第10話 うるるんの警告
光太郎は恩師・玄葉由自教授のいうとおり、三鷹の自宅マンションを引き払い、東京の西端に位置する宇留川市に居を移した。
宇留川市は埼玉との都県境にあって緑と河川に恵まれ、静かで穏やかな土地柄だ。おまけに家賃も安く、公園や商業施設も多いので住みやすい。
光太郎は駅近くの賃貸マンションに入居すると、毎日ぶらぶらと駅周辺のスーパーや食堂、喫茶店などをたずね歩いた。
気楽な散歩を気取っても、頭の片隅には絶えずタリアとの約束があった。
あのとき――
タリアは光太郎に代わって銃弾を浴び、東トルキスタンの現状を世界に知らせてほしい、と託した。
しかし日本のマスコミは光太郎の訴えに冷淡であった。日本国内の弱者の人権は声高に叫ぶくせに、大陸で起きている辺境民族の虐待には無視を決め込んでいる。
足はいつしか宇留川中央公園へと向かっていた。
噴水周りのベンチに腰掛け、これからの行動に思いを巡らすが、妙案は浮かんでこない。
光太郎はそれとなく周囲を見回した。
尾行も監視もないようだ。
住所も携帯の電話番号も変えたためか、あれ以来、脅迫者の影はない。
ロプノールで採取した“死の灰”は奪われたが、核実験を物語る巨大なクレーターや放射線障害で苦しむウイグル人をおさめたメモリーカードはしっかりと肌に身につけていたため、証拠は手中にある。
光太郎はふと気になって首からさげているお守りをさわった。
叔父の白坂武志から手渡された母の遺品である。
このなかにメモリーカードの一部をしまったのだが、当然、なかにはお札が入っている。
突然、光太郎はお札を開いてみたい誘惑に駆られた。お守りの中のお札はむやみに開いてみるものではないといわれているが、なぜか気になる。
『自分が死んだら息子に渡してほしい』と母が弟に託したお守りだ。ただのお守りであるはずがない。
光太郎は守り袋のなかにある小さく畳まれた紙片を開いてみた。
「――?!」
そこに書かれてあるのは梵字や経文の類いではなく、
『090−××××−××××』
携帯の番号らしき数字が並んである。
「これは……?」
――と、そのときだ、光太郎をつつむかのようにすっぽりとおおきな影が覆いかぶさった。
「?!」
2メートルほどの着ぐるみがそこに立っていた。
真ん丸のおおきな頭にうるんだ涙目、ずん胴から生えた短い手足。モチーフ不明の宇留川市公認キャラの“うるるん”だ。
「な……なにか?」
うるるんはそこに突っ立ったまま動かない。なにか自分に用事でもあるのだろうか。光太郎はうるるんに向かって用件をきいた。
うるるんは顔らしきものをぐいと近づけると、キャラに似つかわしくない真剣な口調でいった。
「おまえ、捕まるぞ。いますぐ宇留川から離れろ」
そういうが早いか、うるるんはまさしく脱兎の勢いで走って消えた。
「えっ……?」
光太郎は意味がわからない。
なにも悪いことをしていないのに、なぜ捕まるのか?
うるるんは自分になにを警告したのだろうか?
その数日後、民衆党政権は『人権救済法案』を閣議決定した。
野山内閣は国会承認を得るためのモデルケースとしてこの度、人権平和都市宣言を行った宇留川市に人権監視委員会を設置。同委員会は政府から独立した三条委員会で構成され、当局が人権侵害と判断すれば裁判所の礼状なしで立入検査、証拠押収、逮捕拘束できると定義した。
うるるんが警告したとおり、光太郎は捕まった。人権監視委員会によってかけられた容疑は『在留外国人への差別的言動』であった。
つづく
この小説もヘイトスピーチ法案にひっかかるのだろうか?(*_*;




