。


 それに気づいたのと、がばりと静が振り向き絶叫を上げるのはほぼ同時だった。


「何言ってくれちゃってるのよ紗耶香ぁ!?」


「は――!?」


 打って変わって慌てふためいたその表情と声のギャップに一瞬思考が固まってしまう。

 こっちを向いた姿を直視してしまいそうになって咄嗟に背を向けるも静の豹変は収まらなかった。


「どこまで、何を言ったの!?」


「まだ大したことは話してないわよ、静が中学の頃に厨二病を発症してたってことぐらいしか」


「それが一番知られたくないんでしょうがっ!」


 わめきながら紗耶香に向けて手桶まで投げる始末。

 それにカチンときた――風を装いからかいモードに入った紗耶香との間で何をバラすぞ止めろと言い争いが始ってしまう、そんなやり取りに。


 ――なんだ、思ったよりも普通の友達してるんだなと。

 ずっと世間離れした関係のように思っていた二人が案外そうでもないことを今日にして知ったのだった。





 ◆





「紗耶嬢から何を言われたのか知りませんが、私の中学時代については触れないようにお願い、します」


「もちろん、分かりましたから」


 風呂から上がりパジャマに着替えるなり釘を刺してきた静はそんな姿を脇で含み笑いしながら見ている紗耶香を睨みつける。

 話を聞く限りこちらの方が彼女の素らしかったけど、それでありながら普段あんな態度をつくっているのはよっぽどお婆様の教えとやらを気に入っているのだろうか。


 確かに普段の彼女は傍目にもクールで格好が良い、厨二というものがそれにどんなマイナスイメージを与えるのかは知らないが、本人が気にしているのなら触れないようにしておこう。


「ほら静、いつまでもそんなこと言ってないの、例の件はどうだったの?」


「誰のせいですか誰の……ええ、二人とも気付いてはいないようですよ、唯さんも直接的な発言をしたわけじゃありませんでしたしね」


 名前を出されてしまったが知らない話のようで、何のことが分からない。

 疑問が顔に出てしまったのか紗耶香がたいしたことはないと言わんばかりに手を振っている。


「まあコウちゃんにもそろそろ話さないとね。

 そういえば探索の方は順調みたいだけど今週末の予定はどうしてる?」


「ダンジョンに入るのはちょっと間を空けようと思ってるよ、昨日の件でまたちょっと目立っちゃったし」


 昨日の件、というのはあのミノタウロスを撃破した出来事だ。

 同じ日に北海道のダンジョンでも狩猟報告は上がったらしいが、国内で初の新種狩りであることには変わりなく、それも単独でやってしまったせいで学院からレポートを求められたり大変だった。


 他の生徒からもどんなモンスターだったかとアレコレ聞かれ今日は随分と気疲れしてしまった気がする。


「ちょっと、どころじゃないんですけどね、本当は」


 ぼそりと静の口にした指摘には言い訳できずただ苦笑することしかできない。

 あれが単独で撃破できるような相手じゃないことは流石に分かっている。


 本来ならもっと脚光を浴びる存在になっただろう北海道の探索員達には申し訳ない。


「それじゃあ週末はオフなんだ、デートのお誘いならいつでも歓迎するけど?」


「……デートかどうかはともかく、暇があるのならちょっとお願いしたいことは、ある」


 意外そうに見開かれる紗耶香の目。

 思えばモデル撮影だ食事だと彼女に連れ出されることは今までに何度もあったけど、こちらから頼むのは初めてかもしれない。


 その理由は内容が内容だけに口にするのも恥ずかしかったが――この体になってまだ数ケ月しか経たないというのに、ついパジャマの上から押さえてしまった胸の辺りからくる窮屈さが最近無視できなくなってきた。


「少し、サイズが小さくなってきちゃったみたいで……新しいのを、買いに行きたい、です」


 ダンジョンの稼ぎは順調で、不審に思われないよう実家への仕送り額もゆっくりしか増やせないので手持ちの資金には余裕がある。

 しかし肝心の仕入れたいもの……新しい女性用下着に対する知識がまったく無いのできちんとしたものを入手するには彼女達に知恵を借りるしかない。


 元男の身からすればこんなことを言い出さなければならないこと自体が軽い拷問のようだった。

 二人はしばらくポカンとしていたが、やがて紗耶香がうんうんと頷いてくれる。


 同世代の平均よりも大分と豊かな胸の膨らみを持つ彼女だけにこの悩みを理解してくれたのだろうか。

 対照的に、そちらも細身の静の方はその視線に含まれる温度が幾らか下がったような錯覚を覚えてしまう。


 静という少女との距離が狭まりつつも開いてしまったような気がする一日だった。

読んで下さっている皆さんいつもありがとうございます。

またちょっと間隔が空いてしまいました、他のダンジョンものと比べると日常比率多めになってしまいがちですがお付き合い頂けると嬉しいです。


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