僕の人生を変えた恋人26
「あっ!」
コユキが前扉を潜ろうとしてる。
ジョッキー下馬。
スターターが降りた。
「パドックでは大人しくしてたのにね」
やっぱり、いつものコユキと違うのだろうか?
「京都競馬11レース。18番コユキは、発馬機内で暴れた為馬体検査を行います」
「大丈夫かしら?」
「故障してないと良いけどなー」
故障…僕は、この物のような言い方嫌いだな。
機械じゃないんだよ。
馬は生き物なんだ。
ちゃんと命も有るし、感情だって有る。
コユキの関係者は皆んな、彼女を大切に扱ってくれる。
G1馬だから余計に神経を使うのも有るけど、新馬の時から大切に扱ってくれていた。
他の厩舎の事はわからないけど、そうでない所も有るのかも知れない。
ジョッキーだって、色々な人が居る。
馬の為よりも、自分の勝ち鞍を優先するジョッキーも居るらしい。
コユキのジョッキーは、デビュー戦からずっと同じ人だけど、彼女の事を一番に考えてくれる人で良かった。
「大丈夫みたい」
「良かった」
外枠発送になったみたいだ。
コユキ、今度は大人しくしてるんだよ。
全馬収まった。
「スタートしました!全馬揃ったスタート。カネノカンムリがハナをうかがいます。カミノクインはここに居ました。カネノホマレは後方から、最後方にコユキです。かなり縦長の展開になりました」
「また一番後ろだなー」
「カネノホマレは、コユキより前に居るわね」
「瞬発力勝負になると、コユキには敵わねぇからなぁー」
「カネノカンムリがリードを広げました。コユキはまだ最後方。どこで動くのでしょうか?」
カネノホマレが少しずつ前に出始めた。
コユキはまだ動かない。
一番後ろのまま、第四コーナーに差し掛かった。
京都競馬場は、第四コーナーで内が開く。
カネノホマレが内をついた。
コユキは行き場を無くして、大外に持ち出された。
「ラスト2ハロン、コユキはまだ後方」
ラスト1ハロンの女だからな、必ず飛んで来るはずなんだけど。
「ラスト1ハロン。カネノカンムリは馬群に沈んだ。コユキは中断。いつものように弾ける足は有るか?1頭抜け出した馬が居る!カネノホマレだ。ようやくコユキが来た!しかし届くのか?」
いつものコユキじゃない。
各馬ゴールになだれ込んだ。
「わずかにカネノホマレが有利か?コユキ及ばず。これは掲示板までか?」
「えっ?!」
ゴール板を過ぎた所で、コユキのジョッキーが下馬した。
「まさか故障?!」
大丈夫だよな?コユキ…
競争中止じゃないんだ、大丈夫、きっと大丈夫。
僕は、自分にそう言い聞かせていたけど、でも、血の気が引いていくのがわかった。
舞ちゃんが走った。
「コユキ!コユキ!」
「大丈夫なんですか?」
「ハ行みたいだよ」
廐務員さんはそう答えた。
ただのハ行なら心配いらないけど…
獣医さんに詳しく診てもらうみたいだ。
「ああ私、どうしてまだ学生なのよ」
舞ちゃんが、歯がゆそうにそう言った。
【厩舎】
獣医さんはまだ来ない。
「私まだ学生ですけど、診させてください」
「え?」
「お願いします」
「私からもお願いします」
お姉さんがそう言うと、じゃあという事で、舞ちゃんがコユキを診察した。
まだ獣医学校の学生なので、医療行為はしてはいけないけれど、それでも応急処置をしてくれた。
「コユキ。必ず無事に春風牧場に帰って来るのよ」
そして、獣医さんに詳しく診てもらったけれど、骨折などは無くてホッとした。
コユキは、この後放牧に出された。
目に見えない疲れも有ったんだよね。
ゆっくり休んで元気になるんだよ。
【アクセサリーショップfleur】
12月、一番忙しい時期だ。
「凛ちゃん、今年は来てくれないんですね」
「ごめんね」
「どうしてオーナーが謝るんですか?」
「いや………」
僕のせいだよな…きっと。
ずっと気まずいままだもんな。
この状態をなんとかしないと。
何より、やっぱり来てくれないととっても寂しい。
そして、2015年。
この秋、怪獣君と姫ちゃんがデビューする。
怪獣君は相変わらずヤンチャみたいだね。
「名前、ハルクンにしたわよ」
春風牧場で生まれた男の子だからハルクン。
「で、あのおっとり姫の方は?」
「姫ちゃんね、何にしょうかしら?」
まあ、ゆっくり考えて。
エアグルーヴの孫だからね、変な名前にしないでよ。
やっぱり、美人なんだよな。
血ですかね?
「それより、菱ちゃん。凛ちゃんの事どうするつもり?」
「どうって?」
「また他の人に取られちゃうわよ」
えっ?
何だか凄く胸が痛んだ。
舞ちゃんの時みたいになるのは嫌だな。
でも中々会えなくて…
3月。
フルーツバスケットの仔が生まれたけど、店が忙しくて行けそうにないな。
駿さんが写メ送ってくれたんだけど。
走りそうな馬体してる。
「その子私が買うわ」
おお!
去年隣の牧場で処分されそうになっていたフルーツバスケットを、春風牧場に連れて帰ったんだ。
あの時怪我をしていたんだけど、良くなって種付けして生まれた仔がこの仔だ。
「また芦毛だね」
「そうね、姫ちゃん以外皆んな芦毛だわ。私見に行って来る」
良いなあ。
残念だけど、僕は店が忙しくて行けないよ。
そして、お姉さんは嬉しそうに北海道へ飛んだ。
【春風牧場】
「こら、ぶーニャン待ちなさい」
「ニャーーー」
「あら、どうして逃げ回ってるの?」
「あ、早紀さん。お姉ちゃんが注射しようとしたら逃げ出したんです」
「舞ちゃん獣医さんになったのね」
「はい。早紀さんはどうして急に?」
「フルーツバスケットの当歳を見に来たの」
「そうでしたか。どうぞ」
【馬房】
「まあ可愛い。この仔ね?お母さん白くないけど、この仔は白くなるんでしょう?」
「芦毛ですね。ちょっと大人しい仔です」
「菱ちゃんが「良い馬体してる」って言ってたけど」
「良いバネしてますよ」
「うちの子になる?」
〈仔馬がお母さんのお腹の下から覗いている〉
「凛ちゃん。どうして菱ちゃんの事聞かないのよ」
「あ……」
「もう好きじゃなくなったの?」
「そうじゃないの。菱さんの気持ちがわからなくて」
「あの子優柔不断だからね。でも、まだ好きなら良かったわ」
【アクセサリーショップfleur】
3月4月は、卒業、入学シーズンで、アクセサリーはよく売れる。
だから、fleurは忙しい。
牧場も、出産、種付けと忙しくしている。
コユキが生まれたのは、3月3日のお雛様の日だった。
あの年は、店はスタッフに任せて、ユキの出産を見せてもらいに行ったんだよな。
「春らしい色のアクセ可愛いですね」
「やっぱりパステルカラーの物が良く出るね」
これ、凛ちゃんに似合いそうだな。
あ…
最近良くこんなふうに思うんだよな。
凛ちゃんだったらどうとか、って。
〈携帯の通知音が鳴る〉
あ、お姉さんから写メだ。
フルーツバスケットの当歳だな。
買う事に決めたんだね。
あ、また来た。
凛ちゃんの写真。
何で?
いつも会っていたら、それほど感じないのかも知れないけど、凛ちゃんまた大人っぽくなって、綺麗になったな。
【葉月家】
4月になった。
コユキは、5月17日のヴィクトリアマイルが春の目標で、その前に大阪杯を使う予定だったんだけど、調子が上がらなくて、ぶっつけでヴィクトリアマイルに向かう事になった。
無理させない方が良いね。
オークス以来の東京コース。
休み明け。
不安材料はたくさん有る。
でも、得意のマイル戦だし、頑張ってほしいな。
「先生がね「宝塚記念にも出したい」って、仰ってたわよ」
頑固姫みたいに勝ってほしいな。
その前に、ヴィクトリアマイルだ。
「姫ちゃんの名前ね、ヒメチャンのまま登録するわ」
前に僕が、おっとり姫なんて言ったから、もう少しでオットリヒメで登録されるところだったんだ。
彼女は奥手な血統で、デビューは遅くなりそうだね。
「凛ちゃん、ヴィクトリアマイルには来るって、言ってたわよ」
「そうなんだ…何で僕には言わないんだろう?」
「菱ちゃんの気持ちがわからなくて不安みたいよ。優柔不断もいい加減にしなさいよ」
そうか…
僕の気持ちって、そう言えば、最近あの写真の人ペルソナの事を思い出す事が殆ど無くなったな。
もう、あの頃の気持ちとは完全に違っている。
そして、5月。
「アーオン」
「どうした?二コロ」
「ミュー、ミュー」
え?子猫の鳴き声?
テラスをそっと見てみると、ノラちゃんが赤ちゃんを連れて来てる。
生後1ヶ月ぐらいかな?
どこで産んだんだろう?
ノラちゃんは、うちの物置の中で寝たりするんだけど、子供を産むのは安全な場所じゃないといけないからね。
うちは他の猫も来るから、どこか別の場所で産んだみたいだ。
ちょっと前までお腹が大きかったんだけど、急にほっそりして、生まれたな、と思ってたんだよな。
いつもはずっとうちに居るのに、ご飯を食べると急いて帰ってたもんね。
ちゃんと子育てしてたんだね。
「ノラちゃん。たくさん食べるんだよ。赤ちゃんにお乳をあげないといけないんだからね」
チビ達は、物陰に隠れちゃった。
残念だけど、そのぐらい警戒心が無いと危ないからね。
ちゃんと大きくなるんだよ。
次の日曜日は、いよいよヴィクトリアマイルだ。
コユキの仕上がりは、8割ぐらい。
後ひと追いで、どれだけ変わるかだな。
女の子の体調管理は難しい。
追い切りの映像を見てみた。
コユキはG1馬だから、調教でも名前入りのゼッケンをつけている。
白い馬体が販路を駆け上がって行く。
九分通り仕上がった感じか。
牝馬限定とは言えG1だからな。
絶好調で向かいたいところだけど…
放牧から帰ってから、体調管理が大変だったみたいた。
最終追い切りも、併せ馬で一杯に追うと体重が減り過ぎるので、販路で馬なり。
3歳の時より成長しているはずだから、+体重で出したいところだろうけど…
このところ飼食いが悪くて、あまり増えていないらしい。
コユキ、ちゃんと食べるんだよ。




