0-2 迷宮特区
地下に設けられたダンジョンへの入場ゲートは更衣室や申請、収得品回収窓口など関係する諸々の施設がまとめられており、入口すぐの待合ロビーはダンジョンにこれから潜る、あるいは帰ったところの学生探索員達でごったがえしている。
ここ関東首都圏近くに発生したダンジョンには圏内に三カ所の入場ゲートが整備されていたが、いずれの場所から入るのも自由で学生達の制服が異なるのは珍しくない。
そんな中にあって、更衣室からダンジョン帰りのある女生徒が姿を現すと一瞬ロビー内の空気がざわつき、注目が集まっていた。
場の全員がじろじろとその姿を注視するわけではなかったが、大半の者が黒を基調としたワンピースの制服を着たその女生徒のことを気にする素振りを見せている。
そんな気配を感じ取れているらしく少女の方も気まずそうに視線を泳がせ足早に出口へ向かおうとするのだったが。
「あの――香乃さん」
後ろから掛けられた声にその足は止まり、振り向いた先に居た二人の男子、そして声の主である頭に包帯を巻いた女子に気づいた少女の表情が和らぐ。
「怪我は大丈夫だった?」
「は、はい! 少し縫っちゃいましたけど、大したことはないそうです」
「それなら良かった」
香乃と呼ばれた鉞姫との二つ名を持つ少女がふっと浮かべた笑みに、目の前に居た男子らだけでなくダンジョンで窮地を救われた女子までも顔を紅潮させ一瞬見入ってしまう。
瞳は形よく、睫毛はけぶるように長い、鼻梁もすらりと高くそこらのモデルでは到底及ばないと断言できる程に彼女の容姿が整い過ぎているせいだったが、自覚が薄いのか当の本人は三人の反応を怪訝そうに小首を傾げる。
「でも、あまり無理をしちゃいけないよ。最近はあの辺りでも二体以上のコボルト級に出くわすことも多いから、三人組で潜るのはちょっと危険だと思う」
「そうですよね……私達いつもは四人で組んでるんです、でもいつも一緒の子が体調崩しちゃって、危ないかなって思いもしたんですけど……」
女子の方も指摘された事実を理解してはいたらしく、申し訳なさそうにしながら言いよどむ。
その姿に少しの間考え込むようにしていた鉞姫こと、香乃という名の少女はそっと手を口ごもっていた女子の肩に乗せ瞳を合わせた。
真正面から見据えられた女子はどきりと胸を弾ませつつも、自分を見つめる赤い瞳が帯びる真剣な色合いに息を呑む。
「取り返しのつかないことになってからじゃ遅いから、ダンジョンで無理は禁物だよ、いつもと違うことがあるのならなおさらね。
お――私が言うのもなんだけど、出来るなら無茶はしないで欲しい」
途中で何故か言葉を詰まらせ、コホンと咳払いを挟んだ香乃を不思議そうに見ながらも、諫言は届いたらしく三人組は顔を見合わせ残念そうにしながらも方針を示し合わせたようだった。
「まあ、命あっての物種って言うしな、アイツが治るまでダンジョン入りは控えようか」
「流石にしょうがないよな……香乃さん、今日はホント助かりました、ありがとうございます」
改めて男子達から感謝の言葉を重ねられた香乃は照れるようにぎこちない笑みを浮かながらも、理解が得られたことでほっとした頷きを見せるのだった。
◆
ダンジョンからの帰り道、バスを下りここ一年ばかりの間にすっかりと開発が進み高いビルが建ち並ぶようになった通りを歩いていると、どうしても行き交う人々から視線を引いてしまう。
抜けるような白い肌に腰まで届く白の長髪、今の自分、香乃唯が客観的に見てこの日本では否応なく目立ってしまう身なりをしていることは分かっていたが、だからと言って気が楽になるわけではない。
おまけに大荷物まで担いでいるのだからちょっとやそっとのことでは目立ってしまうのを避けられないので、いつものように不審に思われない程度足早に今の住まいを目指す。
築二年と経たない、いかにも高級そうな高層マンションのエントランス、そしてエレベーターで昇った先の玄関でオートロックを解除し帰り着くとようやくの解放感に安堵の息が漏れる。
「はぁ……」
この生活を始め数ケ月になるがそれ以前の生活とのギャップのあまり未だに気疲れしてしまう唯はそのままベッドに倒れ込んでしまいたい衝動に駆られながらも自室へと向かい専用のラックにトランクケースをしまい鍵をかけておく。
探索員には武装の所持が許されているが持ち運びには国の定める規格に沿った造りのケースに収納しなければならないし、ダンジョンや訓練施設以外でみだりに扱えばすぐに違法となるので、日頃から杜撰な扱いをして気が抜けてしまわないように唯も戒めていた。
そうしてまた一息ついたところでなんとはなしに締め切っていたカーテンを開くと、程よく夕陽のオレンジ色が眼下の光景を照らしていた。
高層マンションの上階から見下ろす深総市の街並みは目新しい住居や施設が建ち並び、未だ不況から抜けきれないこの日本にしては景気よく開発が進んでいる。
二年前、日本各地の五か所に発生したダンジョンと『迷宮特区』として指定されたその周辺地域の有用性を生かす為の国内大企業による積極的な投資の賜物だった。
内部のある特殊な環境もあいまって未だ発生のメカニズムなど解明されていないダンジョンによる恩恵を受け、同時にある不利益をこうむることになった唯はそんな街並みを見るとつい物憂げな気分になってしまう。
ダンジョンが生まれてなかったら……どんな人生を送ってたんだろうな、俺は。
人前で口にすることのできなくなった一人称を胸の内で呟いていると、玄関のドアが開く音にハッとさせられる。
この家の鍵を持っているのは唯が知る限り他に一人しかおらず、リビングに向かうと予想通りの人物が入ってくるところだった。
「や、コウちゃん。ただいま」
「おかえりなさい、紗耶香さん。
でも別にあなたの家じゃないでしょうここ」
ゲートで見せた態度と比べいくらかぞんざいな対応で応じた唯と同じ制服姿の女子、紗耶香は愉快そうに笑みながら返す。
長く癖の無い艶やかな黒髪とシックなデザインが評判の区内第三校の制服もあってその姿は一見清楚な雰囲気を醸し出しているが、彼女自身はそんなイメージにそぐわない人であることを唯は知っている。
「気分の問題よ、それでもおかえりって言ってくれるなんて律儀ねコウちゃんは」
「……どうも、百合原さんもお疲れさまです」
「いえ、私達は今日潜っていませんから、ダンジョン帰りの唯さんほどではありませんよ」
共にやってきた同年代の女子、百合原静の紗耶香の傍らに控えるように立つ様は従者めいていたが、実際そう変わりない立場なのだった。
天城紗耶香、彼女は旧財閥系企業の流れをくむという大会社AMAGI、そのCEOの一人娘。
つまりは超のつくお嬢様で、百合原はまだ学生ながらそのお傍付きのような役割を任されているという、庶民育ちの唯からするなら小説の中のような話を聞かされている。
もっとも今では唯自身、そんな他人事のように語れない事情を抱えてしまってるのだが。
「わざわざこっちに来るなんて、今日はどうされたんですか?」
「用が無くても顔を見に来るぐらい良いでしょう?
まあ用事が無いわけでもないんだけどね、はいこれ」
そう言って差し出されたA4サイズはありそうな茶封筒を見た唯はぐっと息を詰まらせてしまう。
中身の予想がつき適当に言い訳をして受取拒否したい気持ちが頭をもたげるも、目の前の少女に強く反発できないし、しようとも考えてはいないのでやがては観念しそれを手に取った。
「――うわぁ」
封を開け中に収められていた予想通りの雑誌を引き出すと思わず呻きが口から漏れ出てしまう。
「うん、今月もイイ感じに撮れてるわね、プロデュースした身として鼻が高いわ」
言葉通り得意気に語る紗耶香の声も今は耳に入らない。
雑誌の名はMayes、AMAGIが扱うようになった迷宮探索員向けに販売されている装備のカタログ雑誌である。
探索員の総数は国内全て合わせても一万人に満たないというのに、Mayesは裕に一万を超えて売上部数を伸ばしていた。
AMAGIが手掛ける装備はデザインが洗練され見栄えを気にしてしまう十五、六歳頃の若い少年少女しかいない国内の探索員に受けが良いこともあるが、最大の理由は一目見た唯を慄かせた表紙にある。
そこにはダンジョン用の装備に身を包んだAMAGI探索員装備部門のイメージモデル、唯の姿が大写しになっているのだった。
当然表紙だけでなく、武器や防具の新作紹介ページにはそれらを着込み構えた写真もあり、中にはきわどいインナー姿のものまである。
装備の情報だけでなく、そんな写真目当てに探索員以外の一般人からも購読者が出ているという。
「やっぱり複雑な気分かしら?」
「複雑というか……罪悪感みたいなものを感じますよ」
本職のモデルならば自分を目当てにしてくれるというのは嬉しいことなのかもしれないが、唯にはそんな喜び方が出来ない事情がある。
「まあそうよね、元男の子のコウちゃんからしたら」
さらりと紗耶香が口にした言葉は知らぬ人が聞けば耳を疑うことだろう。
探索者業界での有名人となりつつある唯が男性であったなどと、しかしそれはごく一部の人間しか知る者のいない紛れも無い事実だった。
女性化願望などは無かった唯が何故そんな境遇を迎えるに至ったのか説明するならば二ケ月ほど前まで遡らなければならない。
香乃唯、元の名を湯井康哉という少年が死を迎え、生まれ変わったその日の出来事に。