弁舌家かあるいは詐欺師か
6章
「朝夏ぉ〜…」
砂場から土まみれになって這い出してきた輝月の第一声は、実に深い恨みのこもったものだった。もともと大きい目はさらに大きく開かれ、同じく大きい口からは牙がはみ出している。頭のてっぺんをふたつぐくりまにした頭は見る影もなくぼさついていた。二日前に買ったとかいうキュロットは、繊維の隅々までまんべんなく土が入り込んで台無しになっている。
「輝月…大丈夫?」
「大丈夫、じゃねーよ!」
輝月はすごい勢いで朝夏の胸ぐらを掴んだ。
「朝夏! いい度胸だな、このあたしを踏んでくれるとは!!」
「えっあいや…」
「おかげで全身土まみれだ! 覚悟はできてんだろーな!!」
輝月が拳を振りかぶった瞬間、
「待って!!」
夜蓮が素早く静止の指令を出した。輝月は動きをピタリととめる。
「なんだよ夜蓮、早く言えよ」
「今、『おかげで全身土まみれ』って言ったわね?」
確かめるように夜蓮は静かに問いただした。小さい声だが、妙に迫力がある。いつもは強気な輝月がやや押されているようだ。
「い、言ったけど…」
「それはおかしいわ。だって、土まみれになったのは輝月が自分で砂場に入ったからでしょ。朝夏のせいにしちゃいけないわ」
輝月はぎょっとしたような顔をした。
「でも、踏まれて…」
「立ち幅跳びをしてただけよ。やってる最中に輝月がいることに気付いたの。ねっ、朝夏」
夜蓮の口元には笑みが浮かんでいる。だが、目は笑っていない。
「そ、そう…」
「聞いた通りよ、輝月。朝夏はね、『百回連続で立ち幅跳びをするまでは公園を離れません』って天に誓ったの。だから、途中でやめられなかったの。ほら、最近運動不足だっていうから」
「それ、ほんと?」
それまで黙って話を聞いていた木鈴が不意に口を挟んだ。真面目な顔にありありと嫌疑の色を浮かべている。
「輝月を踏んで大声を出させて、私をおびきだしたんじゃなくて?」
「違うわ。木鈴が出てきたのはあくまで偶然よ」
図星を刺されても夜蓮はすこしもひるまない。たいした詐欺師だと朝夏は思った。(今では朝夏にも夜蓮の計略が理解できていた)
「それに輝月、朝夏の体重なんて知れたもんだわ。大げさな悲鳴上げてたけど、そんなに痛くなかったでしょ」
「…そういわれれば」
「それに朝夏は、ちゃんと輝月の空気穴を避けて跳んでたのよ。顔を踏みたくないからって」
「…」
輝月の顔から怒りの表情が一切消えた。いや、それどころか急に勢いが落ちておとなしくなってしまった。この様子では、朝夏に踏まれたのが痛くないというのも案外本当のことかもしれない。
だが、朝夏はなんだか申し訳ない気がした。夜蓮の計略や弁解には感謝しているけれど痛かろうが、痛くなかろうが体を踏んだのは事実なのだから。
「輝月、ごめん」
謝ると、
「いや、別に痛くなかったし」
と、胸ぐらを掴んだときとは大違いの態度で許してくれた。
朝夏はホッとした。木鈴はというと、「輝月がいいんなら、それでいいや」という顔をしている。こういう時、彼女はあまりしつこくないのだ。
こうして、あと隠れているのは羽吹だけとなった。三十分経過まであと五分強。果たして見つけることができるだろうか。