はじめのはじめの第一歩
プロローグ
「もういいかーい」
「まーだだよ」
おおよそ三方向から返事が聞こえた。続いてトタトタとかすかな足音が聞こえてきた。
「…もういいかーい」
「まーだだよ」
さっきよりも声が小さい。明らかに答える人数が減っている。
(そろそろかな)
「もういいかーい」
「…」
返事はない。物音も消えた。これがおそらく、「もういいよー」の代わりであろう。
(そりゃ、誰だって自分の位置を教えたくはないよね)
朝夏は一人でうなずき、それまで伏せていた地面から顔を上げた。さあ、戦闘開始だ。
文月朝夏は今、近所の菜の花公園にいる。鬼の彼女とどこかに隠れている彼女の五人の親友のほかには、誰もこの公園にはいない。いや、今この地は公園などではない。ブランコや滑り台や砂場のある、どことなく殺気立っているれっきとしたかくれんぼ会場だ。
この蒸し暑い夏の日に公園でかくれんぼをしようと言い出したのは、なんでもやりたがりの村田輝月である。彼女は、かくれんぼなんてつまらないし時間の無駄だと言う長津羽吹を持ち前の強引さで説得し、朝夏をはじめ、羽吹の双子の妹の高茶・森夜蓮・田予木鈴をも、この遊びに引きずり込んだのである。
「まだ中学生だし、かくれんぼはギリギリオーケーなんじゃないかな」という木鈴の言葉で、かくれんぼの参加を承認した朝夏だったが、鬼決めのじゃんけんでまさかの一人負け。それで今、鬼の役を引き受けているのである。
(全くついてないよね…。ま、別にいいけどさ)
スカートから砂を振り払い、朝夏は公園内を見回した。後ろから、せわしい蝉の鳴き声がする。早くいけとでも言っているようだ。
今朝夏が立っているのは、公園の南側の入り口。つまりは南端である。公園の中央部分は空いていて、右つまり東のほうに、ブランコ・滑り台・砂場などの遊具や、高さ一メートルほどの古い給水機がある。反対の西側には、公衆トイレがあるのみ。正面の北側には、たくさんの木が生えていてまるでちいさな森のように見える。おまけに今は夏だから、葉がこんもりと茂っていて外からでは、木の上や後ろに誰かがいたとしてもなかなか分からない。
普通に考えて、全員北側に隠れるのがあたりまえである。だけど…と、朝夏は地面に目を走らせた。先日
雨が降ったので、地面は部分的に湿っている。西側がとくにひどい。おかげでそこらへんの地面はひどく柔らかいのだ。
「!」
足跡が、ついている。まだ踏み荒らされていない新しい足跡が。まっすぐ、公衆トイレに向かって…。
「しめた!」
これで、一人は見つけたも同然だ。
(こんな、単純な隠れ場所を選ぶのは…)
すぐに分かった。朝夏は動き出す。完全に鬼の気分だ。
数歩歩いてから、立ち止まった。東側の吸水機あたりで、何かが動いたような気がしたのだ。
(幅も高さもあるから、隠れられないことはないけど…)
迷ったが、そのままトイレに行くことにした。こちらを先に確保するべきだ。
(確実に、確実に…)
ミンミンミンミンうるさい蝉の鳴き声を背中で聞きながら、朝夏は公衆トイレに向かって真っ直ぐに駆けていった。