僕の人生を変えた恋人4
春風牧場のホームページを作ったんだ。
牧場から、繁殖牝馬や幼駒の情報を送ってもらって載せた。
牧場やスタッフの紹介もしている。
そして、ブログを書いてリンクさせる事にしたんだ。
僕が書いても良いんだけど、ここはやっぱり、近くでいつも馬を見ている牧場の人にお願いした方が良いな。
凛ちゃんにメールしてみた。
「ブログを書いてほしいんだけど」
「ホームページ見たよ。中々良い感じだね。ブログって、何書けば良いの?」
「馬達の事や、春風牧場の日常とか、凛ちゃんの好きに書いてくれて良いよ」
「え?私が書くの?」
「その日によって書く人が違うのも良いかも知れないけど、ブログって人柄が出るから、僕は、凛ちゃんに書いてもらいたいんだ」
「良いよ。やってみる」
そして、凛ちゃんのブログの投稿が始まった。
毎回1頭ずつ馬を紹介しているんだけど、その後には、健康オタクの凛ちゃんらしい文章が書かれている。
一通り馬を紹介したら、スタッフの事や、毎日の牧場の様子などを書いている。
今日の記事には、お爺さんの長次さんの血糖値が高いので、毎日、凛ちゃんがお酢を使った料理を作っている事が書かれていた。
お婆さんの弥生さんが育てた野菜で作ったピクルスや、もずくの酢の物などが、写真入りで紹介されている。
そして、秋は子離れのシーズンだ。
春風牧場では、まず、母仔を隣同士の放牧場に入れる。
そして、母馬を隣りの厩舎に移すんだそうだ。
そうやって少しずつ離していくらしいんだけど、親子の呼び合う声がずっと聞こえているって言ってたな。
あの3頭の1歳馬は、来年から地方競馬で走るそうだ。
ユキのお腹も、だいぶ大きくなってきた。
馬の妊娠期間は、だいたい11カ月だから、出産予定は3月だ。
ところで、僕はまだ1度も競馬場に行った事が無いんだ。
テレビで競馬を見るのだって、父に見つからないように隠れて見ていたんだから…
それに、僕は人混みが苦手だ。
目が悪いから、競馬場の観客席から見ても、馬は見えないだろうな。
前は、パドックで一日中馬を見ていられたら、どんなに良いか…なんて思っていたけど、今は、見たくなったら北海道に行けば良いんだ。
あんなに好きだった、ダイワスカーレットのレースだって、1度も見に行ってないんだからな。
恋人エアグルーヴのような強い牝馬と言えば、ダイワスカーレット。
桜花賞を勝ち牝馬三冠かと思ったら、オークスは、熱発で回避。
エアグルーヴも、桜花賞を熱発で回避している。
ダイワスカーレットも、女傑?
と、思っていたら、底を見せず浅屈腱炎で引退してしまった。
12戦8勝2着4回Gl4勝、全てのレースで連対。
春風牧場から、いつか彼女達のような強い女の子を出してほしいな。
あ…まだ、他人事みたいに言ってしまうけど、僕の意見も聞いてもらえるようになったし…
「エアグルーヴやダイワスカーレットのような、強くて美しい牝馬を、春風牧場から出すぞ!」
と、凛ちゃんにメールした。
「え?そんな夢みたいな話し…でも、そうだね。私も菱さんと一緒に夢に向かって頑張ってみる」
と、返信してくれた。
【葉月家のリビング】
「お前な、馬が好きなら、牧場経営はやめた方が良いぞ」
「そうよ。悲しい事も沢山有るんだから」
兄夫婦に、そう言われた。
「悲しい事って、ケガとか予後不良とか?」
「ただ馬が好きなだけなら、知らなくて良い事も沢山有るんだ」
僕は、引退した馬は、繁殖に上がるか乗馬になるものだと思っていたんだ。
そして、一生大切にされると…
でも、調べてみると、そうとばかりではなかった。
薄々わかってはいたけど…
天寿を全う出来る馬が、どれだけ居るのだろう?
ユキの子供が…他の馬達が、生涯幸せに暮らせるように考えなくては。
今は、春風牧場の経営は赤字だ。
とにかく経営が成り立たない事には、話しにならないけれど…
「ニャー」
「良し良しニコロ。馬だって犬や猫と同じなのにな」
【大学】
「旨いぞ、馬刺し」
「葉月、馬刺し食った事無いのか?」
「1度だけ有る」
「お前、牛や豚食うだろ?馬だって家畜だからな」
そうだけど…
「俺は、馬券さえ当たれば良いんだよ。馬券に絡まない馬なんて、クソだな」
「走れなくなったら、馬刺しになろうがペットフードになろうが、俺の知ったこっちゃねーよ」
そう言うと、2人は行ってしまった。
「気にするな、菱」
慎二は、そう言ってくれたけど、ショックだった。
【葉月家のダイニング】
「お前の言ってる事は綺麗事だ。そんなに甘い世界じゃないぞ、ビジネスだしな。お前1人が頑張ったって、どうなるものでもないだろ」
ビールを呑み干すと、兄はそう言った。
わかっているけど…
でも…
春風牧場の馬だけでも、無事に牧場に帰れたら、最後まで大切にしてやりたいんだ。
【キッチン】
「誠人さんはああ言ってるけど、菱ちゃんは、牧場経営続けるんでしょ?」
「うん。春風さんの家の生活もかかってるし」
「ちゃんと覚悟が出来てるなら、私は応援するわよ」
お姉さんは、そう言ってくれた。
「ミャー」
「あ、ノラちゃん来たな」
野良猫のノラちゃんが窓から覗いている。
ニコロが「来たよ」って教えてくれるんだ。
【庭】
ノラちゃんにご飯をあげた。
この子達だって、生きてるんだから…
同じ命なのだから…
野良猫にご飯をあげると文句を言う人も居るけど、近所には、ボランティアで病院に連れて行ってくれる人も居るんだ。
ノラちゃんも、前は子猫を連れて来ていたけど、避妊したから、もうあの可愛い姿を見る事も無いな。
そう言えば、牧場にも野良猫が住み着いていると、凛ちゃんが写メを送ってくれた。
馬の飼料を、ねずみから守ってくれるので、追い出したりしないそうだ。
写真を見て「ぶーニャンだね」って返信したら、そのまま名前になったらしい。
毛がふさふさだけど、冬はどこで寝るんだろう?
その冬、ユキの仔は、一時逆子になって大変らしかったけど、今は落ち着いている。
そして、3月。
生まれそうだと連絡が来た。
「菱ちゃん。これ、持って行きなさい」
「シャンパーニュ?僕まだ未成年だよ」
「後1カ月で20歳でしょう。お祝いの乾杯ぐらい、良いんじゃない?」
僕は、春休み、北海道へと向かった。
【北海道】
車を運転するのは、慎二。
モーツァルトのシンフォニー第39番を聞きながら走る。
3月の北海道は、まだ雪が残っていた。
鹿が道路を渡る。
僕達は、車を止めて、鹿が渡るのを待っている。
早くユキに会いたい。
「今日生まれるのか?」
「今日ぐらいだって」
「夜中だったりするんだよな」
起きていられるかな?
僕、夜は弱いんだ。
寝ないと病気になっちゃうし…
でも、起きて、絶対ユキの出産に立ち会うんだ。
【春風牧場】
「良く来たね。他の繁殖はみんな出産が終わって、後はユキだけだよ」
「お前ら、また来たんか」
「こんにちは」
「邪魔すんなよな」
駿さんとは、いつになったら仲良くなれるんだろう?
「あれ?繁殖牝馬が1頭居ない」
「お産の後死んだのさ」
「えっ?」
「今は、全部で4頭だね」
初めて来た時は、仔馬が5頭生まれていて、空胎のユキが居たから、6頭居たはずなのに、僕が見たのは5頭だった。
そして、今年は4頭…
「繁殖牝馬増やして、でっかい牧場にしてやる」
駿さんは、そう言った。
でも…
「僕は、数少ない馬を大事にしたいです」
「そんなんじゃ儲からねえ。金が出来たら、繁殖馬房建増しする」
「僕は、馬達が余生を過ごせる場所を作りたいんです」
「バカ言うでねえ。誰が面倒見るんだ?どうやって食わせるんだ?」
「給料は、ちゃんと出しますから」
「お前に任せたら牧場潰れる。絶対買い戻してやるからな」
そう言うと、駿さんは行ってしまった。
この業界、現状では、駿さんの言う事が正しいのは、僕だってわかってるけど、何か方法が有るはずなんだ。
「ごめんね、菱ちゃん。駿ね、結婚するんだよ」
それで、牧場を大きくするとはりきっているのだそうだ。
「今は、給料になったから、楽なんだけどね、牧場大っきくなったら、もっともらえるんじゃないか、って」
舞ちゃんが、ユキの様子を見ている。
「今晩ぐらいね」
【事務所】
夕食の後、僕は、事務所で資料を見ていた。
「勝手に入らないで下さい」
「ごめんなさい」
って…誰?
「あ、薫さん。この人葉月社長」
凛ちゃんがそう言うと、薫さんは、目を丸くしている。
「ごめんなさい、知らなくて…あんまり若いんでびっくり」
この人が、駿さんの婚約者の薫さんだ。
「赤ちゃん、生まれるの?」
「はい、4月に」
そして、6月に結婚式をするそうだ。
家族が2人増えるんだな。
頑張って、この牧場の経営を立て直さなくては。
【展示室】
展示室に白毛馬の写真と、舞ちゃんが描いたペガサスの絵を見に来た。
「ここに居たのね」
「この絵、本当に舞い上がりそうだ。絵本書けば良いのに」
「ストーリー考えるの苦手なのよ」
「牧場の1頭の仔馬の物語とかは?」
「悲しい物語も多いのよ」
「悲しい物語は、少なくしてみせる」
「どうやって?」
「少しずつ、変えていきたいんだ。春風牧場の馬達が、天寿を全う出来るように」
「私も、馬達の事故が無くなるように、頑張るわ」
ペガサスの絵を2人で並んで見ている…はずだった。
気がつくと、彼女は、僕の顔を見ていた。
息がかかるほど近くに居る。
「あ、えーっと…ユキの赤ちゃんまだかな?」
「フフフ、赤ちゃん?」
「仔馬だけど…僕、猫でも何でも赤ちゃん、って言っちゃうんだ」
「そう言えば、猫の名前、貴方がつけたのよね?」
「ぶーニャン?」
「そうそう。寒い時は、家の中に入れてるの」
「そうなんだ。良かった」
「あんたら、少し寝たらどう?ユキまだ生まれそうにないから」
弥生お婆ちゃんが、そう言ってくれた。
生まれそうになったら、絶対に呼んで下さいと念を押して、客間に戻った。
とは言え、気になって眠れないよな。
そして…
やっとウトウトした頃、その時が来た!
さつきさんが呼びに来てくれたんだ。