1-15 変わらない思い
ダンジョン内では中継器が設置できないしがらみ故に電波の届く範囲は限られる。
中層からのものと予測しながらPDAを取り出し立体マップを出力する唯だったが、映し出された映像の異様さに息を呑んでしまう。
救難信号の発信源を示す赤い光点は確かに中層帯に存在していた。
しかしその数は一つではなく、感知できる範囲だけでも十近い箇所から発せられている。
逃走中なのかめまぐるしく動き回る信号もあれば、微動だにしないものもある。
状況は掴めないものの急を要する事態なのは間違いない。
即断した唯は左籠手のスリットにPDAを差し込むと出力したままのマップから最寄りの信号を見定めていく。
その行動に何をしようとしているのか察した芳樹と梓が血相を変えた。
「待ってくれ香乃さん! どうする気だよ?」
「勿論――助けに行くよ」
「いやダメだよ! 香乃さんがすごいのは分かってるけど危ないって、まだどれだけ潜ってられるかも分からないんでしょ?」
梓が口にしたように唯はまだダンジョン内での活動限界が把握できておらず、そんな状態で下層へと向かい下手を打てば生きて帰れないかもしれない。
加えて救難信号の多重発生という滅多に見られない異常事態も二人の懸念に拍車をかけているのだろう。
いくら中層から先は手強いコボルトが出没しはじめるとはいえ、これだけの数の探索員が一斉に窮地に陥るとは考えにくい。
何か予想外のトラブルが起こっているのではないかと予想するのには十分、そうしたリスクを回避することも探索員には必要な判断だ。
この場に居合わせたのが以前までの唯――康哉という一人の探索員でしかない少年であったなら、自身の手に余る事態だとゲートへ応援を求めに戻ったかもしれない。
しかし生まれ変わった自身の身に秘められた力を知った唯には可能性を見出せてしまう。
今の自分なら助けられるかもしれないと。
一度死を迎え、体が別ものにつくり変わろうとも、康哉の信念は変わらず定まっていた。
「百合原さん、先に戻ってゲートに説明と応援の要請をお願いします」
「気は乗りませんが、止めても無駄みたいですね。そんな貴方だから紗耶嬢も推してるんでしょうけど……」
不服そうにため息を吐いて見せながらも止めることを諦めている静に、芳樹と梓が信じられないというように目を剥いてしまう。
「仕方ないでしょう、唯さんはそういう人なんですから、本当に――死んでも治りませんね」
「そんな言い方……っ、なら私も――」
一緒に行く、と言い出しそうだった梓に唯は首を振って拒絶する。
愕然とする少女の顔に申し訳なさを感じてしまいながらもそれを許すことはできなかった。
「多分私だけの方がずっと早い、それにきっとかなり無茶しちゃうから――付き合わせるわけにはいかないよ」
これだけの数の救難信号を回るには相当無理をして駆け回る必要がある。
普通の人間ではまず体力が持たないし時間も足りないだろう、本来ならこうして話している時間も惜しいのだが。
「……また、こんな……嫌なのに……」
表情をくしゃりと歪めた梓の今にも泣き出してしまいそうな姿に目を離せなくなる。
元から彼女の態度には装っているような雰囲気を感じていた、普段見せていた軽い印象は影も形も無く、ひょっとするなら余裕を欠いたこちらの方が梓の素なのかもしれない。
「……助けてもらえるのは嬉しいよ、でも……勝手なこと言ってるって分かるけど……助けてくれた相手がどうにかなっちゃったら――辛いよ。
謝れもしなくなっちゃったら……助けてって言ったこと、ずっと後悔するんだから……無茶はしないで」
「――長瀬」
弱々しくも言葉を絞り出した梓を見る芳樹の顔に沈痛な色が差す。
彼女自身の言う通り、それは身勝手な言い分だ。
あの日、自分を助けた康哉が意識不明の重体となったとしか知らない彼女はそんな素振りを見せずにいたが、ずっと自分を責めていたのだろう。
康哉が生きて帰っていれば謝罪を受け入れ彼女の気を紛らわすこともできたかもしれないが、そうはならなかった。
自分達が原因となり一人の人間の人生を歪めてしまった責任から目を逸らせないでいる彼女は実際には真面目な気性なのかもしれない。
彼女に苛立ちを起こしていた芳樹もそれを察してしまい、気を削がれてしまっている。
もしまたヘマを踏めばまた梓のような人を生み出してしまうかもしれない。
だとしてもやはり――唯は立ち止まる気にはなれなかった。
「長瀬さん」
梓の震える瞳をじっと見据える。
あの時の自分の行動が彼女にどんな気持ちを抱かせたのか、察することはできても完全に理解することは出来ない。
別人なのだから当然だ、だからどんな言葉をかければ彼女の不安を拭い去ることができるのか分からない唯はただ一つ、確信できる思いを伝える。
「どんな結果になったとしても、後悔はしないよ。私がやりたくて、やってることなんだから。
長瀬さんを助けた彼も同じ気持ちだと思う」
それだけは間違いないと言い切れる、他でもない自分自身の気持ちなのだから。
「だから謝る必要なんて無いんだよ、こうしないと気持ち悪くてしょうがないからやってるだけなんだから。
身勝手なのはお互い様」
それが偽らざる本音、自分自身の欲求を満たしたいがためのエゴイズム。
唯はその衝動に枷を嵌めることが耐えられない、ただの未熟な人間なのだった。
「先に戻ってて――今度はちゃんと帰るから」
「――え?」
放心したように固まっている梓と芳樹に背を向けて、あの日と同じように唯はダンジョンの奥へと駆け出した。