第8話 五利工場長、吠える!
チームリーダーの手が伸び、光太郎のメガネのつるに指がかかろうとした、そのとき――
「ちょっと、持ち場を離れるなっていったじゃない!」
豊満な胸をゆさゆさ揺らして若い女性が駆けよってきた。作業着のボタンがいまにも弾け飛びそうな巨乳さんである。
(タオヤメ?!)
光太郎は思わず声に出そうになって慌てて呑み込んだ。
「すみませーん、入ったばかりで迷ったみたい。ほら、いくわよ!」
タオヤメはA4ラインのチームリーダーに頭を下げると、光太郎の左の耳をひっつかんで、どこかへ連れていこうとした。
「おい、待て! おまえ、どこかで見覚えが……」
逃さぬとばかりチームリーダーがサッと回り込んで、光太郎の顔をしげしげとみつめる。
「いや、今日入った新人です。そうでしょ?」
タオヤメが光太郎の耳をつかんだまま同意を求める。
「そ、そうです。今日がはじめての出勤で……。イタタ……耳が」
「いや、おれはおまえをどこかでみたような気がする……」
チームリーダーが顔をぐいと間近に寄せてくる。
と、そのとき――
「こらあッ! 貴様ッ、休ませるなといっただろがッ!」
突然、チームリーダーの背後から大音声が轟いた。
「工場長!」
ゴリラ顔の工場長、その名も五利工場長が現れ、チームリーダーに向かって竹刀を振りあげた。
「おれの命令が聞けんのかあッ!」
五利工場長がチームリーダーをぶっ叩く。
特別業務でニセジャステッカーに扮していた工場長だが、いまは半袖の作業着に着替え、たくましい腕を剥き出しにしている。
竹刀を振り下ろすその右の二の腕には包帯が巻かれているが(ジャステッカーのくの字手裏剣によって切り裂かれた)、傷のダメージなどみじんも残ってはいないようだ。
「す、すみません!」
チームリーダーにしてみれば、休みなしで働かせればいいというものではなく、かえって作業効率が落ちる。適度な休みを入れるべきとの判断であったが、ノルマ第一主義の工場長には通じない。
チームリーダーが工場長の竹刀の嵐を受けているのをよそ目に、光太郎とタオヤメはそっとその場を離れ、A5区画の梱包、箱詰めラインへと向かった。
どうやらタオヤメはこのラインのサブリーダーを任されているらしい。新人バイトの教育係よろしく、光太郎に作業の手順を教える。
「この空箱に教科書の向きを交互に揃えて詰めてくの。やってみて」
タオヤメのいうとおり作業にとりかかる。
「タオヤメ、どうしてここに?」
光太郎は声を落としてタオヤメにきいた。印刷機の駆動音が再び鳴りだし、二人の会話は周囲の耳には届かない。
「あらっ、検定外教科書を探れといったのは若様でしょ」
箱詰め作業をつづけながらタオヤメは心外そうな顔をする。
「やっぱりそうか……」
タオヤメも派遣労働の作業員に扮して潜入調査を行っていたというわけだ。
ニセジャステッカーを追いかけるつもりが、妙なところでつながってしまった。
「若様、そこの柱の角をみて。非常ボタンがあるわ」
タオヤメが赤いボタンをちらりと見ていった。あとはいわなくてもわかっている。このボタンを押して作業員を逃がして、といっているのだ。
「……わかった」
光太郎は箱詰めされた教科書を運ぶ振りをして柱の陰に隠れた。
タオヤメから手渡されたライターで悪の教科書に火をつける。
白い煙と赤い炎をあげて教科書が燃え出した。
光太郎は赤い非常ボタンを押した。
けたたましいサイレンのようなアラートが鳴り響く。
みな何事かと作業を中断してその場に棒立ちになった。
「火事だーーッ! みんな逃げろーーッ!」
光太郎が大声をだした。周囲ではもくもくと煙が広がっている。
その声に弾かれるようにして作業員たちはいっせいに出口に向かって押し寄せた。
「どけどけ! オラーッ!」
ノルマを気にしていた五利工場長が出口に固まったものたちを乱暴に押しのけ、我先にと脱出する。
「みんな慌てないで! 一カ所に固まっちゃダメ。そこの人、窓を開けて。窓からでるの!」
パニックになりかけた工場内だが、タオヤメがうまく避難誘導して人波をさばく。たいした混乱もなく光太郎を除く全員が工場の外に逃れた。
「さて、と……」
光太郎は無人と化した工場内を見回すと、ズボンのポケットから『爆』とプリントされた数枚のステッカーを取り出した。
オフセット輪転機や裁断、製本、折り機などの各種関連機械にも貼り付けてゆく。
「よし」
『爆』の文字が赤く点滅をはじめた。光太郎が身をひるがえす。
彼が貼り付けたステッカーは一枚がTNT火薬2トン分のスーパーボムステッカーなのだ。
外に避難した作業員たちは工場を遠巻きに取り囲み、見つめていた。
みな一様に不安の色を浮かべ、押し黙っている。
――と、そのときだ、にわかに大地が揺れ、工場の屋根を吹き飛ばして巨大な火柱があがった。
ズガガガガーーン!!!
工場の建物自体が紙細工のように四散崩壊した。夜空を焦がすオレンジ色の炎にだれもが言葉を失い、その場に立ち尽くす。
「な…なにが…なにが起こったんだ……?」
燃え盛る紅蓮の炎に照らされて五利工場長が棒立ちになった。
彼の周囲にはもはやだれもいない。
みな、爆発の巻き添いを恐れて逃げ散ってしまった。
いや、ひとりだけいる。
五利の背後に立つ黒衣の人影――
五利が振り返る。
弾着の衝撃で穴だらけになったスーツをまとった仮面の男が静かにいった。
「天にきらめく愛の星。絶対正義ジャステッカー」
「……貴様!?」
五利は喉を鳴らしてうなり声をあげると、びりびりと作業着を引きちぎり、人間の皮を脱いだ。
耳まで裂けた口からは太い牙がのぞき、額には禍々しい一本角。
体格もまさしくゴリラのような逆三角形を描き、獣毛に覆われた厚い胸板をさらしている。
五利は前世魔族の本性をあらわにするとジャステッカーに向かっていった。
「おまえをこの手でぶち殺すッ!」
つづく
あーでもない、こーでもないと、この回は何度も書き直した。こーゆーのを無駄な努力というのだろうか?




