第2話 突然の別れ
光太郎の家は母子家庭である。
彼は疲れて寝ている母親を起こさぬよう、そっと自宅マンションを抜け出し、星空の下、愛用のクロスバイクに跨がった。
『会いたいの。いますぐきて』
美織が指定した公園にクロスバイクを走らせる。
夜は深く、辺りに人どおりはない。
無人の路地を走り抜け、角を曲がると目当ての公園がみえてきた。
国道に面し街路樹に囲まれた公園だ。光太郎はそのままクロスバイクを園内に乗り入れる。
いた。水銀灯の下にほっそりとした人影がみえる。
「美織!」
光太郎はクロスバイクを乗り捨て、北条美織のもとへ駆け寄った。
「白坂くん……」
「どうしたんだ? なにかあったのか?」
目が真っ赤だ。頬にはうっすらと涙の跡があった。
「なにか問題があるならいってくれ。
ぼくにできることならなんでもする!」
その瞬間、美織が光太郎に抱き着いた。
「えっ?!」
いきなりの反応に光太郎は戸惑い、おずおずと美織の背中に手をまわした。
「もう、遅いの。もう、白坂くんには会えない……」
光太郎の胸の辺りから涙混じりのくぐもった声が聞こえる。
「もう、会えない……って、それは――」
「ごめん。なにも聞かないで……」
美織の震えが伝わってくる。
容易ならざる事情と事態が彼女の身の上に起きていることだけはわかる。
「――お姉ちゃん」
遠慮がちな、か細い声が横からかけられた。
「美由紀ちゃん」
振り向くと、セーラー服姿の美織の妹が立っている。
「お父さんが……早くクルマにもどれって……」
北条美由紀がうつむきながらいった。
「ごめん。白坂くん……いかなくちゃ」
美織がそっと光太郎の胸を押し返して離れた。
「待てよ、どこへいくんだ!」
思わず叫んだ。
「こないで!」
美織が厳しい声で光太郎を制す。
「……こないで。あたしのことを思うなら……ここで見送って」
美織が両眼からぽろぽろと大粒の涙を流しながら、妹の手を握る。
「いこう、美由紀」
「いいの? お姉ちゃん」
「うん。もう、いいから……」
美由紀は光太郎に視線を向けると、
「ごめんなさい、光太郎さん」
おとなびた顔で深々と頭をさげた。
「美由紀ちゃん……」
「でも、姉のことは忘れないでください。いつかきっと、また会えると思うから……」
そのとき、クルマのクラクションが短く鳴った。
美織に引っ張られるような格好で美由紀は公園の植え込みの外に消えた。
クルマのエンジン音が響いてくる。
光太郎は駆けた。
道路にでて、遠ざかってゆくワゴン車のテールランプを見送る。
暗いワゴン車のなかから光太郎を見つめる視線があることを彼は感じた。
テールランプが夜のかなたに消えてゆく。
叫ぶことも怒鳴ることもできず光太郎はその場に立ち尽くした。
夜が明けて、北条一家が突然の失踪を遂げたと知らされても、光太郎には驚きはなかった。やはり、あれは夜逃げだったのだ。
彼女を失い、光太郎から精気が消えた。
練習に身が入らず監督やコーチからしばしば叱責を受けた。
大会トーナメントの初戦で早々と敗れ、光太郎はラケットを仕舞った。永久に……。
ウィンブルドンも全米オープンも光太郎にはもう遠い夢だった。進学はテニスとは無関係のところに進もうと決めた、そんな矢先――
さらなる悲劇が光太郎を襲うのであった。
つづく
ジャンル分けをコメディにしたものの、段々ガチになってきてるなあ、うーむ(-_-;)




