1-9 探索員の試練
「電源入った? 何も無いのに映像途切れたりすると後で呼び出しくらったりするから、気をつけてな」
唯達は入場口手前の窓口で受け取った必携品のPDA、そして小型装備カメラをセットし、出発前の最終確認を行っていた。
装備カメラの映像は最新のチェック機器にかけられ何らかの異常があれば人の目による確認が入り、不審な行動でもとっているようならば事情聴取を受けさせられる羽目となる。
カメラはメインとサブの二つ用意され、モンスターとの交戦でどちらかが故障するようなことがあれば速やかに帰還しなければならない。
これも海外と比べ国内の探索における規則が厳しいと言われる要因だったが、お陰でダンジョン内での犯罪行為はこの一年の間ほとんど起こっていない。
探索員装備にもこのカメラを装備できる規格が求められ、唯の身に着ける戦国時代の具足をスマートにしたようなデザインの胴鎧にもカメラをセットできる構造になっている。
セットしたカメラに電源が入っていることを改め確認している唯だったが、視線を感じて顔を向けると今回のチームメイト、亮太がまじまじと見つめてきているのに気づいてしまう。
「どうかしたかな?」
「いや、装備すっげーなって思ってさ、それ全部AMAGIブランドだろ。
……つーかそれ、マジで扱えんの?」
鎧の下の半着にたっつけ袴も全て特殊素材製の高級品と呼べるレベルのもので揃えられた唯の装備を見る彼の目には羨望が見え隠れしていた。
しかし昨日、入場審査に立ち会っていないその場のメンバーは背に担がれた大鉞を流石に胡乱な目で見てしまう。
「和風テイストって感じ? まあでも確かに、大丈夫なの香乃さん」
「うん、そこは大丈夫」
そればかりは言うよりも見せるのが早い、唯は背の雷覇を抜くと何も無い空間へ縦に一振りしてみせた。
床を打ち付けてしまう手前で寸止めされ、びくりとも震えない鉞に梓達は目を丸くしている。
「噂は聞いてたんだけど、すごいな。
でも香乃さん一応ルールだから、ダンジョンに入って最初に出くわしたモンスターは……」
「はい、もちろんそこは理解してます、無理はしませんから」
念を押す芳樹には唯も頷きを返す。
唯達、新米の探索員は最初に遭遇したモンスターの対処には手を出さず、同行者に任せるよう申しつけてあった。
早く戦ってみたいとばかりな雰囲気を漂わせている亮太は若干不満そうにしていたが、彼もその訳をすぐに理解することになるだろう。
ごつごつとした岩肌だらけのダンジョン洞窟内へ足を踏み入れ歩くこと数分、早くもその機会は訪れた。
先頭を歩いていた芳樹が他の面々を手で制し皆が足を止めると、緩く曲がっていく通路の先から小さな影が姿を現すところだった。
数は一、子供程の小さい身の丈をしたそれ、ゴブリンは芳樹らの姿を視認するなり、ぎらりとした牙の覗く顎を開くと、けたたましい叫び声を上げる。
耳をつんざくような絶叫が反響し空気を震わせる、それだけでも慣れない人間には堪えるものだったが。
「――っ」
対峙したゴブリンの爛々と輝く赤い眼を見てしまった亮太が呼吸を忘れたかのようにして息を詰まらせている。
これが映像記録では体感できない、探索員になった者の最大の難関だ。
ダンジョンのモンスターの目には動物から向けられるものとは思えないほど生々しい『感情』が込められている。
目の前の生物から恨まれ、殺されようとしている、それは凶器を手にした殺人鬼を前にしてしまったような衝撃で、大抵の日本人はそこまでの狂気に晒されることに慣れていない。
結果として初めてモンスターと対峙した人間はその大多数が萎縮し、大きな隙を晒してしまう。
唯も康哉として初めてダンジョンに入った際には同じような状態になったものだった。
しかし場数を踏むにつれ徐々に耐性もつき、今更ゴブリン程度の威圧感に屈してしまうことはないと、思っていたのだったが。
――これ、は。
まるで殺意を脳髄にまで直接届かされてしまったかのようで、覚悟していた筈の四肢が言うことを聞いてくれない。
生々しいどころではない、まるで自分が生ある者に対する恨みを抱いてしまっているかのように錯覚に胸の内が締め付けられる。
ここまでの影響を受けてしまうことなど今までに一度も無かったのにどうしてと混乱に陥る中、既にゴブリンは唯達へと駆け走ってきていた。
だがそんな動けない二人の前に、同行する芳樹と梓が静かに前へ出ると立ち塞がる。
まず芳樹が長方形の盾を水平に構え、突進してくるゴブリンの顔面へと叩き込む。
無防備にそれを受けてしまったゴブリンは仰向けに倒れながら疾走の勢い余って滑るように地面へと転がされた。
そこへ狙いをつけていた梓が大上段に構えた獲物、刀身の先が広がった形状の両手剣を振り下ろし、一太刀で首を両断してみせた。
流石に一年近く探索員を続けている二人にとって一体程度のゴブリンは大した障害になりえないらしく、処理を終えた死骸が溶け消えていくのを見取る二人は息一つ乱していない。
「とまあそんな感じだ、初回探索が実習に組み込まれてる訳、分かったかな?」
「……あぁ、悪ぃ。確かに今のはきつかった」
深く息を吸ってようやく一心地はついたようだったが、亮太の顔にはまだ青気が差していた。
「香乃さんも大丈夫? 結構堪えたみたいに見えたけど」
「うん、ごめん。もう少し動けるって思ってたんだけど……」
予想外な自身の反応に唯は大きなショックを受けていた。
おそらく亮太が感じただろうものとは別の感覚に、何が原因となって今のようなことが起こったのだろうかと思考を巡らせ思い当たるのはやはり、今の体の元となったモノの存在。
変質してこそいるが唯の肉体は元々オーガのものである筈だ、突飛な発想ながらもそれが何らかの影響を及ぼしていると考えるのには十分な変化だ。
「気にしないでいいって、初回の探索はまずこれに慣れることがお仕事みたいなもんだからさ。
むしろなんか安心したよ、香乃さんって規格外な感じ溢れてたから、そういう普通なとこ見れて」
笑って見せる梓になんとか微笑みを返しながら息を落ち着けていると、不意に先頭の芳樹が表情を引き締めまた洞窟の奥へ向き直る。
「……間が悪すぎだろ、ったく」
悪態をつく彼の見やる先では、今しがた彼らが屠ったものと同種のモンスター、三体のゴブリンが先を争うように駆け走ってきていた。
先程の叫び声がたまたま近くにいたそれらを呼び込んでしまったのかもしれないが、こんな入ったばかりの地帯で二体を越える数のモンスターに出くわすのは稀なことだった。
「長瀬さん、俺が二体抑える、その間に仕留めて行ってもらえるか?」
「――オッケー。なるべく手早く済ませる」
淡々と応じる二人だったが、その表情は固い。
ゴブリンはモンスターとしては最下級の種族であったが、侮っていい相手ではない。
鋭い爪は勢いさえ乗れば彼らが身に着けた防刃繊維によるジャケットを十分に切り裂けるし、知性がない故による考え無しの特攻も場合によっては脅威となりうる。
数で有利を取られてしまったこの状況では特に、防ぎ損なえば万が一もあり得た。
「香乃さんと三井は下がってて――」
「大丈夫」
芳樹と梓、初ダンジョンの二人の安全を確保しようとしてくれていたのだろう二人に唯は力強く、見えるようにしっかり頷いてみせる。
ゴブリンからは変わらず波濤のような思念が伝わってきているが、唯は数度の呼吸の後に、それを振り切った。
こんな憎悪に満ちた感情は自分のものではない、そう断じることができた唯は今度こそ自身の体を律しきる。
「長瀬さん、討ち漏らしたら、トドメをお願いします」
「トドメって……ちょっと――!?」
梓は両手剣をメインに扱う攻め寄りのスタイル、本来なら守り手に回るのには向かないはずだった。
それを察した唯は地を蹴って彼女を追い越し、芳樹が抑えきれず取り零された一体を迎え撃つ。
ゴブリンの体格は大の大人ほどではないが、見た目以上の力はあり突進からの飛び掛かりはなかなか捌きづらい。
けれども自身の身の丈に届くほどに長大な得物、大鉞を手にした唯にとっては障害になり得なかった。
袈裟懸けに振り下ろされた斧刃がゴブリンの痩躯を断ち切り、鉞の振るわれた軌跡を境に伐り飛ばされた小鬼の体が斬撃の余波で吹き飛んで行く。
そのまま芳樹の長剣と中盾により牽制されていたゴブリン二体の元へ駆けこんだ唯の鉞を振り上がる。
大気を轟と震わせながら叩き下ろされた鉞は反応させる間も無くゴブリンを頭から真っ二つに両断してしまった。
瞬く間に同種二体を屠られた最後のゴブリンはたまらず芳樹から離れたが、それでも怯える感情は持たないのか唯へと躍りかかる。
だが芳樹達同様、一年近い探索員としての経験を持ち合わせる唯にとって、それは見慣れた挙動の一つでしかない。
地面にめり込んでいた鉞を引き上げると、棒切れを振るうような軽やかさで翻し、足元を刈り払う。
あっさりと体勢を崩し転がるゴブリンに真上からギロチンの刃のように迫る斧刃を防ぐ手立てなど残されてはいない。
呆気なく刎ね飛ばされる小鬼の首、こうして第二のダンジョン初戦闘、唯は自身の力を余すことなく発揮し圧倒的な蹂躙劇を繰り広げた。