剣士と槍
「…逃げろ、直江」
沢田は、無謀だとも知らず、僕へ耳打ちして芹澤さんに手を伸ばす。
沢田の手が、芹澤さんの手をとった瞬間、応化が始まる。
「じゃあ、はじめよう!剣使い!」
槍使いは絶叫すると、沢田に向かって飛び掛った。
沢田は勢いよく走り出し、槍使いに斬り込んでゆく。
…そうして、彼ら二人は打ち合うが、見るからに沢田の方が劣勢だった。
必死で沢田は槍を弾いてはいるものの、一発弾くのにも苦労している。
あんな様子では、おそらくほぼほぼ太刀筋は見えていないだろう。僕のような例外ではなく、まったくの素人であるらしい、沢田にしては善戦している模様だが…
「…ッ…っ!」
あの調子だと、押し負けるのは時間の問題だった。
自分の間合いの外からの突き、近づけば払い。
そのコンビネーションに、沢田は押され…やがて、競り負けた。
わざと敵が作り出した隙に、誘われた沢田は飛び込んでしまった。
そして、槍使いの迎撃を防ぎはしたものの、石突きで彼は突き飛ばされた。彼は、一度たたらを踏んで踏み堪えたが、渾身の槍使いの払いには耐え切れず、背中からエスカレーターに落ちかけた。
どうやら、打ち合ううちに一回に繋がるエスカレーターの場所まで移動していたようだ。
そんな不安定な足場だが、沢田は耐え、反撃しようとした。
けれど、沢田は跳ね飛ばされた。
その時、何が起こったか、沢田には解らなかった事だろう。
簡単に説明するなら、沢田は槍で投げとばされたのだ。
てこの原理、服に穂先を突き刺し捻ることで固定、一瞬の交差に見せた小技の集積は、青年一人を簡単に投げ飛ばした。
簡単な仕組みだが、恐ろしく合理的な技だろう。
---賞賛に値する、見事な技だった。
沢田と共に弾かれた、剣は宙に舞った。
剣はそのまま、僕の近くのベンチに刺さった。
磨き抜かれた鏡のように、僕の顔が刀身に写りこむ。
…あまり見れた顔じゃなかった。
どうやら、僕は心底落胆していたようだ。
「…呆気ない」
そう、槍使いは沢田に対して言ったが、芹澤さんの応化が解けていないところをみると、まだ奴は沢田を殺していないらしい。ソレは、非常に好都合だった。
僕の上着の中には『謀反の旗』がある。
これを用いて、この剣を執れば、この場は切り抜けられる。
けど、僕は迷った。
僕が彼女を執っていいのか?
「呆気ない」
けど、悩みは一瞬で霧散する。
嗚呼、馬鹿馬鹿しい。
…死ぬかもしれない、それが僕を動かした。
悩むことを今は止め、僕は腕に謀反の旗を巻きつける。
「…?」
槍使いは、そんな僕を不審そうに見、そして咄嗟に構えた。
その動作は、直感として正しかった。
一足飛びとはいかないまでも、数歩で接近した僕は、上段からの打撃を敵に打ち込んだ。
僕は二打目を構えつつ、思う。
そもそも、剣を執るか執らないかじゃないのだ。
こいつを斬るか切らないかのだけの簡単な選択じゃないか。
死ぬのが怖い僕は、こいつを斬る事にした。
「おまえ?!」
そうしなければ、僕だけじゃなく、コイツは沢田も芹澤も斬るだろう。
「こい、つ!」
苦しそうに、槍使いは俺を押し返す。
ーーーそうだよ、そうしなくちゃ。
俺は槍の穂先が此方に来るのより早く、横薙ぎを放つ。
首を断つ予定だったが…、上手く行かないらしい。
槍使いは、沢田に見せた数段上の技で応戦する。
けれど、僕は左の突きを弾き、奴の間合いに踏み込む。奴は、突くことをあきらめ、払いを繰り出した。
…不味い、速すぎだ。
この速度で叩かれれば、刀身が折られる可能性だってある。
僕は身を引くことで回避したが、その間を槍使いに利用された。
先ほど、沢田を投げ飛ばした技の再現。
恐ろしい勢いで袖の布を穂先は絡めとり…
「…とった!」
確信にも似た声を、槍使いが上げても可笑しくはない。
なんせ、後は力を入れれば僕の足は床から離れるのだから。
奴は勝利を確信した、だから俺につけ込まれた。
僕は絡めとられた腕側の袖を――皮膚や筋が切れるのも厭わず、斬った。
血が滲む上、痛みが走るが、効果は絶大だった。
袖の一部を絡め取った穂先は宙に跳ね上がったが、技を急停止しそこなった槍使いは、懐を無防備にしてしまった。
この好機を逃す愚かさが、何処にあったか?
槍の払いよりも、俺の突きのほうが早かった。
「お前が、死ね」
切っ先は、顎下の柔らかな肉を突きぬける。
おそらく脳まで、刃は達したことだろう。
槍使の体が痙攣し、動かなくなってから、僕は奴の肢体から剣を抜く。
僕は、奴が絶命したのを確認してから、その死体を無造作に蹴り飛ばした。どれほどの手錬だろうと、死ねばただの肉の塊に成り果てる。
僕は、死体の服で刀身についた血をぬぐってから、沢田の方へと歩いて行った。
エスカレーターを歩いて降りる。
沢田の近くまでよったのは、生死を確認するためだ。
手には剣もある。沢田の様子を見て、再起不能で植物人間になるしかないと判断したら一思いに殺してやろうと、僕は決めていた。
障害を負って生き延び、無様に草薙計画で殺されるならば、一思いに殺してやろう。
そう考えていた僕は、まず、うつ伏せに倒れていた沢田を、蹴って仰向けに起こした。スポーツで作った体だけあった。アレだけの高さから落ちたというのに、何処も骨折していなかった。
昏倒しているので、屈んで、一応脈を図ってやると、脈が測っている途中で無くなった。
俺は顔を近づけて、呼吸音を聞いたが、聞こえない。
心停止に至ったようだ。
舌打ちして僕は彼を見下ろした。
急いでAEDを取りに走った。
使い方の通りに装置を用いて、心臓が動きを出すことを祈りながら、治療を試みる。呼吸よりも、心臓が停まっている方が危険だ。僕は何度も、試みた。
やがて、弱弱しくはあったが、沢田の心臓は再び動きを取り戻した。
僕は、ひとまず、この馬鹿を捨て置いて先に進もうとしたのだが、そのとき―――足首を、なんと沢田が掴んだ。
どうやら、さっきのショックで意識を回復したらしい。
僕が振り返ると、彼はしっかりとした意識も無い様子ながら、僕の手元を注視している。
なんとなく、意味は解った。
僕は、彼の鬱陶しく、忌々しい手を一番強く蹴り付けてから、歩き出した。
それから、振り返ることなく、自分のコートと反旗の旗、それと剣を投げる。
後ろで派手な音がしたが、振り返らない。