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女の意地

 生まれてこの方、誰にも告白したことはないが。


 カナエには前世の記憶がある。


 そして期待を裏切るだろうが、今世も前世も平凡な女であったので、圧倒的な格差を覆して目の前の貴族娘を撃退する術などない。


 ないが、だからどうした。


 泣いて何か変わるのか。

 イヤだと喚いて貴族が平民に遠慮などするのか。

 殺してやると刃物を振り回して、カナエに未来があるのか。

 この泥棒猫と昼ドラ風に罵って、気が晴れるのか。


 否。断じて否だ。


 カナエは編み掛けの面紗ベールを整理箪笥の上に移動して卓を空ける。

 いかなる表情も顔面に乗せず、日本人特有の“なに考えてんだかさっぱりわからない無表情”に努めて、指先まで神経を通して向かいの椅子を指し示す。


「そちらへどうぞ」


 大丈夫。わたしは冷静だ。

 自分で自分が心配になるくらい冷静だ。

 反動が怖いくらい冷静だ。

 後で死にたくなるのだろうが、今、この場で、病的に興奮し金切り声で喚かずにすむのは助かる。


 お嬢様の連れの年かさの婦人――おそらく、熟練の使用人――が心得て椅子を引き、貴族娘は優雅に着席する。

 椅子は二脚しかないが、侍女はその名の通り娘の背後に控え彫像のように動きを止めて侍ったので、椅子を勧める必要はないのだろう。


 カナエも向かいに着席する。


 彼女に譲ったのは、カナエの指定席だ。

 その椅子に座られるのはこの上ない屈辱であったが、今し方カナエが座した、アスファルの指定席に座らせる方が耐え難かったから致し方ない。


 これが通常の客であったら、カナエはまず飲み物と軽く摘める菓子を供するが、相手は貴族。庶民の用意したものなど、口を付けまい。

 その証拠ではないが、突然の訪問に対して礼儀の御遣物もない。手ぶらで来やがったのだこのクソガキ。


 彼女にとって、カナエは礼儀を払う相手ではなく、礼儀を払われるのが当然の認識なのだ。ただ、それだけなのだ。


「それでは失礼ですが、経緯を詳しくお聞かせくださいますか」


 頭のてっぺんから糸で吊されるように。

 背筋を伸ばし、少し顎を引く。

 それが美しい姿勢のコツだと、アスファルの母に習った。


 ありがとうおばさま。

 おかげで、わたしは怯まず――俯かずに、いられる――。


「よいでしょう」


 令嬢は鷹揚に頷いた。

 やっぱりお茶は出さなくて正解らしい。


「アスファル様は先日王都を強襲した竜を退治し、王を、王都の民を守りました。その類を見ない功績に報いるため、軍は手柄と実力に見合った地位を与えることにいたしました」


 ファンタジー災害、竜の襲来。

 それはカナエの記憶に新しい。


 竜実在すんの!? と驚愕したのもつかの間のこと。兵士として採用され、魔法が使えることで騎士に昇格していたアスファルが、竜を倒したと聞いたときは何の冗談かと笑った。


 笑ったが、マジだった。


 カナエはそれが、どれくらいの手柄なのかついぞわからず、竜のせいで物流の途絶えた王都の乏しい食材で、精一杯の夕食を用意した。


 薄汚れ、疲労を滲ませ、竜撃退の歓喜の報から三日も過ぎてやっと帰宅したアスファルは、それにほっと息をついて喜んだ。

 カナエは、大きな怪我がないことに、安堵した。


 二人の間では、それだけの出来事だった。

 たった一月前のこと。


 ちょっとした褒賞がでたら、それでやっと結婚式を挙げられるかな。

 そんな会話を、空々しく思い出す。


 ――うそつき。


 なにが結婚式だ嘘つき。大嘘つき。


 状況も忘れて泣きそうになったが、カナエがわからなかったように、価値観を同じくするアスファルにも、わからなかったのかもしれない。

 だとすれば、ささやかな約束が、世にも残酷な嘘に成り代わったとしても……彼は責められない。

 恨むとしたら――。


「ご存じでしょうが、軍の将官は貴族が担います。なのでアスファル様は、わたくしローゼ・リーチェニヴァ・ル・シェリズと結婚し、貴族籍を得ます。まずは竜殺しに報い、近衛軍大隊長に。連隊長を経て、ゆくゆくは我が父の跡をを継ぎ、大将軍に上り詰めるでしょう」


 カナエは小さく息を飲んだ。


 今の今まで名乗りすらしなかった不躾な少女は、王都では知らぬ者もない有名人だった。


 カナエですら名前は聞き及んでいる。


 名乗らなかったのは、カナエが知ってて当然という自負だったのか――知るわけねーだろ写真もねーのにばっかじゃねーの自意識過剰痛ーい。


 王国初の、女性騎士。


 軍部の頂点に立つ、武の名門シェリズ伯爵の一人娘。

 好きでもない男性と結婚したくないと宣言し、コネか実力か知らないが、騎士となり昨年の王都の話題をかっさらった。

 歌や劇の題材となり、王都の若い娘は似てるのかもわからない絵姿を買って大切にしていたりする。


 実物は、亜麻色の髪をした平均的な身長の少女で、確か十六か十七と聞いた気がする。今年二十三のカナエから見たら小娘で、彼女から見たらカナエは――自主規制っ!


 淡い黄色のドレスを纏い、片糸撚りのふんわりとした白い肩掛けを巻き付けた姿は、凛々しい女騎士というより深窓の令嬢だ。騎士服を着ても、男装の麗人という具合にはなるまい。

 可愛らしいお嬢さんではある。

 胸元スッカスカな、競技者アスリート体型だが。


 ――貴族ほどではないが、庶民とて恋愛結婚は珍しい。

 というのも、結婚は好き会った男女が家庭を作るという側面よりも、赤の他人同士が縁を繋げるという面に重きを置くからだ。


 たとえ本人同士が熱烈に望んでも、両家の親族が互いに親戚になることに難色を示せば、簡単にポシャる。田舎では特に顕著で、王都ですらままある。

 いざというとき真っ先に頼りになるのは、遠い親戚より近くの他人。それは古今東西変わらない。

 だが、その後に頼り頼られる権利と義務があるのが親戚、姻戚なのだ。当然、本人たちより親族が相手の親族を真剣に吟味する。


 そもそも若い男女がたった二人で、自分たちの収入だけで都市で暮らそうと思えば、そうとう貧乏な暮らしになる――それを実行していたのが、カナエとアスファルだが。


 収入の五割が食費で吹っ飛ぶといったら感覚はつかめるだろうか。

 驚きのエンゲル計数である。

 エンゲルさんの計数は、低いほど豊かとされる。

 生きてゆくのに不可欠な食費の割合が低ければ、それ以外にお金が使えるからだ。


 そんな世界で“恋愛結婚”は貴賤を問わない乙女の憧れだ。

 

 その憧憬を、自ら切り開き体現した高貴な身分のお姫様。


 若い男より、結婚適齢期前半の夢見る少女に絶大な人気を誇る。


 そのあたりの情緒がすでに枯れているカナエとしては、鬱陶しかろうと煩わしかろうと、親族に歓迎されない結婚なんぞいずれ破綻すると思っている。

 具体的に言うと、「もう我慢できない別れる!」と愚痴をこぼした途端「別れろ別れろ!」そら見たことかと煽られる羽目になる。弱ったところに追い打ちをかけられるわけで、果たして冷静な判断が下せるものだろうか。


 カナエはちらりとローゼの胸元に視線をやった。


 女性騎士誕生の熱狂のさなか、アスファルもほぼ同時期に兵士から騎士へと昇進した。もしかして同僚? と尋ねたことがある。

 その返答は、「見たことはある」という素っ気ないもの。部隊は違うし身分も違うので、同期と言う感覚もなかったようだ。


 どんな子なの? と大した興味がなくても続くありふれた夕飯の一コマで、幼なじみの返答は一言だった。


 貧乳。


 外では絶っっっ対に言うなよ!? と念を押した上に、運動すればおっぱいの脂肪は消費されるの! 薄くなるのは当たり前なの!! と女性として庇ったのを思い出し、恩を徒で返された気分になる。


 そういえば、カナエの豊かな胸を見て、ローゼはふわりと纏わせていた肩掛けを胸元にかき集めていた。

 肩は凝るし時を経れば垂れるだけの代物だが、今だけは唯一の武器かもしれない。

 谷間どんなもんよ。


 ――アンタはさらにえぐれろ。


 胸中で呪いを吐いた。


「……そうですか」


 憧れるのも、実行するのも勝手にすればよいが、貴賤婚なんて、博打もいいところだ。

 巻き込まれたアスファルに同情を禁じ得ない。

 性格は、本人の資質と環境により培われる。価値観の相違はすなわち性格の不一致。離婚理由不動の堂々第一位だろうが。


 国境際の小さな村で育った田舎者が、貴族生活に慣れることが出来るのだろうか。

 この場合、ローゼに己がアスファルに合わせるという思考は思い付きもしないだろう。

 婿入りするアスファルが、一から十までローゼに合わせなければならない。


 カナエは、貴族の暮らしなど詳しくは知らない。


 だから想像でしかないが――強制的に、貴族の仲間入りを果たすということは――庶民であった“これまで”の完膚なきまでの否定ではないか。

 アスファルも――カナエも――己の今までに、恥じることなど一つもないのに。


 本来なら、互いが譲り合うべき事なのに。


 お嬢様には言っても仕方なかろうし、忠告してやる義理はない。すまんアスファル。不甲斐ないカナエを許してほしい。


「……それは、決定事項なのですね?」


「そうですね。父が王に願い出て、許可を得ましたから」


 貴族の結婚には、王政府の許可がいる。勝手に縁戚となり把握してない繋がりでつるまれた上に反抗されたら面倒だからだろう。


 許可が出ているというからには、カナエの全く与り知らぬところですでに、ローゼとアスファルは婚約者だ。

 そして結婚はもはや“王命”と言っても過言ではない。王が許しているのだから。


 対してカナエの婚約はただの“口約束”に過ぎない。


 貴族の令嬢が王命に従うのは呼吸をするようなものだろうし、それ(・・)を背景とした絶対の自信がローゼから伺える。

 逆に言えば、それ(・・)しかないのだと、後々、思い知ればいいと願っとく。



 ――さて。ここまでが前提である。



「それで。わたしにどうせよとおっしゃるのでしょうか」


 ここからが本番だ。


 ローゼは、あくまで淡々としたカナエに少し眉を寄せた。あまりお好みの反応ではなかったようだ。

 知ったこっちゃねーが。


「……貴女が、アスファル様と添い遂げる約束を交わしているということは聞き及んでおります。シェリズ伯爵家としても、今までの日々、アスファル様を支えてきた貴女を無下にはいたしません」


 カナエは瞬きもせず、続きを促す。


「…………望むなら、屋敷を用意いたしましょう。アスファル様が貴女の元に通っても……黙認いたします。私が子を為した後でなら、出産も認めましょう。ただし、当家の継承権は私の実子にのみ与えられますので、血迷うことなきよう、身の程を弁えてくださいましね」


 ――愛人になれ、と。


 言葉ほど割り切っているように全く見えない。超棒読みだ。両親あたりに言い聞かせられた雰囲気がある。


 もとより政略結婚をいやがって騎士となった少女だ。程度は知らぬがアスファルは好意を持たれているらしい。

 そして当然、愛人なんて本当は認めたくないという心情がだだ漏れだ。


 言い方は上から目線で徹頭徹尾気に入らないが、貴族vs庶民ではこんなものだろう。

 提案としては想定ほど悪くはない。


 最悪は、今すぐ消えろと追い出され、その後秘密裡に゛処理″されるという未来だった。


 だからといって、受け入れるかと言えばそれとこれとは別な話。


「ありがたいお話ですが、お断りいたします」


 心にもない枕詞とともにカナエは即答する。

 ローゼは小さく、息を吐いた。


「よく弁えてくださいましたね」


「いいえ。わたしは、男性が複数の女性を囲うことに忌避感はございませんので、伯爵家に遠慮した結論ではありません」


 平成日本から転生した分際で異端だろうが、本音である。


 夢見る乙女に少しばかり異なる価値観を提示してやろうか。


「は?」


 ローゼがお嬢様らしからぬ、鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け面を晒した。ついでに侍女も。


 カナエは冷ややかな微笑を浮かべる。


「一人の男に一人の女。一夫一妻制なんて、男の――それも貧しい男のための法ではございませんか。実際、地位やお金のある殿方は、愛人を複数囲っていらっしゃるではないですか。それはそちらの方がわたしなどよりよくご存知でしょう?」


 貧乏人は、愛人など持てない。


「女は条件のよい方に嫁ぎたい。しなくていい苦労はしたくないですし、出産は命がけです。やっとの思いで生んだ我が子が苦労したり、病気をしたら嘆くばかりです。妻子を養える力があり、健康な男性に嫁ぎたい。打算ではなく、本能です。法の下、一人の夫に一人の妻と定められていなければ、女はいい男に集まり、貧しい男性は妻を得ることは出来ません。ほら男性のための法でしょう」


 考えたこともないのだろう。ぽかんと口を開けている。


「翻して遠い国の王の後宮ハレムは法のもと一夫多妻制。序列はあれど女性は全員正式な妻。これぞ女性のための法です。女性は強い男と子を為せる。生活に困ることもない。女同士で陰湿な争いが繰り広げられていると聞きますが、それは女性に子を産むだけしか仕事を与えないからでしょう。自分一人では到底やり切れぬ仕事を割振れば、妻同士は敵ではなく同僚となるでしょう。上げ膳据え膳で囲うから膿むのです。掃除しろ洗濯しろ飯を炊け自ら子を育め! 手が回らないとき、父を同じくする子を持つ同僚が助けてくれるでしょう。さすれば陰湿な嫌がらせなどしている暇などございませんよ、きっと」


 立て板に水とばかりにまくし立てる。


「対して一妻多夫なんて大変ですよね。別に好きな男性を二人バラバラに選べるわけではありません。夫は原則兄弟です。妻が複数の夫を持つというのはあくまで表面的なこと。その本質は、家単位。一つの家に一人の妻、兄弟が一人の女を共有しているわけです。家事も一人子育ても一人夜は二倍。すごーく大変ですよ」


 逆ハー願望の持ち主は、弩級のマゾ女だと、カナエは思っている。

 異論は認めるが、一夫一妻制が男性のための法であるのは、類人猿の群れを見れば一目瞭然ではないか。シルバーバックの背中は広くて超かっこいい。


「――少子化だの出産率の低下だの好き勝手喚く時間があるなら、利点を説明した上で一夫多妻制を試行すればいいのよ。自分が多くの責任を持ちたくない偉ぶりたいだけのオッサンが政治を動かすから女性を蔑視する発言しかしなくて埒があかないの。社会の最小単位である家族の枠を増やすのよ。人口増えるわよ。最小単位が大きくなるんだから。金がある男は財力が許す限り好きなだけ娶ればいいわ。一緒に住むのよ。もちろん女も外で仕事を続けるの。子供も産むの。一人くらい専業主婦だと助かるわよね。保育園の待機児童も激減するわよ。子育ての家庭への回帰ね。専業主婦も一つの職業、外で働いている妻が専業主婦に給料を払えばいいじゃない。割れば保育園より安いんじゃないの? AランチとBランチを頼めば二言目にはシェアしたがるくせに、かじりどころのある臑を持つ男をワケワケできないなんて食わず嫌いじゃないかしら。女って同じ土俵で別な喧嘩をする生き物じゃない。あっちより若い、あっちより年上、あっちより美人、あっちより年収があるとか、各々勝手にプライド保って表面上アハハウフフでうまくやれると思うのよ。こんな画期的な提案なのに、邪魔するのは女性の価値観の方。全く世の中うまくできてるわ、本当に。世界を作ったのは男だってよーくわかる」


 途中から言葉遣いも愚痴も前世のものとなってしまった。脱線もいいところである。


 まぁ、お嬢様の理解が追いついていないようだが。


「これはあくまでわたしの個人的な思いですけど。そーゆーわけで、お断りなんです」


 一息ついて、カナエは名残惜しく箪笥の上の面紗に目をやった。


 もう被れない、手作りの花嫁衣装。


「男性が己の力で女性を囲うのは甲斐性と認めましょう。ですが、その奥様に、奥様のご実家に屋敷を用意していただくなんて、そんな謂われ――そんな生活――御免被ります」


(訳)寝言は寝て言え。


 カナエは勢いよく立ち上がり、糸巻きごと面紗を鷲掴むと、そのまま釜戸の燃料口にくべた。


「――!? なにを!?」


「わたしにはもう、必要のないものですので!」


 最高の出来だが、縁起が悪くて売ることも出来ない。ここに残して、ローゼが使う可能性が一%でもあるのなら、燃え尽きた方が遙かにマシだ!


 かまどの火は落としていたから、灰が舞った。


「荷物を纏めるので御前を失礼します!!」


 一刻も早く、ここから立ち去りたい。

 物理的な距離がほしい。

 どうせ大した荷物なんてない。服だって、下着をのぞけば自分で仕立てた|故郷の衣装

《ディアンドル》が三着だけ。


 寝室で鞄に服を詰め込み、化粧道具も放り込みかけ、思い立って剃刀を手にする。


 結婚式のために伸ばしていた黒髪。


 何度も延期となったから、お尻より長くて大変だった。

 一本の三つ編みにしてた髪を、うなじのところで皮紐で固く縛り、引っ張りながら剃刀で削る。鋏は居間だ。たとえ自分の髪を切るためでも、あの少女の前で刃物は触れない。


 削って、削って、最後は引きちぎり、断髪を果たした。


 黒髪は比較的珍しい。鬘屋かつらやで売れば旅費くらいにはなるか。


 剃刀を放り投げ、肩で息をしながら今度は書斎に駆け込む。


 本棚の奥に隠していた金貨の袋。数冊の冊子をを手にしたら、カナエの荷物は――カナエだけの持ち物など――たったこれだけ。


 居間に戻ると、お嬢様はまだ呆けて座ったままだった。


 その前に、一冊の帳面を叩きつける。


「――これは、この五年間のアスファルの収入・支出を記入した帳簿です」


 そしてジャンと音を鳴らして財布袋を置いて見せるが手は離さない。


「そしてこれは、故郷の両親から継いだわたしの家と畑、牛を売ったわたしのお金です。持参金でしたが、最早ただただわたしのお金です。わたしはこの家からアスファルの財産を一切持ち出しません。それはその帳簿と照らし合わせれば証明されます」


 宣言して、金は鞄に詰め込んだ。


「アスファルがくれた、手作りの指輪も、腕輪も、夏市で買ってくれた櫛も、初めてのお給料で贈ってくれた首飾りも――思い出ばかりの品だけど、持っていきません!」


 お嬢様からすればゴミだろうがな!


「こっちの帳面はわたしが所属する職業組合の帳簿で、組合規約第三条二十七項により、第三者の閲覧には組合長の許可か、会員の過半数の許可が必要ですから、あなたに見せる必要はございません! 後ろ暗いことはございませんので、閲覧したければ所定の手続きをなさってください!」


 その帳簿を抱え、最後は台所で育てていた香草を根ごと引っこ抜き手巾で包む。

 超しぶとい植物なので、早々枯れまい。


 ――昨日までと何一つ変わらない居間を見渡して、ついにカナエの涙腺は決壊した。


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