怠惰な日々を求めて
9
今日も元気だ、朝日が眩しい。
確かに清々しい朝だけど、寝不足だと太陽すら恨めしい。そもそも、人間なんて感情の奴隷のようなものだ。気分が悪けりゃ、快晴だって憎めるだろう。僕みたいに。
「…くぁ…」
それにしても、眠い。
噛み殺せど、噛み殺せど、欠伸は出るし、涙も出る。ゴシゴシと、何度も顔を擦るが、微塵も睡魔は退かない。やはり、昨日のマレビト退治が堪えているらしい。当然か、長時間ホワイトノイズが消えなかった為、午前五時くらいまで咎獅子を振るっていたのだ。
だから、体は筋肉痛、頭は寝不足であった。
そして、その筋肉痛の為に、僕はアスリートでも無いのにテーピング、エアーサロンパス、シップの厄介になった。加えて、マレビトとの乱戦の際、アチコチ斬った為(下手だ下手だと熊崎になじられた)、包帯で巻いても在る。
そのため、非常に臭う。
薬局かコンビニで、デオドラントを買ってくるべきだったかな?
真面目に授業をうけても、理解が遅れているのだから、理解できるはずが無い。よって、テストをしのぐ為の応急処置として教科書と参考書を読んでいた。久々に真面目な勉強をしているつもりになる。けれども、記憶しているかどうかは、別問題だ。
そんな授業の合間である。
今朝一応手当てはしたのだが、僕は自分の格好を甘く見ていたらしい。どうも首から見える、湿布がクラスメートは気になるらしい。ナナメ後ろで、明らかに僕をネタにして会話している。
自意識過剰ではなく、これは事実だ。
湿布が原因かな、と思って僕は何気なく、首に触れた。
「…」
そして、その感触には思い当たった。
間違いない、出血している。
そして僕を見て噂しているのではなく、アレは出血しているんじゃないかと、女子は噂していたらしい。そして、ソレは事実だ。どうも包帯の圧迫が弱かったらしい。
そして動いたから、出血のようだ。
僕は熊崎を呪った。熊崎…何が圧迫して止血する、だよ。
アノヤロウ、こうして血が流れているじゃないか。
休み時間を待って、校庭の外れにあるトイレに、鋏と体操服を持って入った。
人目を気にしたが、意味が無かったかもしれない。黒の学生服だったから、外から見れば気付かないものの、いざ広げて見ればアチコチ血が滲んでいた。
痛くて血が流れるという事は生きている証だ。
けれども、生きている実感はやはり薄い。
どうしてだろう?
「…めんどいな、次の授業」
僕はそう思うと、トイレからでて、歩き出す。
歩きながら、馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、僕が高校生活を続ける事について考えてみた。
僕は少々と言うか、もうすでに日常から敗北しているのだ。
ポエム風に例えると、歩むべき軌道を逸れ、錆び付いた車輪ですすむ列車だ。もしくは、飛ぶことすら適わなかった羽虫。飛ぶ為の翅を持ちながら、社会と言う空に飛び立つよりも速く、敗北なんて風に翅を破かれた。
だから、諦めて僕は怠惰の沼にでも落ちたんだろう。
アホくさ。
志が無ければ折れる恐怖を味あわない/誇りが無ければ失う惨めさを感じない/勝負しなければ負ける恥ずかしさもない/理想を持たねば、絶望に焦げ付かない/愛さなければ裏切りに傷つかない/異端であれば理解される必要が無い/語らなければ否定される悲しみも無い/学ばなければ狭い世界で居られる――
だから、無、はよかった。
何も無ければ喪わないし、そもそも始まりすらも無い。
けれども、無にできることなんて限られてくる。そして、辛い事や楽しい事をすべて、無にしていく生き方には超えられない無理がある。命を無にはできないし、死なない為には食べることと寝る事は除けない。社会生活を送るなら働く事もいる。
僕は失うのが恐ろしいから、つまり命も捨てられないとはわかっていた。
だから、生きていく為にはある程度の距離と種類のレールを走らないといけないとは知っていたし、そして、その一環に高校進学があった。
皆が行くから僕も行く、そんな理由で僕は進学した訳じゃなかった。
親が進学させてくれるうちは、働かずとも飯を食べていける。
そちらの理由で僕は進学したまでだった。
よって、高校で学ぶ気なんて当初から無かった。
そもそもさ、僕は初めから理解していた。
知れば知るほど人間は無力を知るんだ。未知に興味と好奇心を膨らませるのもいい。
ただ、人一人で世界を知るには余りに大きすぎる。
何かを知る事は、同時に何かを知らなったということだ。
そして知るほどに、視野は広がるが、その広がったし視野の先には楽園なんてない。学ぶほどに僕らは無力を突きつけられる、出来る事など微々たることなどだと、世界を変えるには足りないと。そこで何かをできるのは傲岸さを持った奴だけだ。
そんなのだからさ、僕にとって学校は何時でも辞めても良かった。
ソレが続ける事になった理由はただ一つ、熊崎と芹澤さんの存在だ。
片や非日常、
片や恋愛。
と、双極といってもいい二人の存在で、不思議と僕は学生生活を続けている。自分が通俗的な存在だと気付いたけれど、それでも芹澤さんの笑顔は魅力的だった。そして、熊崎との関係は険悪だからこそ、今更人付き合いの難しさとかを思い出した。
どうでもいいことだ、本当に。
人格的には何の変化も無い。
暗くもなっていなし、明るくもなっていないが、けれど思う。
くだらないのも、悪くないかもしれないと、そう。愚かだから、騙されているとか、間違えている、もしくは狂っていようが、思ったのだから仕方が無い。
一つだけ言えるのは、教育を受けられるという贅沢の味に、僕は飽きたらしい。
ゲテモノ食いだからだろうか?
放課後、やることがなかった。
今日はマレビト狩りも無い。
熊崎と出会う前、芹澤さんに恋する前、その前にあった当たり前の景色だ。特別でも、ない普通の日々。そして、夕暮れなんて一年に365回もある光景を屋上から眺めているだけの時間。
…屋上は基本的に生徒の出入りは禁止だ。
昔生徒が身を投げたらしいから。危険だというのが、その表立った理由。そして屋上へ通ずる階段には大きく立ち入り禁止の看板と、重々しい鎖でふさがれてはいたものの、鍵が壊れているから、実は誰でも上がれた。
僕も、喧嘩した友人に教えてもらわねば絶対気付かなかっただろう。
遮蔽物の少ない屋上は、割と強い風が吹く。
眼下の校庭では、部活動に精を出す生徒達がいた。そして、此処からみえる校舎では美術室と音楽室に人がいる。あと陰になってはいあるが、どこかから吹奏楽の練習も聞こえる。
日本の高校なら、見飽きたような光景だろう。
十代の少年少女が、青春の一部としてすごす、一日。
だから、眼下の教室で二人の男女が唇を重ねようとすることも、僕にとっては普通の光景だった。
ここからは聞こえないが睦言でも交わしているんだろうか?
どう見ても、カップルな二人は、そっと目を閉じ…上級生のその行為を見てしまった罪悪感はあったが、幸いなことに向こうは僕に気付いていないようだ。だから、僕は彼らに背を向けフェンスにもたれた。
煙草も吸わないのに、今吹かしたらさまになるだろうな、と余分な事を考えた。
しかし、屋上で暇を潰すのにも厭きた。
暇つぶしの本を求め、図書室に行ってみた。
あまり広く無い図書館で、何人かの生徒が本を読んでいた。カウンターの図書委員は、ハードカバーを読んでいた。
たぶん綿矢リサだと思う、勘だけど。
僕は、何か良い奴は無いかと、文庫コーナーで本を探す。そして手に取ったのは、羅生門だった。走れメロスは読んだ事はあったが、たしか此方は読んでなかったはずだ。面白い保障は無いが、少なくとも考えさせられるだろう。
友情が信じるに足りるかとか。
すくなくとも恋情よりも強いのかどうとかは解るだろう、この人なら。
そうだ、異性間の友情は成立するのかな?