伊勢へ
7
最近一番楽しかったライディングを終えて自宅まで戻ると、どこかで見たことある、ロングヘアの男が、アパートの前に立っていた。誰だろうと思いながら、駐輪場から戻ると、その色男は親しげに話しかけてきた。
目元口元の、艶っぽい黒子。
それを見た瞬間、僕は彼の事を思い出した。
「やあ、直江君。元気かい?」
「伊藤、さん」
機構三位の応化儀杖、伊藤。それが、この男の名である。
会合で会うときは、洒脱なスーツを身にまとっているが、今日はオフだからだろう。何時もなら束ねている髪を無造作にアップにして、髭もうっすらと生やしていた。それと、なんだか香水の香りもする。
…女遊びの帰りか、コイツ。
「何の用って顔しているねえ」
「そうですよ、何の用なんですか?」
そう、聞くと、奴は後ろに駐車してあった車をさして言う。
「相談がしたい」
ウィンクでもしたら、尻軽女なら一撃だっただろう。
ただ、生憎僕は醜男、しかも男色にも興味はない。よって、僕は色男だなあ、相変わらず、と思った。
「いいですよ」
普通の人間がやってもドン引きされる行動をした伊藤に、ついていく理由は無かったが、どうせ暇だし、彼に僕はついていくことにした。
「そうこなくちゃ」
僕の返答を受け、伊藤はスポーツカーのドアを開けた。
一体全体、何処まで走るのかと思っていたら、高速道路に入った。
ETCレーンを抜けた途端、アクセルを吹かすかと僕は思っていたのに、あくまで伊藤はジェントルな運転を貫いた。一度、五位の車に同乗して、ニッサンのGTRとかってスポーツカーの後部座席に押し込められた挙句、暴走行為の犠牲となった僕としては意外だった。
もっとも、僕は速度感になんら恐怖を抱かない。
なのにスピードの犠牲となった理由は、熊崎である。
乗っているときは、全く怖そうな素振りを見せなかったのに、いざ運転が終わってから五位に文句をつけ、そのとばっちりを僕が受けたからである。アノアマ、僕に五位の運転を何故止めさせなかったと言ったっけ。
「寒くない?」
「いえ、ぜんぜん」
と、まあ、どうでもいい事を考えさせるほど、長い事走っていた。
「そうだ、聞いてなかったんですけど、何処に行くんですか?」
そう、僕が零すと、彼はエアコンを操作しながら言う。
「伊勢」
「伊勢?」
何が目的でそんなところに行くんだろうと思ったが、まあいい。
あと電車で行った方が速いんじゃないかとも、思った。
「もしかしてマレビト関係ですか、三重は僕の担当ですよ」
言及していなかったので説明しておく。
不思議なもので、マレビトは田舎には発生しない。人口、何万人以上の都市部でしかでない。僕がアルバイトをしたことが無いから正確だとは言えないが、それでも他の七支の話を聞く限りだと間違いないようだ。
その根拠は、基本、七支が自分の担当する地方都市周辺のマレビト駆除しかしないことからも間違いないだろう。
配置は次のようなる。
一位は関東担当、二位は関西、三位は東北。
で僕が中部で、五位が四国、六位が山陰、七位が九州。
沖縄と北海道が欠けるのは、勝手に歴史的に見て日本固有の領土になったのが浅いからだと思う。…勝手な見立てだが。
しかし伊勢か、僕は考えた。
僕の知らないマレビト発生の一方があって、先日みたいに協力するのだろうか?
そんな予想とは違って、伊藤はこんな答えをした。
「違う、違う。そういや、直江君、伊勢に行ってなかっただろう?だから、畠さんに連れて行ってやれって頼まれて」
伊勢に行く、僕が?
「伊勢で何するんですか」
畠、と言う言葉に、ちょっと身構えた僕は伊藤に尋ねた。
熊崎から、伊勢に行かなきゃならないなんて聞いていない。また行こうとも言われたことが無かった。それなのに、伊藤は伊勢に僕を連れて行けと、畠に頼まれたらしい。不可解だ。
「多分、鞘の状態の確認じゃないかな?
ほら、直江君ってさ熊崎ちゃんと契約したけれど…正式な形をとっていないじゃん?だから万が一、鞘が不調になったとき、応化が出来なくて困る!ってことが無いように、伊勢の魔術師に診せろって、話」
「なるほど…?」
自分に関係あるとは、理解したが、鞘、と言う単語の意味が解らない。
基本、応化させると抜き身の刀にしかならないか、熊崎って。
「…もしかして、直江君、鞘が解らない?」
「解らないです」
そっか、と呟いてから、伊藤は僕に説明してくれた。
「そもそも、担い手と応化儀杖との契約は、鞘を用いて行われる。
鞘、と言うのは読んで字の如しの鞘なんだ。直江君の場合だと、熊崎ちゃんとペアになる鞘だね。こいつを、担い手に埋めることで初めて、応化儀杖は武器になれるんだ。
因みに、俺の場合だと、担い手の左腕の中。そこに、俺と対になる鞘が入っている。
直江君も一緒で体の何処かに鞘を埋めてあるはずだ。と言うか、担い手は、体の何処かに鞘を封入しなきゃ、担い手として機能しないからね」
初めて知る、契約の内容に、ほー、と思った。
が、しかし同時に疑問に思った。明らかに、咎獅子の刃渡りは七十センチを超える。そんな長い鞘が、体の何処に入っているんだろうか。
「どこに鞘なんて入っているんですか?固くないですけど」
鞘は腹に入ってるんじゃないか?と推測した僕は自分の腹を抓みながら聞いた。すると、伊藤は、
「魔術で封入するんだから、そのままの形で入るわけないじゃないか」
と言った。
魔術か、
僕はオカルトワードに頭が痛くなった。
「あと説明しとくと、霊的な経路だとか魔力の通路だとか、大切な機能を鞘は果たしているんだ。仮に、もしも鞘に不備があったりしたら、それこそ応化の強制解除が起きてもおかしくない。だから、畠さんは伊勢に行けって言ったんだよ」
なんだか脳の処理が追いつかないが、大切と言うことだろう。
その鞘、の調子をよくするために、伊勢に行くのだ。そうだろうと、僕は決め付けた。てか、それ以外にわからない。
「マレビト駆除の最中に、死んでほしくないから?」
「そうだろうね」
納得されたので、嫌な幻視をした。
僕が咎獅子を振り上げた瞬間、応化が解けて熊崎にのしかかれるヴィジョンだ。嫌である、全裸の娘と死にたくない。そんな、嫌な未来を回避するために、伊勢へ行くらしいが、ここで僕は疑問に思った。
「じゃ、鞘が存在しない応化儀杖ってあるんですか?」
「鞘の無い、応化儀杖?」
考えたことが無かったようだ、伊藤は考えるようにてから、こう答えた。
「んー、鞘は念話や担い手の技能の保存も行うんだし…まず無いんじゃないかなあ?
俺は薙刀だけど、基本、応化儀杖とは刀剣とそれに類するものしかないはずだ。だから草薙計画が発案されたくらいだしね」
確かに、そうだ。
草薙計画は、たしか刀剣の応化儀杖しか参加していなかった。
けれど、本当にそうだろうか?
「じゃ、刀剣以外の応化儀杖はないと?」
僕は伊藤の断言を期待して、聞いたのだが(弓とか銃とか)、彼の答えは期待を裏切っていた。
「それは早計だよ、直江君。
俺たちは薙刀だし、六位は槍使いだ。一概には言えないね。俺は思うに、刃物と、それに相当する鞘さえあれば、出来るんじゃないかなあ、応化儀杖」
言われれば、そうだ。矛も槍も、鞘はある。なら、鎌でもダイジョウブだろう。だったら銃剣はどうなのだろうか?
刃が付いているのだ、小銃部分までを含んだ応化儀杖は存在するのだろうか。
「仮に銃刀とかでも」
「銃刀?銃刀法?もしかして、銃剣みたいな奴のことを言ってる?」
しまった、銃刀って何を言っているのだ、自分。
「あ、すみません、銃剣の間違いです。あってます」
「…そだね、ゴメン。存在すらしない武器の応化儀杖なんて無いよ」
となると、ゲームで出てきそうな武器の大半はアウトかもしれない。
チェーンソーとか。
もっとも、剣よりも銃の方が強い時代に、カタナなんて、達人でなければ何の意味も無い。武器類であるオウカギジョウも、そんなものの一つなんだろうけどさ。