あなたの幸せは、私の幸せになる。
長くなったので、活動報告から移しました。
あなたの幸せは、私の幸せになる。
楽しければ続けたい。
辛ければ止めたい。
それが普通の反応。
でも譲れないのに、大切なのに、諦めるのは悔いが残ります。
自分は諦めた。だから、頑張る人が妬ましい。
そういうこともあるでしょう。
それでも、頑張ろうとしてる人は応援しませんか?
手を出さず、心の中で構いません。
そして、あなたは諦めたかったのですか?それとも応援してほしかったのですか?それを考えてほしい。
自分にできなかったことを後進に期待していいと思います。
出来なかった自分を重ねて、応援してもいいと思います。
人のためと考えるのではなく、あなたのためという考えでいいと思います。
人の応援をすると、心が温まります。そのパワーをもらう。それはあなたを自身を縛っている妬みなどの負の感情を和らげることにつながります。
相手のことを考えることによって、自分が得をする、そう考えれば、相手のことを思いやる気持ちを持つということはあなたの幸せに通じる、そう私は思います。
メモ
(もとはコメントでした)
こんなところに書いても誰も読んでくれないとは思うけれど、やっと自分は随筆を書いている、ということに気づきました。エッセーとも言うらしいですが、カタカナ語感はあまり好きではないのと、偏見だと思いますが、意見を良い、悪いで判じすぎるイメージがあって、馴染めませんでした。外来語より日本語の方が好きですね
。というのは個人の感想です。
語りかけるように書いていますが、言いたいことの根本は子供を諭しているだけの話。昔、町のじーさんに悪いことをしたら拳骨を落とされ、良いことをしたら、柿を持たされると同じこと。今の時代は拳骨を落としたら訴えられそうですけどね。
たとえ、拳骨を落とされたとしても、親としては子供が拳骨を落とされた理由を知り、子供が悪いことをしたら謝らせる。それでいて、「ちゃんと謝れて、えらかったな」と抱きしめてやったり、背中をぽん、と叩いてやる流れがないと子供のためにならないかと思います。
拳骨を落とされたという事象だけに囚われないで、なぜ?、どうして?ということを考えてください。最後まで子供の味方になるのは家族ですが。間違ったことまで守るのは過保護です。あなたの見る目はくもってませんか?
親と子の話として書きましたが、物書きも同じこと。自分の作品を見る目が曇ってませんか?
相手のことを考えて書いているた文章は飲み込みやすい。
そうでない文章でも得る場所があれば取り入れ、そうでなければスルーしてください。
ひど過ぎて無理だと思ったら、読むのを止めればいい。
そんで、終わったらまた気分転換するんです。
わーっと騒いで、それでもまだ刺さる意見なら、自分に響いた意見です。
取り入れる価値があります。
ただし、これには罠があって、「正しい」にはとらわれないということを忘れないでください。
俳句の作法として「正しく」ても、小説の作法に当てはめるのは、おかしいですよね
透明感のある瑞々しい作品を作りたくて書いたのに、相手の逃げ道を封じるような説得論とか打たれても困ります。
何を取り入れて、何を要らないとするかは感性と経験かと思います。
そういう意味での感想という交流の活発化はした方がいいと思っています。
そうそう、これも言わなければ
「あなたの作品はあなた自身ではありません」
作品というのは物書きが過去に作ったものです。それはどんなに頑張っていても今とは違います。今、18として、おばあちゃんに、昔の話をされたら、もう18なんだから、そんなことは出来るよ。と昔のこととして見つめることが出来ます。でも、物書きが出来立てホヤホヤの文章を持ってきて、感想を返してもらい、そこで嫌なことを言われると、自分が嫌なことを言われたという錯覚を得ます。
それは、私の自信(渾身の作品が悪いはずがない!)とか、良性の反応(褒められる)を期待してるから。そして、盛り上がって、自分の作品を冷静に見ることができないから、と思っています。
冷静になれれば、あれ、私の作品は自分が言うほどよくないのかも……?と考える余裕が出る。
卑近な例で言うと、学校の自由研究とか(今はあるんだろうか?)
私の渾身の作品は〇〇ちゃんの作品と比べるとショボくて涙が出る。
という経験はありませんか?
他と比較して、いい点悪い点を見つけ、そして、次の作品を作る。来年は〇〇ちゃんに負けないようにもっといいのを作る!として、過去の作品より良いものを作れば、あなたは成長しているという実感が出る。
それが本当の自信につながると思いました。
勢いで書いた。という作品を否定しているわけではありません。
私自身もほぼ勢いで書いてますし、エネルギーは形にしないとどっかに行ってしまいます。
熱いうちに書きましょう。ただ、経験的に言わせてもらうと。勢い作品はあとで身もだえしてゴロゴロ転がります。それは理解してね?
宗旨替えについては書くつもりはありません。
感性が変わるについてもおいといてます。