疵
2
その後は、よく覚えていない。
死体があると不味いので機構に連絡をとると、恐ろしい早さで夜間の救急病院を手配された。腕が壊死しては不味いので、早急な治療は嬉しかったが、何針も縫われたのには勘弁してほしい。
痛いし、抜糸に行く必要あるし。
そうして一応の輸血をうけながら、病室に寝ていると、熊崎がやって来た。
やはり、いつかの僕の予想は外れていなかった。
彼女も彼女で、普通の家庭ではないんだろう。
こんな時間に見舞いにこれるなんてさ、普通じゃない。
「怪我は?」
心配した様子もなく、単に事実の確認をするような言い種だった。
僕は包帯を巻かれた腕を見せるようにしながら答える。
「そこまで酷くは無い」
実際そうだった。深い刺し傷だったが、腱も動脈も切ることもなく、意外と軽くすんだのは幸運であった。もっとも、無意識的な回避とかも考えられるが、幸運ですましたい。
「そ」
そう呟いてから、熊崎はパイプ椅子に座った。
無言だった。病室の中だからだろうか、彼女のシャンプーの香りが仄かにした。
「アイツ、死んだか?」
茫然自失であの時は彼女の死に逝く肉体を眺めていた。だから、もしかしたら、と淡い欲望を託して聞いてみた。答えは、やっぱり期待を裏切らなかった。
「機構が拷問するより早くね」
ぞんざいな言い方だった。咎め、誉め、そのどちらでもない。プレパラートの標本を見るような感じである。彼女は、僕が殺人を犯したことに何の興味も無い様子だ。
ソレが辛くも無いのは何故だろう。
殺したらなら、許しか糾弾が欲しいはずなのに。
「僕は、人殺しだな」
何故、自分がそう言ったのか、僕はついぞ理解できなかった。罪を叱責してほしかったのか、それとも許して欲しいのか。そのように、ただの音のように、発せられた僕の台詞を受け、熊崎は答えた。
「私もよ」
共犯。
その一言が浮かんだ。
けれども、僕は自嘲してから言った。
「熊崎は武器だろ…」
その通りだ。武器は単体では、人を殺められない。罠とは違うのだ、使い手が明白な“殺意”をもって振るわねば、武器は死を与えない。加害者意識から言うのではない、このような確固たる理由があるのだ。
そしてここで、僕ははたと、自分の思考の不思議さに気付いた。
俺はどうして彼女が嶋の殺人に加担しないと思っていたんだ?
でも、それより先に、熊崎が言った。
「何、俺は人殺しだって怯えているの?」
はたして僕は、殺人に怯えているのだろうか?
「わからない」
「わからないって何?」
言えそうで言えないもどかしさが俺にはあった。事実、罪を犯したと言う感じを心は持っている。ただ、殺した相手に対する謝罪の気持ちはこれっぽっちもなかった。
まるで、欠落したように。
まるで、存在しないかのように。
「そうじゃ、ない」
それだけ言った。
俺の言葉に、彼女は、
「そう」
とだけ言った。
「せめてるのか?」
「まさか」
そう答えては見たが、本当なのだろうか。
僕は訝しみながら彼女を見た。今僕は自分の感情と思考を客観的に見られているか?いや、今は自己正当化と神経の興奮で、そう言った人として備わる良心が痺れているのではないか―――ふと考えの沼に漬かった僕を見て、何を思ったか、熊崎はこんなことを述べた。
「共犯なのよ、私たちは。貴方が何も感じてないのは、無意識に殺人を望んでいたからなのよ」
僕の心を知ったような言い方だった。
けれど、応化して僕の心と繋がっている彼女の台詞だったから、僕は迂闊な返答は出来なかった。
何も言いようを思いつけない。
「そうだな」とは言えないし、だからと言って否定も口に出来そうにない。
だから沈黙していた。
それで、考えていたのは、先ほどの殺意についてだ。
僕は確かに殺す覚悟をしていたが、果たして殺す現実について考えていただろうか。そして、心の底から、あの女を殺そうと願ったのだろうか。
この二つは非常に重要である。
他の人殺しが、どう殺人に対して思考を持っているかなんて、知らないので比較のしようが無いが、もしかして僕は殺人への感受が狂っているのではないだろうか。その答を知れば、不確かなりにも思考の切っ掛けにるだろう。そう僕は考えていた。また、間違いでは無いと言う、思いもあった。
だから思い出そうとするのだが、思い出せない。
思いつけない以上、無い、のだろうか。
考えても、悩んでも、思っても、疲れるだけだった。
長く黙っていると、熊崎が言う。
「…何を悩んでるか知らないけど、悩んで出ない答えなら、答えなんて無いわよ」
何て、捨て台詞を残して、彼女は病室から立ち去っていった。
「………………」
そして思う、熊崎はやはり厭な女だ。
お前だってひどい顔をしてるってのに。