出目金
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会社で仕事を終えて帰宅するときに、強力なゲリラ豪雨に見舞われてしまった。
道は川のようになるし、電車は運転を見合わせていた。
駅の中で30分を過ごした時点で帰る事を断念する。
仕方がないので近くのビジネスホテルに泊まることにした。
未だに粘っている人がいるのか、ホテルの前にはそれほど人混みはない。
しかし、受付を待っている間に俺の後ろに列が出来る。
案の定、俺のすぐ後に満室。
なんとか泊まることが出来た俺は、4畳ほどの長方形をした部屋へと入った。
ベッドが置いてあるだけの簡素な部屋。
部屋の奥にある窓のカーテンを開けて、外の雨の様子を見る。
窓の外には金魚が浮いていた。
出目金。
それが雨に打たれながら空に浮いている。
最初は小さくて手の平に乗るような大きさだったのだが、段々とその姿が大きくなっていき、ヒレの動きや体を揺らして泳ぐ姿がはっきりと見えてくる。
数秒考えて、出目金がこちらに向かって近付いて来ている事に気づいた。
不思議で幻想的な光景を目にして呆然としていた俺だったが、ふとスマホで写真を撮ろうと考えて、ポケットを探ろうとして体を捻った。
偶然に後ろの様子が目に入る。
本来なら入り口がある場所に、部屋いっぱいに広がる巨大な口が待ち構えていた。
顔の鼻から下、顎の部分までが部屋の天井から床までを埋めている。
口の周りには立派な髭が生えている。
動物や鬼の口ではなく、人の口だった。
体ごと振り返る。
口が大きく開いて、こちらに迫ってきた。
とっさに横に飛んで避ける。
だが、壁にぶつかり座り込んでしまった。
顎の部分が跳ね上がり、巨大な口がベッドの上を通過する。
目の前で、独特な音を立てて歯が閉じられた。
部屋の角に座り込んだ俺のすぐ前に、閉じられた口の唇と髭があった。
手を伸ばせば届くような距離。
俺を食い損ねた口は目の前で「チッ」と一回舌打ちをすると、煙が風に飛ばされて消えるように掻き消えた。
しばらくは体が強張ってしまい、驚きと恐怖で動けなかった。
5分ぐらい呆然としていただろうか、起き上がって窓の外を見たが、そこにはもう金魚はいなかった。
フロントに電話して部屋を変えてもらえないか確認したが無理ということで、俺はホテルに泊まるのを諦める。
川になった歩道を、ずぶ濡れになりながら移動して、夜を過ごせる場所を探した。
結局、ネットカフェも満室だったので、スーパー銭湯で時間を潰して過ごした。
あの夜の出来事は未だに何だったのか、自分でも説明がつかない。
おかしなものを見つけたら、一度は後ろを振り向いたほうがいいのかもしれない。




