隣家の秘め事
かなり血生臭いです。ご注意を。
ここはいいわねえ。
ねえ、ユキオ。
静かだし。
誰も来ないし。
ここならゆっくり出来るわよね。
ずっと、忙しかったもんね。
あなたは「忙しいから会えない」ばかり言ってたから。
ここに決めて良かったわ。
ちょっと、狭いけど。
ちょっと、駅から遠いけど。
大丈夫。あたしが綺麗に掃除して、買い物も全部やるから。
「愛してる。ねえ、愛してるわ。タツヤ。」 ……また。
まただ。
隣から聞こえてくる声。
毎日、毎日、うるさいのよ。
「ふふ。うふふ。好きよ。タツヤ。ずっと、一緒よ。」
舌足らずの女の声。
「やめて。止めてよお。駄目。あん……」
甘い声が聞こえてくる。
ちょっと、止めてよ。
あたしたちの時間が台無しじゃない。
「あん。駄目ってば。だあめ……」
そして、始まる隣家の秘め事。
全て丸聞こえだ。
いやらしい。いやらしい。いやらしい。いやらしい。
ああ、もう!我慢できない。
台所の包丁を掴んで走った。
隣家の扉を力一杯ノックする。
その衝撃で扉が開いた。
躊躇なく、怒りのままに部屋に踏み込む。
「愛してる。愛してるわ。タツヤ。ねえ。」 突然の来客にも変らぬ女の声。
彼女は部屋の真ん中に立っていた。
その身体を支えるのは、手足に打ち付けられた錆びた鉄板。
血の気のない裸体を隠しもせず、濁った目には何も映らない。
床に溜まっているのは、どす黒い液体。
「ひっ。」
異様な姿に息を呑むと、あたしの足元で何かが動いた。
それは細い手を伸ばし、あたしのスカートの裾を掴む。
「やっと、元気になったんだね。ユリコ。」
死人のような顔色のくせに、目だけはらんらんと輝き、汚らしい歯をむき出して笑う。
「動かなくなった時はどうしようかと思ったよ。ユリコがあんまりうるさいから、口を塞いだだけなのに。」
枯れ木のような手足を動かして、あたしににじり寄る。
「身体が固くなったから、柔らかくなるようにマッサージして、立てるように手足を強化して、喋れるようにスピーカーをつけて。」
あたしは『彼女』をもう一度見つめた。
半開きの口から、丸い器具が覗いている。
あの耳障りな声は、そこから聞こえてきていたのだ。
「苦労したよ。だけど、元気になった。僕のユリコが帰ってきた!」
悲鳴のような喜びの声を上げ、それはあたしの手を掴んだ。
吐き気すらもよおす嫌悪感。
声にならない悲鳴を上げて、あたしは包丁を振り上げた。
包丁を持った女性が、血まみれで道路をさ迷っているとの通報を受け、二人の警官が出動。間もなく、通報どおりに女性を発見し、保護。事情聴取を行った。
「たった今、人を殺してきた。」
耳を疑う彼女の言葉。
半信半疑ながら彼女の証言に従い、廃墟同然の古びたアパートの一室に向かうと。
体中を刺され血の海の中で絶命している男性と、すでに腐敗している女性の死体だった。
室内には腐敗臭がたちこめ、頭痛すら伴う強烈な匂いは部屋の外まで漂っていた。
――隣に住んでいながら、何故この腐敗臭に気付かなかったのか。
そんな疑問は、警官たちが彼女の家を覗いて氷解する。
部屋の中には大量の消臭剤。
と。
腐りきった男性の遺体が転がっていた。