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さよならイエロー 作者:香山
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強さって何?

 通算五回。
 結婚式を延期した回数である。中には無期限延期という物は言い様の惨事も含む――。

 二回目は・・・・、故郷を出奔せざるを得なかった。
 三回目は、高名な医者にかかった。
 四回目は、家屋を購入した。

 五回目は――、語るまでもない。

 ……もう、これだけ延びに延びれば、いい加減身内が「彼とは縁がないんじゃ……?」と口を出してくる域なのだが、幸か不幸か、カナエにもアスファルにも、身内自体が存在しなかった。

 お互い、内心、思うところがなかったといえば嘘になるだろう。当事者なのだ。居もしない身内より先に当然、薄々、そうなのかなと考えるときもあり、その都度固く蓋をして生活してきた。

 だからこそ、挙げなくてもいい結婚式に固執した節がある。
 とっとと結婚税を払って正式な夫婦となり、その後余裕ができたのなら、式を挙げれば良いと、いろんな人達に何度も勧められて、それもそうだもっともだと二人して頷くのに――実行には至らなかった。

 自分達の力ではどうすることも出来ない“流れ”が茫とする中で、それに抗おうと足掻くことをやめられなかった。

 その反骨心すら包括した“流れ”の、行き着く先が“今回”だというのなら――もはや心までそれに操られていたようなものではないか。

 反吐がでる。

 カナエはひたすら皿を拭く。
 黙々と手を動かすと、無心になれる。
 心が弱ったときに一人になるのは危険だと、身を持って知っている・・・・・・・・・・
 カナエは延々と皿を拭う。

「変な時間の出発だったけど、旅籠まで歩けてよかったよねぇ」

「野宿はねぇ。避けられないならしょうがないけどさ、屋根がある方がいいに決まってるしねぇ」

 とりとめない日常会話を装った気遣いを感じ取り、カナエは手は止めぬまま顔を上げた。

「この度は無理を聞いていただいて、本当にありがとうございます。おかげで助かりました」

 隊商の女達は、カナエの声にほんの僅かに安堵の息をついた。

 やっぱり気にかけられていた。

 楽しくおしゃべりする気分では当然ないけれど、泣き腫らした顔で無惨なザンバラ髪の女が一人黙々と俯いて作業していたら――相当怖いのは共感できる。
 泣き腫らした顔で無惨なザンバラ髪で一人俯いていたのは、カナエ自身だが。


 ――鬘屋かつらやでは散々だった。

 当座の現金を得るために切った髪を売りに駆け込めば、顔見知りの初老の夫婦はカナエの悲惨な姿に仰天した。
 どうしたなにがあったとカナエの肩や背を撫でて聞いてくる。
 その暖かい手に言葉を無くし、黙然と首を振るしかできないでいると、夫婦は自分達を責めだしたのだ。

「あぁ……わたしが、とても綺麗な黒髪だから、結婚式が終わったら売ってちょうだいね、なんていわなければこんなことにはならなかったの?」

「あぁ……高く買い取るだなんて、私達が言わなければ……」

 カナエは愕然とした。

 違う。そんなつもりじゃなかった。
 髪を切ったのは、身を守るためだ。長い髪は“花嫁の髪型”で、時間はかかるがまた伸ばすことの出来る髪を切ることに躊躇いなんて無かった。

 それだけで“お嬢様の邪魔者を排そう”という輩の目を逸らせるなら尚更だ。

 また伸びるのだし、所詮死んだ細胞でしかない。生きた細胞を守る方が断然優先されるべきものだと、かつて長さも色も多種多様な髪型を楽しんできたカナエは、今でも思っているけれど。

 自分のことしか考えてなかった。

 少なくとも、こんなところに飛び火して、優しい人たちがくれた、早く結婚しなさいと笑いながら急かしてくれた言葉を、こんな風に踏みにじる行為だったとは――想像もしなかったのだ。

 めり込まんばかりに恥じ入って、違うごめんなさい違うんです、夫妻の言葉のせいでは決してないと、必死に訴えることしか出来なかった。


 ――もう涙も出なかった。


 それでも相場の倍を出そうとする鬘屋夫婦の好意を、受け取れるはずもなく全力で値切り――売る方が値切って買う方が盛るなんてどうかしていると、最後に三人で力無く笑った――。

 割り増しなのは、とても質のいい髪だからだと説得され――所詮死んだ細胞でしかない髪の毛の手入れを、煩わしいと思いながらも丁寧にしていたのは――人生で一番美しいと讃えられる瞬間を、ちゃんと美しくしていたかったからだ。

 人生で一番美しい時を飾る髪ならば、そのために伸ばしていた髪ならば――妥当な金額だと思っても、許されるのか。

 今も、その答えは出ない。

 そうして這々の体でたどり着いた城壁で、遅めの出発をしようとしていた商隊に、この金で行けるところまで連れていってほしいと頼み込んだ。


 ――行き先も知らぬままに。


 彼女たちは、その商隊の女衆だ。一族で移動しながら商売をしているらしい。女子供は旅籠へ泊まり、男達は警護も兼ねて馬車で寝るそうだ。

 今回、王都に訪れたのは、竜の鱗が目当てだったと聞いた。
 王都は今、竜の素材でちょっとした好景気だ。竜の出現で流通が封鎖されたので、その反動もあるだろう。

 早朝に出発する予定だったのが、子供が一人迷子になって探していて、それが昼まで遅れたという。

 女性のいる隊商などそう多くはない。ここに潜り込めたカナエは運がいい。

 その運も、アスファルが竜を退治したからなのだが、そもそもこの五回目・・・・・の原因も、その竜退治なのだから、なにがどう転ぶのか本当にわからないものだ。
 禍福は糾える縄の如しとは、本当にその通りだ。

 どっからどうみても訳あり女だが、どっからどうみても無力な女でもあったので、女性の擁護を得て、連れていってもらえることになった。

 旅籠は街道沿いに建つ宿泊施設で、旅館やホテルを想像すると痛い目を見る。屋根があって台所がある、それだけの設備だが、旅の身空にはそれだけで十分ありがたい。

 金を渡したからといって、上げ膳据え膳なわけがなく、カナエも商隊の女性たちもそれが当然と食事の支度をして、今、片づけをしている。

 削いだ干し肉と知らない香草の温かい汁物は、自覚すらなかった空腹にじんわりと染みた。

 皿を片づけ終えると、カナエは居住まいを正す。ただそれだけで、女達も聞く姿勢をとった――それはそうだ。遅かったくらいだ。

 身の内に、知らない人間を入れるなんて本来あり得ない。知らない人間は怖いのだ。
 どんなに無力そうに見えても、どんなに穏やかな言葉をかけられても。

 知らないだけで怖い。

 受け入れてもらえて、今も気遣われているのに、カナエの鞄には持ち歩くには非常識な持参金かねが入っている。
 それだけで、ただただ他人が恐ろしい。

 故郷を出たときは、同じ鞄に、目減りする前の金が入っていた。

 ――だけど隣にはアスファルがいた。

 カナエは平気で鞄を抱えていられた。どれだけ頼りにしていたのか、実感せざるを得ないというものだ。

 この商隊にしばらく世話になるのだから、カナエには、自らを語る義務がある。
 それに応える形で、彼女たちも自らのことを語るだろう。

「婚約者を、奪われまして、泣いて逃げてきました」

 全てを言うことは出来ないが。

「まさかその髪、相手に切られたのかい?!」

 髪。髪。また髪だ。

「……いえ、当面の資金にしようと、自分で切って売りました。あの……、お渡しした、お金です」

「重っ!? 額面通りに受け取れないじゃないか!」

「ですよねすいません! でもただのお金なので! 額面以上の価値はありません!」

 ただでさえ、この見窄らしいなりで同情を買ってしまったのだ。

 カナエは毛布代わりにしようとしていた外套を取り出し、さっさと頭巾を被った。
 草木が色づき始めたばかりの季節、室内で外套と頭巾をすれば少し汗ばむ。

 それでも話終えれば寝るだけなので、これでいい。

「抵抗しなかったのかい?」

「……身分が、違いまして」

 抵抗?
 どうやって?

「そうかい……」

「えぇ……」

 カナエだって、考えた。
 どうにかならないかと考えた。

 職業軍人相手に肉弾戦? 絶対負ける。カナエは前世で武術を習っていましたなんて設定はない。
 それらを無視して、お嬢様に勝てたとしよう。だが、その超局地的勝利になんの意味がある。

 消される口実を自ら作るようなのではないか。

 まぁ、そもそも勝てないのだが。

 では裁判か。
 そもそも移民であるカナエとアスファルは、市民権がなかった。そこを無理して家屋を購入することで、なんとかそれを得た。
 だから、起訴までは可能だろう。

 だが、思考はそこまでだった。

 カナエを裁く法は慣習を明文化した都市法だ。それはいい。

 だが、貴族は?

 同じ都市法で裁かれるのか。
 そもそも、市民権をもった王都の住人は、半数を切る。
 その市民権を持った人間の、一握りの裕福な名士がたち誓約官や参審官となり、その下に下級役人が入る。彼らが裁判権を持ち、王都の自治を行っている。

 市民が貴族を裁けるのか。

 そもそも庶民と貴族は生きる世界が違って、ほとんど交わることが無く生きている。
 アスファルが比較的珍しい男性の魔法使いでなければ、こんな非常識な展開はなかった。

 市民権を得て、義務と権利をそれなり学んだが、貴族と相対する方法など考えたこともなかった。

 知ろうともしなかったが、市政機構が貴族を裁けないのであれば、裁くのはやはり――王なのではないか。
 もちろん本人ではなく、王直属の裁判官、だが。

 アスファルとローゼの婚約自体が、王命ですらあるのに、カナエが訴えを起こして、王が、ローゼもといシェリズ家を裁く?

 あり得ないと思う。

 そもそも、王都の自治、裁判の頂点には、王が任命した代官がいる。
 その代官は――たしか、公爵様だ。

 もうぎゃふんとしか言えない。

 市民カナエですらそれだ。
 あの路地の長屋に住むあたたかい人たちは――市民では、ない。切妻屋根に白い壁のあの長屋は、貸家なのだ。貴族にかかわらないでくれと、心を込めて言う他なく、己の無力さが情けなかった。

 路地の突き当たりの平屋の一軒家は、その地区の顔のようなものになる。町内会で言えば、班長くらいか。
 ちょっとした近所のもめ事を取りなす。

 表の顔は、通りに面した金物屋のご夫妻。

 慣習として、突き当たりの家は、長屋の大家のような役割を担う。カナエとアスファルは長屋の大家ではないが、あの立地は、大家が住むことが多いから、そうなっている。

 二人は年若かったが、読み書き計算が出来た。そしてアスファルは騎士で、信用があった。

 元は長屋でドナ宅の隣を借りて、住んでいた。
 あの家の元の主は、連れ合いを亡くして息子夫婦のもとに身を寄せることになり、それを期に、王都の土地屋敷を手放すことにした。

 元の家主が去ると、あの一角の市民は金物屋夫妻のみとなる。
 市民権は、王都に土地および家屋を有している者に与えられる。

 滅多にない機会だし、区画に市民が表の店だけとなると、他の地区に一段劣ることになる。
 家主もそれを懸念して、長屋の住人になんとか買い取ってもらえないかと話を持ってきた。

 だいぶ無理をしたが、何とか出来たのはカナエとアスファルだけだった。
 それも、ほとんど借金だ。読み書きが出来て正式な文書が交わせるから出来たことでもある。

 元の家主にも、金を借りた商会にも、だいぶ手を尽くしてもらった。

 それだけしたけど、訴えたところで捨ておかれるのが関の山だなのだ。

 そもそもカナエは逃げ出した。
 すごすご戻って訴えたところでカナエの居場所はすでにローゼのもので、ローゼを追い出せたとして最後は王がこんにちはで再びカナエが追い出され……。

「それなんてパレスチナ」

「呼んだ?」

 二人して首を傾げる。名前を伺うとパレスティーナさんとおっしゃった。
 誤爆である。

 王都に戻ること自体が、もはや夢物語だ。

 カナエは逃げた。
 身を守るためと言い訳して、逃げた。
 逃げてばっかりの人生だ。
 なにもかも中途半端なまま、無責任に放り出して、逃げてばかり。



「……じゃあ、彼が、迎えにきてくれるといいねぇ」



 他に言えることもなかったのだろう。
 こんな境遇の女が、切望するだろう願いに差し添った言葉に、カナエは力無く、わらった。


 ――そうだよ。


 カナエは逃げた。
 一瞬でも、アスファルのなかで、ローゼと並び立てられて較べられることから、逃げた。
 それは、どうしようもなく恐ろしかった。

 王都で五年。
 共に暮らしていた。

 お嬢様にはわからなかったようだが、その背後で微動だにしなかった侍女は、ローゼが「出産を認める」と口にした瞬間に、やらかした! とばかりに鉄面皮に罅を入れた。

 おかげさまで、カナエは我を失った。

 そうだ、そうだよ。

 迎えにきてほしいのだ。
 それでも良いよと言って欲しくて、嘘でも良いから言って欲しくて、一瞬でもローゼと較べられるのが耐え難く、話し合いの席に着くことすら拒否して――。


 アスファルから・・・・・・・、逃げてきたのだ。


 大丈夫。ふたりとも、とっても健康。
 何の問題もないわ。
 だから、今は、神様が“まだ早い”って言っているだけよ。

 魔法で診療が出来るという医者は、そういった。
 金返せって思った。

 その時から、今も、カナエは神様が大嫌いだ。

 弱くて狡くて卑怯でごめんなさい。
 カナエが逃げ出した意味を、ずっと一緒にいたあなたは正確に理解するだろう。

 アスファルを信じきれなかったのは、ひとえにカナエの弱さだろうけど、どうやって強くなればいいのかわからないのだ。

 どうやって強くなればいいの。

「ただ……もう一度でも、会えたら、いいなって、思っています……」

 無様に逃げ出して、強くなりたいと切に願う。
 だけど、おなかの内側あたりに住んでいる、いつもは寝ている小さな少女が、いやだいやだと泣き喚くのだ。

 好きな人に、さよならをいう勇気を強さと呼ぶのなら、そんなのいらない! と、頑是無く喚き散らす。その声に誘われて、そうだよね。そんなの言いたい人なんていないよねと、カナエはいつだって諦める。

 そして弱いまま、これからは一人で生きていくのだ。

 会いに来てくれればそれだけで良い。
 百年後に、墓前に建つだけでも良いよ。

 生きてる内に会えたなら、いやだいやだと騒ぐ子を宥めすかして、ごめんねって。
 傷つけてごめんねって言う。
 会いに来てくれてありがとうって、言う。

 ちゃんと言うけど。

 笑って“さよなら”が言えるかだけは、わからない。
 それだけは、死んでも言いたくない・・・・・・・・・・からだ。
 身を持って、知っている。

 これからどこかに身を寄せて、出来ることなら、アスファルにだけわかる方法でカナエはここにいると伝えたい。

 そうなると、王都と同じことは出来ないわけだ。

 何かないか、死ぬもの狂いで探さなければならない。探すところから始めなければならない。

 そして、あなたを信用できませんでした言ったも同然のアスファルを、来てくれるかもわからないアスファルを、その日が来るまで待ち続ける。
 わたしはここにいると、叫びながら。

「……気が狂いそうね」

 自業自得だけど。






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