第7話 忍び寄る恐怖
人民弾圧軍の追跡を振りきり、いったんカザフスタンに逃れた光太郎は、ヒマラヤ山脈沿いにネパール、ミャンマー、タイへと渡って、バンコクのスワンナプーム国際空港から旅客機で日本にもどった。
3年ぶりの日本であった。光太郎はさっそく公称700万部を誇るアカヒ新聞に写真を持ち込んだ。7.5ウイグル騒乱の様子やロプノールの核実験場をカメラにおさめた写真だ。
応対にでた国際部の四倉元樹という記者は、光太郎の写真を一瞥すると、
「ウイグル人はタリバンと関係があるんだろ?」
驚くべきことをいった。
「違います。東トルキスタンのウイグル人はタリバンとは無関係で、テロリストなんかじゃありません!」
不勉強にもほどがある。名刺には国際部報道記者とあるが、一体どこの国でなにをみてきたのだろう。
「とにかく、これは預かるから。フィルム……じゃなかった、いまはメモリーカードか、それもあるなら出して」
なんでメモリーカードまで預ける必要があるのだろう。光太郎は理由をきいた。
「うちはね、龍国と日龍交換記者協定という協約を結んでいるんだ。こういった写真が出回るのは困るんだよ」
四倉は渋面を浮かべ、タバコに火をつけた。
足を組み替え、尊大に背をそらす。
光太郎は内心のむかつきを抑えながらいった。
「日龍交換記者協定というのは、相手にとって都合の悪い事柄は黙殺する協定ですか?」
「いいかい、日本は先の大戦で龍国に非常に迷惑をかけたんだ。龍国には龍国の国内事情がある。少々のことには目をつむるべきだとぼくは思うけどね」
それでも記者だろうか、恥知らずなその言葉に光太郎はキレた。
「冗談じゃない! ロプノール周辺では19万人が核実験で即死し、129万人が満足な医療も受けられず、深刻な放射線障害でいまも苦しんでいるんだ!
ロプノールだけじゃない、ウイグル人の青年男女は強制的に龍国本土の沿岸部の工場や山間部の農村に送られ低賃金で働かされている。ウルムチなどの都市部では奸族が大量移住して職と住まいを奪い、元いたウイグル人たちは満足な教育も受けさせてもらえない。そもそも、7.5暴動の発端は――」
「わかった、わかった、きみの熱意は上の方に伝えておくから」
到底、わかったとは思えぬ態度で四倉は一方的に面談を打ち切った。
光太郎は唇を噛みしめ、拳を握りしめた。
玄関をでて築地本社のビルを振り仰ぐ。
これが日本のクオリティペーパーの実態だろうか。そういえば、龍国の文化大革命を礼讚したのもこの新聞社だということを光太郎は思い出した。
本来、たずねるべき場所ではなかったのだ。
新聞社がダメなら放送局だ。
光太郎は渋谷にある公共国営放送をたずねた。メモリーカードには静止画だけでなく動画もおさめてある。これを流すだけでも尺は十分足りるはずだ。
だが――
「ウチは『シルクロード紀行』というのを龍国さんの協力で放送しているから、そういうのはちょっとねえ。相手の機嫌を損ねるというか……」
「そのシルクロードが危険なんです。あそこの砂を採取してきました。大学の研究所で鑑定してもらえば……」
「だからそんなことしたら、もうあの地域には行けなくなるでしょ。ハナシはもう終わり。そういうことだから」
そういうと担当者は早々と腰をあげた。
提示した写真をみようともしなかった。平均年収1200万のこの国営放送の職員は実態がわかっているのだ。
当然、わかっていて目をつむっている。
『受信料返せ!』といいたくなる気持ちをぐっとこらえて光太郎は渋谷の公共国営放送の敷地をでた。
その後も光太郎は反核団体、人権団体などをたずね歩いたが、どこも芳しい反応は返ってこなかった。反核団体のなかには、
「資本主義の核爆弾は汚い核爆弾で、労産主義の核爆弾は革命のためのきれいな核爆弾なんです!」
などという正気を疑うような発言を繰り返すものもいた。
光太郎は徒労を覚え、無力感につつまれていた。
あるものは龍国におもねり、またあるものは思想的なバイアスがかかって真実から目をそむけている。
そんなある日、この日も空振りに終わって三鷹の自宅マンションに帰ってみると――
「ッ!!」
室内が荒らされていた。机の引き出しの中身はぶちまけられ、衣装ダンスも押し入れのなかも物色された跡があった。
パソコンは持ち去られ、ロプノールで採取した砂をおさめた小瓶もなくなっていた。
「これは………」
光太郎は茫然と立ち尽くした。単なる物取りではない。その証拠に現金や通帳の類いはもとのままだ。
ブーン…ブーン……。
そのとき携帯のバイブが鳴った。
光太郎は待ち受け画面をみた。
着信は『非通知』になっている。
ブーン…ブーン……。
呼び出しのバイブ音が鳴りつづける。
留守電に切り替わる前に光太郎は通話ボタンを押した。
「もしもし……」
『これでわかっただろう』
合成加工された男の声だ。相手は名乗りもせず、いきなり脅しを口にした。
『命が惜しかったら、これ以上騒ぐな。我々は常におまえを監視している』
一方的に通話はきれた。
光太郎は周囲を見まわした。
窓を開け、3階の自宅住戸から付近一帯を見渡す。
不審な人影はない。
だが、光太郎はいいしれぬ恐怖を覚えていた。
日本に帰ってきて安全だと思ったのが間違いだった。
龍国を知る人間にとって日本ほど恐ろしい場所はない。
その現実を光太郎はこののち思い知らされることになる。
つづく
渋谷の某公共国営放送は「シルクロード紀行」のなかでロプノールを「古代ロマンあふれる絶景地」と紹介し、放射線のほの字もいわなかったそうです。こんな放送局におとなしく受信料をおさめている国民て一体……(-_-;)




