傷痕に指を
「…違う、私は母が強姦されて出来た子だから」
都合よく聞き間違えたとか、そんなちゃちなモノじゃなかった。
事実は重たく、腹のうちに落ちた。
そんな話を、僕は、初めて聞いた。
「---」
どういえばいいのか、そもそも答えられるのか。
僕は、絶句してしまった。
ちんけな自分の推測では考え付かない現実だった。
そりゃないだろうぜ、とも思う。
けれど事実なんだろう。熊崎の目は、笑っていない。
--哀れんでも嘆いても無い、ただ諦めた目。
その、自分が望まれずに生まれてきたと言う事実は消せない。ましてや、そんな性犯罪の被害にあって生まれてきたと言うトラウマなんて口にしないほうがいいのに。
僕は思った。
生まれてきた意味を、熊崎はきっと問えない。
彼女の存在は、彼女の遺伝上の父が罪を犯さねば始まることはなかった。
たかが離婚で両親を見限った僕よりも、熊崎は、ずっと不幸な存在だったのか。
本当に無言の数分があって、
それから僕は搾り出すように彼女に聞いた。
「僕に、言って、いいのか」
「いいわよ、どうせ」
そう続けた彼女の発言は、あまりに重くて、寂しかった。
「私は愛されないから」
なんと答えればよかったのだろう?
そんなことない、と言ったところで、彼女の心には響かないのは解っていた。
何を言っても変わらないかもしれないと言う、無力感は痛かった。
僕は、あんあまりにも軽い存在だった。
「母は、家を追い出されてた。私のせいで。だけど母は、私が憎いのに憎みきれないみたいだった、だから私を育ててたんだけど…」
悲しそうに、彼女は続けた。
耳を塞ぎたくなる様な事を、滔々と。
「何時も、母は私に怒った。けど、その後泣くの。ごめんねって」
彼女は、静かだった。
対する僕は、きっと追い詰められたような顔をしてたんじゃないか。
「彼女は私を愛そうと、努力したみたい。けど、無理よね。トラウマだモノ、私は」
僕は、俯いた。
彼女は、それでも続ける。
「そんな暮らしが続いたけど、ある時から母は心を病んでね。色々、無理だったんでしょ、私とか世間の目とか、血に縛られた運命とか。だから彼女は限界に達して、私を置いて消えた。
あの日は、ホント夢みたいだった。
私に良く似た彼女は、一番いい服と綺麗なお化粧をして、私にバイバイって言ったわ。…それが、彼女と会った最後だった」
母が何処で死んだか、私は知らない。
そう、熊崎は言ってから、沢田との出会いを話してくれた。
「沢田とは遠縁でね。親に捨てられた私は、沢田のお母さんの好意で、沢田家で過ごすことになったの」
けど、それも辛かったと、彼女は言う。
「楽しいんだよ、沢田もいるし、彼の家族優しいしけど…」
ダメなんだ、今でも。と呟いて、熊崎は言う。
「…朝起きて、おはようって友達に言って、センセイや先輩とも上手くいってるの。
満たされているのに、どうしてなんだろ、私は、胸の中の孤独が埋まらないの」
胸を指差してから、彼女はこう言った。
「さびしいんだよ、すごく」
悲しそうな顔をして、心臓ではなくて胸の中心を彼女は指し続ける。
「どんな形でもいいから、私は誰かとつながっていたい。簡単なことなんだよ、私の望むことは…けど」
恨めしそうな目で、彼女は僕を見た。
「どうしてなんだろうね、なんでなんだろうね、直江?私の好きな人はいつだって私を見てくれないし、普通の幸せでも私には遠いんだ」
僕を見て、告げる。
ここにはいない、男の姿を、僕は容易に思い出せた。
僕は、月並みなことを言った。
それが彼女を傷つけると僕は知らなかった。