2-1 ある家庭の朝
間隔空いてしまいましたが二章スタートします。
皆さままたよろしくお願いします。
体に身に着いた習慣で、この日も枕元の目覚ましが鳴り出すよりも早く目が覚めた。
目覚ましのスイッチを切り、もう一度瞳を閉じて布団に閉じ籠りたい欲求を振り切ってベッドから降りる。
カーテンを開くと眩しい朝陽が部屋一杯に差し込んで来ていい気つけになってくれた。
「う――ん、しょっと」
伸びをして体を解きほぐしたらすぐに登校の準備だ、中学の指定制服への着替えはすぐ終わるものの、もう一つの身支度に結構な時間がかかってしまう私は慌ただしく洗面所へと向かう。
「恵ー? 朝ご飯の用意出来てるから」
「ごめん、寝癖直したらすぐに行くから」
聞こえてくる母さんの声に応えながらドライヤー片手に鏡と睨みあうこと十数分、ようやく難敵を片付け人心地つきながらリビングへと向かう。
寝癖直しにどれぐらい時間をかけてしまうかすっかり分かってくれている母さんが用意してくれた朝食は今日も出来立てだった。
重なる「いただきます」の声は二つ、これが私と母さんの二人しかいない今のわが家の日常だ。
もう何年も前に父さんが身罷ってから残る家族は兄さん一人。
そんな兄さんも去年から迷宮探索員になったことで寮暮らし、家を出てしまっている。
父さんは保険金を遺してくれたけど亡くなったのがマイホーム購入直後だったこともあって、家の経済状況はよろしくなかった。
私達の世話をしながら働きに出る母さんを見てあの生真面目な兄さんが何を思ったのかは簡単に想像できてしまう。
本人は探索員がなんだか格好良さそうでやってみたいなんて言ってたけど、学生の内からお金を稼ぐことの方が目的だったのにはきっと母さんも気づいてたはずだ。
本当は探索員みたいな危ない職業に就くなんて止めさせたかったに違いない、でも誰に似たのか頑固なあの人は最後まで諦めてくれなかった。
去年の年末に帰ってきたときには大きな怪我もしていないみたいだったけど、私だって今でも心配している。
でも母さんの仕事が数時間のパートだけで事足りるようになったのは紛れもなく兄さんのお陰だ。
無理する母さんを見るのはやっぱり辛かったから、それもあって私は兄さんのことを責めることはできないんだろうなと思う。
「……あ」
鮭の切り身を口に運んだところで点けていたテレビの内容に気付いて思わず目を吸い寄せられる。
映っているのは見慣れない街並み、けれど画面隅の字幕がそれがどこであるのか教えてくれた。
迷宮特区、深総市。
兄さんが通い、暮らしている探索員養成校の所在地だ。
私の中学よりも登校時間が早いのか、学生さん達の登校風景を背にリポーターが最近の探索員業界の変化を語っている。
実質的に民間人にダンジョンを探索させるという行為が非難の的となって、探索員の制度が始まって間もない内は批判的な報道をするマスコミも多かった。
けれど最近では探索員の活動が華々しく語られたり、ダンジョン産の希少資源で発展した科学分野の成果など、プラスイメージなものがほとんどだ。
クラスのインターネットをよく見る男子なんかはスポンサーからの圧力がーとかなんとか言ってたけど、私からすれば兄さんのやっていることが悪く言われるのは嫌だし今の方がずっといい。
「あら、あの子の学校みたいね」
制服で気づいたらしい母さんもおっとりとそんなことを呟く。
そこには確かに身内が通っているはずなのに、こうしてテレビの向こう側にしているとなんだか遠い世界の事を話されているような気がするから不思議だ。
そんな気分に更に拍車をかけるような光景が画面に映って思わず口にしたお味噌汁をこぼしてしまいそうになった。
登校する学生達の中に一人、日本人離れした白い髪の女生徒が混じっている。
他の生徒達からも視線を集めてしまっているその女子にはリポーターもすぐに気付き、画面外のスタッフと何か相談したと思ったら追いかけ始めた。
突撃インタビューでもするつもりなのかと思ったら、ぎりぎり間に合わず校門に入ってしまった白髪の女子と入れ違いに恐い顔をした教員みたいな男の人が出てきてリポーターを止めてしまった。
『敷地内への許可なき入場はご遠慮願います』
『ええ少しだけ……だめですか? ……ああ、香乃さん、一言だけでもコメントを!』
諦めの悪いリポーターが門の向こうに呼び掛けていたけど、相手の女子は少し振り返るだけで申し訳なさそうに会釈だけして校舎へ行ってしまう。
「本当に居たんだ」
しっかりと映ったのは僅かな時間だったけど、その姿はすごく印象強く頭に残った。
今の探索員業界で、いやその枠組みも越えて日本中で話題になりつつある時の人――鉞姫。
まだまだ問題も多くて注目されやすい業界なだけに、初の単独A級探索員資格を取得したその少女の名前を知らない人の方が今では少ない。
すごい実力というだけじゃなく、あの容姿――顔立ちが綺麗ってだけじゃなくやたら腰が高くって細い、それなのに出てるところは出てる。
クラスメイトが持っていた探索員装備カタログMayesのモデルとして見たことはあったけど、同じ女子の身として羨ましいのを通り越して映画の中の登場人物のようにすら思えてしまうぐらい別世界の人、っていう認識だった。
「……今の子」
「ん――鉞姫のこと?」
そんなことを考えていたせいか珍しく食事中の箸を止めてテレビに目をやっていた母さんの呟きについ反応してしまう。
「鉞姫?」
「あの白い髪の子のことなら、そうだよ。
なんでもすごい大きな斧――鉞っていうのかな、使ってるからそう呼ばれてるんだって」
雑誌の写真に映る彼女、香乃唯の大鉞を手にした姿を見たらとても信じられなかったんだけど、そういうことらしい。
探索員っていう人達は常識で測れない存在になりつつあるらしくって、だからだろうか、この春には探索員が運動選手になれないことが正式に決まってしまった。
ダンジョンで活動し続けている人と、していない人との間で身体能力に不自然な差が出るとは以前から言われていたらしい。
映画のスーパーマンとまではいかないけど、同じ筋力量で出せる力に明らかな違いがあるとかなんとか。
探索員養成校の受験前にはそうなる可能性について兄さんもしつこく説明されていたし、中学の陸上部顧問の先生なんかはすごく残念がっていた。
「……まさかよね」
「母さん?」
「ああごめんなさい、もう食べ終わったかしら? 今お茶入れるわね」
何か考え事でもしてたみたいにぼうっとしていた母さんが甲斐甲斐しくお茶の用意をしようとしてくれている。
「いいよ、母さんまだ食べ終わってないでしょ?
お茶の用意なら私がするからさ、ゆっくり食べててよ」
「そう? ならお願いしようかしら、ありがとう恵」
育ちがいいというのか、母さんはいつもとてもおっとりしている。
子を養うのが親の義務とはいえ負担なことには変わりないのに、一人親になってからも嫌な顔一つみせず。
「気にしないでいいって、これぐらい」
母さんや兄さんと比べれば私なんて本当にたいしたことはしていない。
恥ずかしくって口には出せないけど、これでも二人にはいつだって感謝してるのだ。
ただ少しだけ、不満があるとするなら、その兄が最近電話をしてくれないことだろうか。
メールやSNSには応じてくれるし、家への仕送りも月ごとに欠かしていない。
でも何故か近頃、電話だけ機会に恵まれないのだ。
恋人じゃあるまいし、声が聞けなくて寂しいなんて言うつもりはない、けれど探索員なんて危険のある職に就いているんだから、声を聞けた方が安心できるというものじゃないだろうか。
「……まさか彼女でも出来たんじゃないでしょうね?」
ついそんな邪推をしてしまいながら、お茶の用意をしていくのだった。