第3話 母のお守り
母親が倒れたのは秋も深まった日のことであった。
勤め先の英会話塾で突然、意識を失い救急病院に搬送された。
知らせを受け、病院に駆けつけた光太郎であったが、すでに母の顔には白布が被せられていた。
クモ膜下出血であった。母・白坂陽子は最愛のひとり息子に『さよなら』の一言もいわず、この世を去った。
葬儀は近親者だけで簡素に行い、母親の遺体は荼毘に付された。
光太郎が骨箱を抱えて茫然としていると、叔父の白坂武志が声をかけてきた。
「心配事や困ったことがあるなら、なんでも相談に乗るよ」
叔父はそういうと、優しく光太郎の背中をたたいた。
「ひとつ、教えてもらいたいことがあるんです」
光太郎は叔父の顔をみずに低い声でいった。
「きみのお父さんにあたる人のことかい?」
やはり……といった顔で叔父は先回りした。
光太郎がこくり、とうなずく。
「当然、それを聞きたい気持ちはわかるが、正直のところ、それはおれもわからないんだ」
光太郎は叔父をみた。ウソは許さないといった強い意志をこめて。
「そんな怖い目でにらまないでくれ。姉貴はきみも知ってのとおり、頑固な人だった。死んだ親父やおふくろがいくら問い詰めても頑として口を割らなかった。だからおれも知らない。信じてくれ」
骨箱を抱えて光太郎は立ち上がった。これ以上、意味のない慰めや気休めなど聞きたくない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。姉貴から、きみのお母さんから預かったものがあるんだ」
光太郎は振り向いた。預かったもの……?
叔父はフォーマルスーツの内ポケットから、銀の小さな鈴がついたお守りを取り出した。
「お守り……ですか?」
「そうだ。一月前のことだった。突然、おれの家にやってきて、『わたしになにかあったらこのお守りをあの子に渡してほしい』……そういったんだ」
光太郎はそのお守りを受け取った。
それは家内安全、無病息災を願うなんの変哲もない神社のお守りだ。
「……もしかしたら予感があったのかもしれない。自分はそう長く生きられないのではないか……そんな予感があったからこそ姉貴は近くの神社へ行き、このお守りを買ってきたのだろう……」
しかし、それならばなぜ、自分の弟に渡したのだろう。直接、息子に渡せば済む話なのに、なぜそんな回りくどい頼みごとをしたのか、光太郎は母の真意がつかめない。
「このお守りをお母さんだと思って大事にしなさい。近いうちに飯でも食おう」
叔父はそういうと小走りに去っていった。
寂しい葬儀であった。
当然のことながら、母方の親戚数人しか集まらず、光太郎は自分が婚外子である現実を直視せざるを得なかった。
なぜ、母は父親の名をいわなかったのだろう?
いや、いえなかったのか?
いえないなにかがあったのか?
いくら考えても仕方のないことだった。母は墓場まで持っていってしまったのだから……。
恋人に去られ、そして母を失った光太郎は学校も休みがちになり、ゲームセンターと自宅マンションを往復するような暮らしになっていた。
アーケードゲームにも飽き、かといってだれもいないマンションに帰るのもなんとなくためらわれた、そんなある日――。
光太郎の足はいつしかあの公園に向かっていた。
北条美織と最後に会った、あの公園に……。
つづく
そろそろ花粉はおさまったかな、と思って薬を飲まずに都心にでたらエライ目にあった。今月いっぱいは呑むとするか。眠くなるけど…(*_*;




