無明の夢
どうにかして家へ帰った。
今日みたいなことがあって眠ったから、都合の良い夢を見た。
俺はぼんやりと、どこかのガッコの校庭の真ん中にいて、“彼”と話していた。
なあなんのためにいきている
彼の声は非常に不明瞭で、聞き取り辛い。
なんのためにってただいきている
僕の声も不明瞭でノイズだらけ、聞き取り辛いばかりか、インナータイプのイヤホンで耳を塞いだみたいに、時々聞こえなくなる。
そうだにんげんはただいきるためにうまれるんだ
いきるいみはあとからじぶんでふかする
そのことはゆるがぬしんり
彼は、フォーカスの合わない姿のまま、僕に語り続ける。
たとえだれかにじんせいのれーるをしかれても
はしるはしらないのをせんたくするのはじぶんでしかない
いきるしゅじんこうはじぶんだ
ただせかいというおおきなぶたいのなかでは
ぼくらはわきやくでしかないのだけど
彼は、どこか幼稚な事を言う。
そんなことわかっているさ
そのこと言った僕に笑って彼は言う。
むださ
そうおもったところでぼくらはじぶんというかんてんからしか
せかいをにんしきできないばかりか
かんちがいをすてきれないままぶたいでどうけをえんじる
彼は顔の無い顔でもわかる。
笑っていた、そして続ける。
そもそもせかいにしゅやくはいない
にんしきとしてのじぶんのなかではじぶんがしゅやくだ
けれどもせかいでは、じぶんはひとりの愚者
そうでしかない
愚者と、彼はそこだけ明瞭に発音した。
愚者だ
ひとのこころもわからない
じぶんのこころもわからず、ぶんせきしかできない
わたしたちはかんじょうのいきもののわりには
ふかんぜんだ
だからひとはかんぜんをおいもとめる
けれどむだだ
ふかんぜんがかんぜんをもとめたところで
のこるのはたりないぶぶんをおぎなったものだけだ
補っても無駄?
僕はこんな事を返論してみた。
ヒトがかんぜんなものか
されどそのふかんぜんさはじぶんでうめるために
そうあるのではないだろうか
あたえられてはいみがないすべてはじぶんでかちとらねば
それに彼は笑った。
嘲笑だった。
それがまちがいだ
えようともうばおうとみちたりようとも
それはすべてこころのしわざ
愚者はそれにこうでいする
だんだんと彼は歩いてきた。
その顔は知らない、もしかしたら嶋なのかもしれない。
よろこびもかなしみも
とうごうではむすべない
すべてにいみをもとめるな
さいあくもさいこうもないかちかんがきめるだけだ
彼の顔が近い。
全てに意味が無いなんていうなよ、だったら、僕の存在なんて…
「じゃあ、どうすればいいんだよ!意味が無いのも迷うのも、勝ち得た理想も栄光もゴミだって言うのか!何が正しいというんだ!」
そこで、僕の目は覚めた。
けれど、答えを聞き逃した。
もしもの話だけど…答えが返ったら、僕の無意識は相当賢いと思う。
案の定、答えは無かった。
夢の中でも、現実でも。