1-16 鬼対峙
救難信号の元へ向かう道すがら、脇道から飛び出してきたコボルトを鉞の一振りで薙ぎ払う。
振るい付けてきた腕ごと両断された狗頭が吹き飛んでいくのを横目に唯は勢いを緩めず疾走する。
一人で相手取るには厄介とされるコボルトもゴブリン同様に相手になっていない。
十全に相手の動きを目で追えている上に反応さえできれば対応を間に合わせるだけの運動能力が今の唯にはある。
しかし中層帯でなら敵無しと言えるほどの能力差を実感しながらも胸騒ぎは収まらなかった。
道中ですれ違うこの一帯で活動する他の探索員達が巨大な得物を担ぎながら陸上短距離走者並の速度で駆け抜けていく唯を目を丸くして見送っている。
静達と別れてから何度目かのすれ違い、彼らにも救難信号は届いているはずで救援に向かおうとする者、逆に離れようとする者、様々だったが。
……妙に多いな。
深総区の地下全域に広がっているダンジョンの構造は広大で、本来なら別のチームと出くわす頻度はもっと少な目であるはずだった。
何故と巡らせた疑問の答えらしきものにはすぐに思い至る。
各校に新入生が入り、ダンジョンでの現地実習も増えてきたせいかこの日のゲートは普段より余計に混み合っていた。
いくら広いとはいえそんな新人探索員が溢れかえれば今まで浅い層で安全に活動していた者達の成果は落ちるし、それを避けたければ下の階層へ活動範囲を広げるしかない。
そんな理由から一時的に中層へ入り込む探索員が増加しているのではないかと推測することはできる、そうして経験の浅い探索員達が中層に入り込んでしまった結果が大量の救難信号なのかと考えながらも、今は必要のないことと唯は思索を打ち切った。
しかし第一の救難信号の元ではそんな想定を超える事態が起こっており、辿り着いた唯は思わず息を呑んでしまう。
傷だらけで力なく岩壁に持たれ、あるいは倒れ伏した少年少女達。
腕や足が有り得ない方にねじ曲がってしまっている者までいる、死屍累々と呼べそうな状況だったが彼らはまだ辛うじて息を保っていた。
そして今また一人の少年を盾の上から文字通り殴り飛ばした巨躯のモンスター、オーガこそがその惨状の原因だった。
本来、いや今までの常識で言うならこんな階層に現れるモンスターではない、しかしそんな存在が目の前に居る事実は否定したところでどうにもならない。
オーガを前にした唯の脳裏にはどうしてもあの日、首を刎ねられた記憶が恐怖の感情と共に甦ってしまう。
コボルトを圧倒したこの体はオーガの肉体に由来するもの、なら相手もまたオーガであったならその優位性は保証できない。
決して唯は思いがけず手に入れた圧倒的な身体能力に浮かれていたわけではない。
いくら探索員として実戦経験を重ねたとしてもその精神はこの日本で平和に生まれ育った十代の少年のもの、近づいてくる死に対する恐怖を振り捨てることなどそう易々と出来はしない。
そして、そんな恐怖を抱えたままに体を突き動かす感情を持ち合わせているのが唯という存在だった。
「――っ!」
歯を食いしばり、決意と共に眦を吊り上げ唯は今殴り飛ばした少年に止めを刺そうとしていたオーガへ突貫する。
横合いからの接近に気づき顔を向けるオーガだが、その反応は唯という並の人間と一線を画する乱入者を前にしては遅きに失した。
両手で大上段から振り下ろされた大鉞の刃は咄嗟に交差させ防御の形としたオーガの太い腕を輪切りにし、そのまま股座まで一息に唐竹割りにしてしまう。
その一撃は勢い余って轟音と共に岩盤を砕くほどの勢いで地面へ叩き付けられていた。
生命力が強いオーガと言えど頭から真っ二つにされては為す術も無く、大鬼の巨躯が切断面を境にずるりと前後に別れ落ちる。
その常識外れな光景にまだ意識を保っていた探索員達も絶句してしまっていたが一人、自失を免れた少年が叫ぶ。
「まだ――居る!」
声を聞くまでもなく、もう一体のオーガの存在に気づいていた唯は鉞を引き戻し迎え撃つ体勢を取る。
奥手で生き残っていたもう一人の探索員を打ちのめしたオーガが脅威と見なしたのか標的を唯へと変え襲いかかってくる。
大気を裂いて振るわれた剛腕を掲げた鉞の側面で受け止めた唯はその威力の重さに呻かされる。
鉞に添えた手から体へ駆け抜けたのは爆発でも起きたかのような衝撃の波を受け流しきれず強烈な痛みに襲われた。
ゴブリンやコボルトなどとは桁違いの膂力による一撃は受け損なえば唯であっても命がないことに変わりは無かった。
怯みそうになる意識を奮い立たせようと、間に鉞を挟んだオーガを睨み据える唯。
眼前のオーガの真っ赤な眼と眼が合う、瞬間に唯は頭の中が沸騰したかのような激情に支配された。
「なっ――!?」
それは唯となって初めてダンジョンに入った時にゴブリンを目にしたときと同じ現象、ただその激情の丈があの時の比ではなかった。
怒りを通り越し、憎しみと呼ぶべき暗く歪んだ感情が押し寄せてくる。
何に対してそんな感情を抱いているのか、そんな事を考える余裕も無いほどただ憎いという思いがオーガから伝わり、唯の精神を染め上げようとしていた。
呼吸が乱れ、全身から力が抜けていく。
盾としていた鉞が徐々に押し込まれていき、震える膝が折れ地についてしまう。
謎の体の変調に苦しみながらも唯は意識だけは手放すまいと顔を上げる。
見上げた先のオーガは女型、奇しくも康哉が死を迎えたときと状況は似ていたが、今度はあのような生き残り方は望めないだろう。
刹那に脳裏を過るのはあの時と同じように母と妹の思い出姿――そして手を差し伸べてくれた少女と置いてきた仲間達の顔。
仄暗い感情に濁された脳内にそれが思い浮かんだ瞬間、唯の頭の中が灼熱した。
「ふざ――けるなよっ!」
過去と今、唯にとってかけがえの無い人達、傷付けたくないと想う人達。
そんな人達に頭の中を埋め尽くそうとしていた憎しみが向けられようとするのを唯の内から溢れた怒りが拒んだ。
感じさせられていた歪んだ感情が頭から弾きだされ、再び四肢に――それまで以上の力が戻る。
拳が押し返されだすとオーガはすかさずもう一方の腕で鉞を避け殴りつけようと試みるのだったが、迫る拳を唯は片手で真っ向から握り止めた。
オーガが咄嗟に引こうとした拳はしっかりと握り締められ微動だにすることもできなくなっていた。
そのまま唯は掴んだ拳ごとオーガを振り回し背中から地へと叩き伏せる、それは二メートル以上の身の丈があるオーガが一人の少女に振り回されるというまるで冗談のような絵面だった。
「お前達が何をそんなに憎んでいるのかは分からないよ、けど――」
大の字に倒れ込んだオーガの直上で、掲げられた大鉞の刃が煌めく。
今感じたものが何だったのか、何故モンスターがそんなものを抱え込んでいるのか、唯には理解することができない。
――ただ一つだけ言えるのは。
「それを受け入れることは、できない」
その呟きと共に振り下ろされた鉞が、不可思議な感情で訴えかけながらも何も言うことの無いオーガの首を伐り落とした。
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