直江家の家族写真
件の三者懇談の当日を無事に通過できる確立は低くて当然だった。
よって、僕は拷問のように、今日を長く感じた。
三者懇談では、色々と怒られた。
もともと、劣等生。
さらに、素行も最近悪かったから、怒られて然り。
そうして対策や言い訳を用意せず、臨んだものだから、散々な結果だった。
僕はひたすら無難なことを言うのに神経を費やしたし、反抗的な態度がうっかり露見しないように細心の注意を払っていたのだが、それでも乗り切れなかったのは僕の舌鋒が鈍らだったからだろう。
酷く、説教された。
そして、懇談が終わり帰宅したのが、半日前なのだが、まだ嫌なことは続くいた。…懇談から開放されたと言って、親から解放されたわけではなかった。
珍しいことに、両親が我が家にそろった。
変な表現だが、これで正しい。この二人は離婚して別々に家庭を持つ身。
こうしている方が珍しい。
だから久しぶりに、自宅で父と母と会った、なんて表現をしたのだ。
どうでもいい事だけど、さ。
けれど、まあ…いったい、コイツラは何時約束を取り付けたのか?
珍しく、両親がそろったので僕はげんなりしたし、会えてうれしいとも思わなかった。彼らは離婚しているとは言え、僕の両親だ。親心はあるし、息子の将来を心配したり、期待したりする。
そのような所謂、離婚をするほど普通の親だから、久しく会ってなかったと言って、再会を喜ぶのは変だ。
だから普通の態度を取っていたら、彼らは珍しく僕を本気で怒った。
両親らしく、僕を叱るだろうと予報していたから、通り雨のように的中した事には何も思わなかった。なので、僕は息子らしく黙って聞いていた。
だが僕は、年頃の少年らしく、彼らの説教に鬱陶しさを感じた。
けど、逆切れも、反論もしない。
ひとまず腹を立てたとしても、我慢して耳を傾けていた。
それは何故か。母と父の言葉が、やはり酷くツマラナイものだったとしても、僕のためを思い言っている事実には変わりないからである。この説教は、面白くないが、一応は両親が僕のことを心配している証明なんだし、親らしい行いだからだった。
だから、我慢して聞くのだが、だんだんと限界になってきた。
当たり障りのない普通のことを彼らは言う。
自分たちが、普通に失敗したことを棚に上げて、僕にはまっとうに育て、人を好きになれと言う。
そして、彼らは口々に、勉強しないことをなじった。
当然だった。
彼らは口を揃えて、態度の悪さを責めた。
当たり前だ。
そんなやり取りがあってから、両親は去って行った。
やっぱり帰って行った。
色々と思うところはあったが何も僕は言わずにすごした。
怒られること数時間、心を入れなおせと、捨て台詞を残して彼らは立ち去った。
「……無理だろ、心をとりかえるなんて」
完全に閉じたドアに、そうつぶやいてから、僕は大の字に寝転がった。
「僕の責任だよな」
悪いのは、僕。
そうだ、咎められるのは僕でなければならない。
けどさ、僕は彼らから叱られても何も堪えなかった。
ただ、思うだけだ、鬱陶しい。それからお前らが言えるのかと。
「永遠の愛とやらを神の前に誓ったくせに、勝手だね」
親が、嘘ばかり言わずに、本音を言えば、僕だって本気で聞こうとも思うのだ。
けれど、奇麗事しか言わない両親の説教は、遠くで話している雑談ように、僕の耳を通り抜けていく。そして自分たちは、傷つかないために別れた事を正当化している姿も、気に食わない。
だけれども、このことを親に言っても無駄だろう。
「…でもさ、甘えてるんだから、言えないよな」
そう思ってから、僕は目を閉じてみる。
父さんは、どうせ、どれだけ成績が悪かったって、僕を叱りはすれど見限りはしない。もしも退学になっても、代わりの高校を見つけるだろう、あの人は。
彼には、母さんと別れたことに対する僕への小さな負い目がある程度で、実際は再婚した相手、それと半分血の繋がった弟と妹と、僕を存在しなかった事にして暮らしたいのが本音だ。
だから僕に口を出すのは、世間体のためだろう。
あるいはそれとも僕への僅かな保険としての期待か・
・・・でなければ、高校生なのに、親元を離れて今まで一人暮らしを許したりしない。これは、父の、腹違いの弟と妹に対する過保護なまでの扱いを見てれば、自ずと解る答えだった。
彼は僕を憎んではいないが、好いてはいないのは、まぎれも無い事実だったからだ。源氏のように僕の罪を犯しかねない存在を彼は恐れている。
そういえば、母さんとも、よく思い出すと、かれこれ、十年近くマトモに会いたいと思わなかった。
母である事を捨て、女として生きた。
その手の言葉を聞くと虫唾が走る。
なら、何故僕を生んだと、常々思ってしまう。彼女も彼女で、父さんとは別れたあと、別の男と結婚して家庭を持ったはずだ。今年の年賀状には、たしか家族全員で映っていた筈だ。
こんな言い方は、アレだが、僕は両親の間では厄介な存在なのだ。
お互いにとって、血を分けた息子でありながら、父は僕に母の影を、母もまた僕に父の影を見るから辛い。
僕は彼らから愛されてはいるのだろう。
何も、我が子が憎いわけではないのだから。
ただし、彼らは、あんまりにも子供なまま、僕を作ってしまった。一時の恋の情熱に溺れ、相手がどんな人間でどんな嗜好をもっていて、このような欠点があって、ソレを補う美点が此処に在るかと確認しなかった。
それが、愚かだ。
関係が安定すれば、想いも冷める。そして、相手に抱いていた理想や鍍金が剥れる。そうして、その人を見極めて、結婚しなければ失敗すると言うのに、我が両親は過ちを犯した。
…そして僕はこうして生をうけた。
覚えている記憶の中で、美化された想い出を除くと、父と母は常にぎこちなかった。彼ら二人はそこそこの良識人だったから、子供の前では極力不和をみせないようにしていた。
けどれど、子供は意外と聡いと言うように、僕にも彼らの不和は解ってしまった。
その二人の不和に僕が気付いてないと、親が信じているのを知ったとき、僕は、両親が完璧な人間でないと知った。
だからではないが、僕は親の話を真剣に聞きたいとは思わなくなった。
それから何年かたって、そして二人は離婚した。
もとより、どうしようも無い事だった。とっくの昔に、お互いに限界が来ていたんだ。別れて当然だと思う。だから、両親は別れた。
お互いに、心の健康と衛生を保って全ては上手くいった筈だった。
だが、僕は親が離婚した不幸なやつ、と言う言われ方や認識をされ、こんな性格になった。……まあ、こんな性格になったと言うのは言いすぎだ。ただのショックで人間の本質が変わるものか、ただベクトルが変わるに過ぎない。
だから僕の性格と言うのは、幼少期から僕が養ってきたものである上に、離婚が原因で歪んだわけではない。
ただ、アダルトチルドレンじゃないかな、とは思う。
なんにせよ、離婚が僕の心に残したものといえば、人を過度に信じないという教訓だったし。人間は完全に成りえないという真理だった。あともう一つ、男女の恋が鮮度と消費期限があるってことか。
そして、人は一人で生きているという実感だ。
親の離婚はいい教材になった。
けどさ、一つ言いたい。
年頃の少年少女は父親や母親が新しくなると普通は反抗するもんだぜ、父よ?