補填と嫉妬
9
魔術師の住まいに対して、僕が抱いていたイメージは、古びた洋館だった。
のだが、今回は見事に裏切られた。武家屋敷か、はたまた旅館か、そう思わせるくらいの和式建築の大きな邸宅に魔術師は住んでいた。
そして、僕らはセコムのステッカーが貼られた大きな門の前にいた。
景観に配慮されて防犯カメラやセンサーが設置されている。
それに僕が関心していると、
「…珍しい?」
熊崎に疑問げに聞かれた。
彼女にとっては普通のことらしい、僕は自分との関心や興味の体外を改めて理解した。
「あ、あぁ。なんか、洋風なイメージをしていたから」
「そ」
と言って、熊崎はインターフォンを押す。
熊崎の細い指が、ボタンから離れる。
それから一分もしなうちに、その大きな門につけられた勝手口?が開く。
「…ようこそいらっしゃいました。直江様と、熊崎様ですね?」
家政婦さんだろうか。枯葉色の和服を着た方が、僕らを出迎えてくれた。彼女は、そのまま僕らを門の内側に招く。僕より早く、勝手知ったる様子の熊崎は、門を潜った。僕も、彼女の後を追って、門の中へと入る。
屋敷の中も同じく純日本建築だった。
板張りの床、障子と襖で仕切られた間取り。
マンション住まいの長い僕は、正直新鮮な気分でいた。スリッパは借りたが、ここまで日本的だと、逆に洋装の僕らの方が浮いてくる。気分的には、浴衣とかが着てみたい。自分には似合わないと解っているから、綺麗な女の子に着て欲しいね。
例えば芹澤さんとか。
僕が妄想していると、やがてある部屋に通された。
中庭らしい、枯山水の庭が見える。
「今、主を呼んでまいりますので…」
そう言って家政婦さんは消えた。
立って待っているのも変だ。だから、僕は慣れない正座をしてみた。欄間の彫刻が凄いな、とか色々考えている内に、足が痺れてきた。座布団を借りているのに、痺れるとは、情けない。
けれど、痺れているのは事実だ。
「…」
隣の熊崎を見てみると、ちゃっかり足を崩していた。
多分始めから、正座していなかったのだろう。なんとなく彼女らしい。そして、自分は何故正座をしたんだろうと思った。
どうも、緊張しているらしい、どうでもいいことばかりを考える。
落ち着く為に、深呼吸をしていると、壮年の男性が部屋に入ってきた。
「ようこそ、我が家へ」
ニコリなんてしないが、それでも歓迎の意思は口調から伝わった。
「こんばんは」
熊崎は、正座に足を組みなおしながら魔術師に挨拶をする。どうも、彼女と彼は旧知の仲であるらしい。魔術師は自分の座布団に胡坐をかきつつ、熊崎に話しかける。
「元気そうだな、熊崎んとこ」
「ええ」
そんなやり取りを隣で傍観していると、自分が透明人間になった気がする。
「それで、こちらが…嶋の後任か」
「そう、今の担い手」
熊崎が、こう言ってから、僕を指した。指差されて面白くはないが、魔術師に僕を紹介したらしい。魔術師の彼は、僕の方に体を向けると、言った。
「始めましてだね、私は竹河と言う」
「…こ、こんばんは。直江です」
僕は、初めて見る魔術師に緊張していたのでやや返事が上ずった。そんな、僕の変な挨拶に、彼はちょっと微妙な顔をした。なんと言えばいいのか、意外と落胆がフィフティフィフティの表情だった。
しかし、そんな表情も一瞬で引っ込んだ。
「そう緊張しなくていい」
そう、男は付け加え、僕の方を向いて少しだけ微笑んだ。この笑み、とても魔術師なんてうそ臭い職業の人間とは思えない笑みであった。人間は見かけによらないと言うが、この男もそうなのかもしれない。
しかし、一抹の猜疑心が沸いたのは仕方が無い。
だって魔術師だもの。
「さて、今回の用は何かな?名刺をもらいに来たわけじゃないだろう?」
ものすごく貫禄がある竹河氏は、今度は熊崎の方を向くと、そう尋ねた。
「…鞘の調整を御願いしたい」
熊崎は、伊藤が言っていた事を言った。
…やはり鞘とは重要な部品みたいだ。竹河氏は興味深そうに聞きなおした。
「ほう、調整か?…おかしいな、私が機構の方から聞いた限りだと、君らは何の問題も無く、応化出来ているそうじゃないか。ならば何故その用件で、私のところへくる?私は『写し』の強化だと思っていたのだがね」
どうやら竹河氏は、別の用件で僕らが来たと思っていた様だった。
「契約自体を簡略しての契約だったので、念を入れてやっていただきたい」
ただ、こう熊崎が主張すると、実にあっさりと彼は了承した。もとより、応化や鞘のメンテナンスが主な仕事の魔術師なんだろうか、そう僕は感じた。
そして、
「では、直江」
いきなり、僕は名前を呼ばれて驚いた。
「なんですか」
「鞘の入っているところを診せなさい。まずはそれからだ」
と、言われても、僕は焦った。
自分でも、一体ドコに鞘が入っているのかなんて解らないのだ。しかも、此処で脱げといわれたら非常に困る。熊崎に裸体を見せて何が楽しいのだ。
僕は困り、返事に窮した。
「…右手」
「え?」
冷たい指が、僕の手をとる。
ソレが熊崎の手だとは直ぐ気付いたが、同時に気まずくなる。が、そう思うのは僕だけのようで熊崎の手は僕の腕を竹河氏の方へと差し出した。女子に腕を取られるという状況だが、差し出す相手が得体の知れない魔術師である。
僕は、非常に心細くなった。
「じゃ、見させてもらうか」
と、なんだか真剣な表情になった竹河氏は、おもむろに僕の腕を握った。彼は、そのまま、何かを掴んだまま、上へと腕を動かしていく。と、まるでマジックのようだ、と陳腐な表現なそのままに、鞘が出てきた。
またしても、予想の斜め上である。
僕は百分の一秒でも早く、治療が終わる事を、少しも信じていない神とやらに祈ってみた。
何をやっているのか全く理解できない、調律だか調整が終わって、伊勢から無事帰ることが出来た。しかし伊勢なんて近い近い。 帰りは電車一本だったし(終電にも間に合った)、ホテル宿泊とかもしなくてよかったが面倒なので帰宅した。
けどまあ、熊崎とは二度と電車に乗りたくないとも、思った、はい。
そして翌日の今、僕は現在夕食を済ませた後、机に向き合っていた。
勉強していた理由は簡単だ、なにやら中間テストとか言うのがあるらしい。一週間ほど後の、この行事。これは行かないと、説教をくらう。しかも点数が悪ければ悪いほど、説教の拘束時間が長くなる災厄の行事である。
また、仮にテストをボイコットすると、最悪、留年しかねないと言うことで、僕は珍しく机について勉強していた。
何故、こんな時間に勉強しているのか?
理由は簡単である。単に眠くて昼間で寝ていたからだ。
「面倒だなあ」
今日はアルバイトが無いから、勉強しなければならない。
けど、こうして漫然と夜を過ごせたのは、珍しい。
なので僕はすっかり宿題を提出する義務や意欲を完全に忘れていた。最近、夜はマレビト退治に駆り出されるため、その疲労で寝てしまうのが何時もだったからである。熊崎と契約してからと言うもの、マレビト退治の疲労を引き摺るのは常だったから、学校でも居眠りの常習だった。
このような理由で、僕は学生なのに勉強してなかったのである。
だから、宿題の指数関数なんてちんぷんかんぷんだ。
「…コサイん?」
見ているだけで偏頭痛がする。
基礎を聞いてないもんだからよく理解できず、また理解できないから、やる気も削がれる。悪循環を絶つために、学習塾でも通えばよかったのだが、アルバイトのコトを考えると出来やしない。
金は幾らでもある。
けれど時間が無い。
まるで働きすぎのビジネスマンの悩みだと、自分で突っ込みをいれる。ホント、別に学生なんし時間も在るんだから、自分で勉強すればいいのにね。
けど、自宅というのは学習へのモチベーションをさげるにはバッチリな場所である。数多い誘惑に、軟弱な僕の精神では抗えないからだ。だから、どうせ劣等生だと、自分に諦めの魔法の言葉をかけてから、僕は小説を開いた。
今日の一冊は、大槻ケンジ『リンダリンダラバーソール』である。
自分が悶々だから、悶々とした小説が大変よく合う。
悶々祭りだ!
翌日。
「…ふざけているのか」
「ふざけていません」
僕は放課後に数学の教諭に、怒られていた。どうも、回答を放棄したのが問題だったらしい。たしかに、僕が解答すべき問題の解説を、彼がしなければならなかったので、僕は余計な手間を教師にかけさせたのだろう。
「放課後、職員室に来い」
クラスの笑いものになった僕に追い討ちをかけるように、教師が言ったときに予想はしていたが、ここまで怒られるとは思っていなかった。
そんで放課後、僕は職員室に向かった。そして、説教を聴く破目になった。
「だいたい、直江。お前、たるみ過ぎじゃないか?」
初めは、宿題くらい出来ないのかとなじっていた彼だったが、やがて僕の素行にも口出ししてきた。僕は鬱陶しく思いながらも、曰く、遊び惚けておらずキチンと勉強しろという、数学教師の説教を大人しく聴いていた。
数学教師の発言は、非常に正論だ。
彼らの言う通り、勉強しとけば、大丈夫なのだ。
成績が悪くなければ、何の問題も無い。
けどまあ、落第ギリギリの状況であれば話は別だ。最底辺の落ち零れには、説教でもして真面目に勉強させるべきである。
でなければ、落ち零れは退学になるのだから。
「赤点の常習、補習も多い。挙句宿題は提出しないし、授業は寝ている」
図星だから何も言わない。
ここで言い返せないことも無いのだが、言い返せば反抗的だと、また説教が延長させるだろう。また、僕は教師なんて頭の固い連中を言い包められるほど、ペテン師の才能に恵まれていない。
「お前、本当に不味いぞ。このままだと、三者懇談でも…」
そうだ、そんなのも在った。
親と僕と担任が将来に向け、熱く語らう青春劇場の名前だ。
もっとも、僕の場合。
『お前ならドコドコ大学に現役合格できる!』
『●●、お前の夢をかなえる為には頑張らなきゃならんぞ!』
とか、ポジティヴなことよりも、僕の劣等生っぷりを親が嘆き、担任が呆れる場所でしかないんだろうな。きっとそうだ。
ああ、嫌だ嫌だ。
「…おい、聴いているのか直江」
はいはい、聞いてますって。
とゆうよりも先生。
人の話を聞かない奴の中には、意図的に耳を塞いでいる輩もいるんですよ。
そんな説教された帰り道に、沢田と芹澤さんが歩いてるのを見た。
芹澤さんに、沢田が話しかけていたが、僕はヤツの姿なんて見えなかった。
僕はただ、彼女だけを見ていた。
すらりとした立ち姿。彼女の周りだけ、明るくなったような錯覚がした。芹澤さんは、あんな馬鹿にも、柔和な微笑みを向けていた。――きっと、彼女は熊崎違って優しいのだろう。そう考えてしまえば、僕は沢田が彼らを見ているのが辛くてしようがなくなった。
僕は沢田が嫌いだが、その感情の中にはアイツに対する嫉妬がある。
何故ならば、アイツは何も考えずに、彼女の傍にいられる。
そしてアイツは、何の価値も知らずに、彼女を使う。
それが憎くて羨ましい。
一度彼女が剣になった時、僕は芹沢さんを見ていた。美しい剣だった。それは何処か陰鬱さを感じさせる咎獅子、熊崎にはない魅力だった。僕には相方を信頼することも出来ずにいると言うのに、沢田は彼女に指を絡めているのだと思うと劣等感を感じた。だから、一応は好意的な関係を築いている二人を見ていると面白くない。
下らねえ、とは理屈でわかってる。
でも、心で納得できない。
剣術が上手くなろうが、強くなろうが、心が延びねば意味がないのだと、僕は初めて知った。それから武術が心を練らないことも。
けれどどうでもいい話かもしれない。
僕は、きっと芹澤さんを奪う事など出来ないのだろう。そもそも僕は熊崎を手にしていなければ、沢田や他の候補者達と同じようなスタートラインにすら立てなかったのかも知れないからだ。
されど、僕にしか出来ない事も確かにあるのだ。
僕には、芹澤さんと、あと沢田くらい守れる力がある。
多分。