枷と咎
2
無駄骨だった気分でビルを出た、あと、IDカードは玄関から出た瞬間、棄てた。
ここならば、誰かが拾うだろう。
それと、トイレの彼もどうなったか知らない。後日、熊崎にトイレに男子生徒が閉じ込められていたらしい、と聞いたが生きてるんだろう。そうなんだ、と話を聞いたときはヒヤッとした。
僕の蛮行が熊崎に露見しなかったのはよい事である。
それ以上知りたいとも思わない。
さて、僕は向かい側のGSRを見たが、やはりレッカー移動されたようで跡形もない。
当然だ。
しかし、やはり情けなくなった。
警察と市役所に行ってこなければ…
その日はやる気が出なかったので翌日の夕方、面倒だと思いながら、GSRを回収しに警察に行った。
本来僕は警察に出向いた瞬間に逮捕されておかしくない人間だが(僕は殺人犯だ)、露見してない罪では、警察は逮捕のしようがないので僕を逮捕しなかった。
よいことである。
しかし、こうして駐車違反の世話になると、以前速度超過で捕まった挙句、免許を失効した時を思い出す(その後、アルバイトを始めたら何故か再取得ができた、おそらく機構が働きかけたんだろう)。あの時は、やばかったなあ。
いろいろな手続きをして、愛車を回収した、その帰りである。
自宅の前にセンチュリーが停車していた。
誰だよ、と思うまでもない、熊崎だ。黒いフィルムの張られた後部座席の窓を開けて、その熊崎は僕に手招きする。
新しくバイトが入ったのだろうか?
それにしては、どこか熊崎の表情が重い。
なんにせよ熊崎を待たせるといけないので、僕は後部座席に納まった。そして、知らない人間が、助手席に座っていることに気づいた。年の若そうな女だ。知らない学校の制服を着ている。
見たところ中高校生風。
だが、どこか危険な匂いがした。
「こんばんは」
「あ、こんばんは」
が、一転してすごく好感の持てそうな笑みをされると、危険な女だという予想が一瞬揺らいだ。けど、隣の熊崎に無言で太ももを抓られたので、僕は気を引き締めた。
「で、あなたが担い手さん?」
いきなり何だ?
そんなことを問いかけた真意を測りかねて、僕は彼女を見る。不審で危険そうな女を、僕は強く睨んだらしかった。彼女は楽しそうに、こう言った。
「ああ、怖い目。そんなに睨まないで。貴方とは、楽しくお仕事できそうだわ」
真意が解らなかった。
ただ、熊崎がずっと沈黙しているのも気になる。
何があるのか?そう問いても熊崎は答えそうにないし、敵か味方かはっきりしない女に聞くのも変だろう。僕は、聞けずじまいで、車が走り出したことを知った。
走ること二時間弱、高速道路を使って移動した先は、知らない街だった。
名前も知らないその町の、とある場所で停車した。
「ここから少し歩くわ」
そう女は告げ、さっさと車から降りた。
続いて熊崎も無言で降りる。僕はあわてて二人を追いかけた。知らない街だが、女は歩いたことが在るらしい。スタスタと歩いていく。
「ここよ」
そうして、歩くこと五分強。
案内されたのはとある雑居ビルだった。
変哲もないが、未成年が入れない店が入った建物である。そこに、僕らが何の目的があるのかと思った。けど、その女に連れられるままに、僕らは雑居ビルの裏路地にやってきてしまってる。
「ほら、まず前金」
そう言ってから、彼女は熊崎に何かを要求した。
熊崎は、無言でケースをその女に渡す。軽合金で作られたケースを少女は開ける。その中には、手のつけられてなさそうな紙幣の束が収まっていた。きっと、億単位なんだろう。僕は静かな恐慌にかられた。
危険な気配が漂っていた。
僕は、熊崎の真意が解らず、彼女を問いただす。
「おい、熊崎、いったい何をするんだ?」
「いいから」
「いいからって」
彼女は僕をにらんだ。
怖い目だった。
力が籠もっているとか、殺気が宿っている目ではない。思いつめた、何をしでかすかわからなさそうな目。その目が、普段とは違いすぎて怖かった。こいつが何を考えているのか、僕は解らなくなった。
何も解らない僕を無視して、女は熊崎に用件を告げる。
「目的の確認ね。標的は、暴力団構成員と、このキャバクラとヘルスを経営する人間の殺害。そして、見せしめにホステスや、ヤクのブローカーも片手間に殺してくれれば完璧よ」
殺人の依頼は、ごく普通に女の口から出てきた。
「わかってる」
そして、熊崎は殺人の依頼を当然のごとく了承した。
その依頼を、拒めたはずなのに、彼女は拒まなかった。
どうしてと僕が聞くより早く、熊崎は無言で応化を求めた。
「はやく、直江」
振り返り僕を見た彼女は、思いつめたような表情だった。
「…おい」
「はやく」
「………殺しだぞ」
「今更何?」
これだから、こいつは勝手で嫌だと改めて思わされた。けれど、相方が望むことを僕が叶えられるのに、叶えない訳には行かないだろう。
だから、僕は自棄にも似た気分で抜刀した。
考えるのを放棄したとも言えた。
僕の気持ちなんて関係なく、彼女は刀となった。
落ちた服が生々しいが、それだけだ。
「じゃ、頑張って通り魔君」
応化を見ていた女は、僕に紙を渡すと立ち去った。
見れば、携帯番号が書かれている。なるほど、仕事が終わったら連絡しろと言うことらしい。
僕はポケットに紙をねじ込むと、歩き出した。これから人殺しをするというのに、辞めようだとか、逃げようだなんて、チットも思わない。
自棄であるとのも、少し違う。
コレは、なんだろうか、仕方ないとか諦めの感情だろうか?
僕の愛刀は何も答えない。