第1話 真夜中のコール
これは舞鶴光太郎が、まだ白坂光太郎であったころの物語――。
強烈なリターンショットを相手コートの左隅に決めて、白坂光太郎は夏の大会における男子シングルスの出場権を勝ち取った。
「完敗だ。おめでとう」
相手プレーヤーの城島渡がネット越しに右手を差し出してきていった。
「ありがとう」
光太郎と渡ががっちりと堅い握手を交わすと、二人は互いの健闘を称えあった。
「なあ、女子のコートを見にいかないか?」
部室へもどろうとした光太郎を渡が呼び止める。
「気になるだろ? 彼女の様子」
「うん……まあ」
光太郎はなんとなく気乗り薄だ。
「いこうぜ。おまえの顔みたら美織も頑張るって」
渡は半ば強引に光太郎を引きずるようにして女子のコートに向かった。
東京都三鷹にあるここ吉祥高校は都内でも有名なテニスの名門校である。将来はウィンブルドンや全米オープンを目指す生徒たちが全国から集まってきている。
そんななかで学内選考会を勝ち抜き、大会に出場することは至難の業であった。光太郎は早々と出場権を獲得したが、光太郎と同じ有望株の北条美織はここ最近ショットが乱れ、調子を落としていた。
「もう、はじまってるな」
女子のコートでは一方的なゲームが展開されていた。
美織はすでに第1セットを落とし、つづく第2セットも5−2と敗色濃厚になっている。
動き出しが遅く、テークバックがおおきくなってつまらないミスショットを連発するその姿は、かつての美織にはみられなかったプレーだ。
美織も光太郎と同じ3年生だ。夏の大会を逃せばもう、公式の大会はない。
負ければひと足早い引退を決められたも同然であった。
「苦戦してるな」
渡がぽつりといった。
苦戦なんてものじゃない。光太郎の目には美織がテニスそのものを忘れているとしか思えなかった。
「なあ、ここだけの話だけど……」
渡がさもいいにくそうに口を開いた。
「美織の家、かなりヤバイようなんだ」
「ヤバイ?」
「おれの親父、信金の貸し付け係やってんだけど、美織の家、抵当にとられてるんだってさ」
「ッ?!」
初耳だった。最近、様子がおかしいと思っていたら家の事情がからんでいたのか。
「聞いてないか、美織から」
光太郎は首を振った。
「まあ、いえないよな、恋人には……」
渡がつぶやくようにいう。
「ゲームセット、ウォンバイ竹中、ゲームカウント6to2」
主審が相手プレーヤーの名をコールして美織の大会出場権は消失した。
負けた美織に笑顔はなく、結果を当然のように受け止めてバックにラケットを仕舞うと足早にコートをでてゆく。
光太郎がその姿を目で追っていると、脇腹を渡に小突かれた。
目が『声をかけてやれ』といっている。渡が顎をしゃくった。
光太郎は軽くダッシュすると、美織のもとへ駆け寄った。
「美織……」
「ごめん。ひとりにして」
美織が顔をそむけるようにしていった。
「今夜、電話するから……」
低い声でそういうと逃げるように駆け出してゆく。
光太郎はその背中を見送るしかなかった。
美織はいま、とてつもなく重いものを背負っている。
コートにいるときも、コートの外にあるものと戦っていたのだ。
詳しいことはなにもわからない。
でも、すべてを話してほしいと光太郎は思った。
その夜、光太郎は美織からの電話を待った。
しかし、いくら待っても美織から電話はかかってこなかった。
(今日は疲れて眠ってしまったのかもしれない……)
光太郎がそう思ってベッドに入った、そのとき――
光太郎の携帯が鳴った。
着信表示は『美織』。
時計の針は深夜2:00を差していた。
つづく
「ビギニング」はじまりました…というのも微妙な言い回しですが、光太郎がいかにしてジャステッカーになったのか? これは発端のお話です。ご期待くださいm(__)m




