ヘンタイ
6
父親や母親が、子供のときは怖かった。
今でも法的には未成年だが、マージナルマンになった僕くらいの年齢なら、過去の自分を子供と呼んでも問題ないだろう。
ともかく、僕は小学校に上がる前、父と母が怖かった。
キツイ躾を受けたわけでも、虐待に曝されたわけでもないが、何と無くそのころの僕は父母を恐ろしいものだと思っていたらしい。今じゃあ、オヤなんて、自分より下に見ていると言うのにね。
変な話だ。
そんな事を、久しぶりの父の電話で思い出した。
彼の用件は息子が元気か確かめたい、と簡単なものだった。僕は、そんな彼の心配に、内心大きなお世話だと思っていた。今は家にいないとは言っても、父は父だ。だから、息子の心配はわかるけれど…
…今は忙しいのだから、僕よりも仕事に打ち込んで欲しかった。
そう考えた僕は適当な用事を嘘ついて、電話を切った。
受話器を置いて、少し考える。
父よ、僕は嘘吐きだ。
貴方に対しては勉強していると言いながら、何も勉強していないのです。挙句の果てに、明日は数学と地理の追試験です。今日、午後にあった数学で赤点をとってしまったからであります。
なんて、ここにいない人間に心中で詫びたところで意味が無い。
コレは母に言っても同じだ。
学ばないのは僕の愚かさで、学ばない事での苦労は、僕だけのものだ。だから、馬鹿な僕に学ぶよう説教する人間がいない時に、自分が勉強していない事を吐露しても何の意味も無い。
ただ、言ってみて、自分が学習の一部を放棄していることを確認するだけだ。
結局、僕は勉強嫌いと言うか、嫌いな事をやりたくない性質らしい。だったら、僕は好きなことに馬鹿みたいに熱中するかと言うとそうでもない。好きなことは確かにある、バイクだとか音楽だとか。
けれど、音楽馬鹿かと言われたら、そうでもない。
悪い意味で、のめり込めないのだ。
勉強が、何もまったく必要ないと、僕は決して思わない。一般教養や、思考する為の手助けとして絶対に必要である。
けれども、のめり込めない以上、僕は作業としてしか勉強できないのだ。言い訳がましいが、仕方が無い。だってそうだもの、僕は暗記が嫌いだ。
なので、僕は父からの電話がくるまで、地理と数学の勉強…
じゃなくて暗記をしていた。
その地理の学習なのだが、用語を調べているだけで嫌になった。西洋人が分かりやすいように用いた用語を、そのまま片仮名で用いるから、当然分かりにくい。日本語に相当する語を組合せて説明つけないのは、何故だろうか。
など、地図を見ていると、すごく感じる。
イタリア式のラテン語は、日本語に変えれば良いと思う。
しかし、こうして空白の埋まった世界地図を眺めていると、遠い遠い場所が、この世に遺されているのだろうかと思った。
人間の進歩と好奇心は素晴らしい。
海洋の底、霊峰の高み、雪と氷に閉ざされた極点も人間は踏破した。そして、技術がさらに進めば、月まで旅行に行けるだろう。この事実は、つまり距離的な遠い場所など、空の彼方を除けばほとんど遺されていない事を示している。
だから、命知らずの冒険野郎は、もう現代に魔境や秘境が遺されていない現実が、さぞ残念なことだろう。
けれども、遠い場所は何も距離だけではない。
心が遠い、と言うこともある。
僕と熊崎が、まさにそれだ。
一体、いつになれば状況が改善されるんだろうか。いや、恋愛感情を進展させたいわけでもない。単に、もう少し僕と熊崎が普通に話せるようになればいいと願うだけである。
しっかし、僕はアイツのこと好きじゃないから仕方がないのかも。
アイツも僕の事、嫌いだし。
お互い八方美人でないから、思い遣りと、話を合わせる気もない。加えて同じ趣味もない。さらに、単に歳が近いくらいしか、僕と熊崎には共通項がない。
そして女と男である。
同性ならなんとかなっただろう、しかし異性なのでよくわからない。不思議なもので、もともと解らない人の心が、異性だからさらに解らない。
しかも、僕が考えている事は全て、応化させた地点で向こうに知られてしまう。よくある相互的なテレパシーじゃなくて一方通行のテレパシーだから、起こることだが、これは困る。
向こうは、僕の心の機微を読み取れる。
なのに、対する僕は熊崎の事を何一つ解らない。
よって意志疎通もできやしない。
まさに、心は遠いと言うべきだ。
誰かが数学の定理で心の謎解きを出来るヤツを創作しないだろうか?
カウンセラーからプレイボーイまで引く手あまただろうに。
そう僕は数Aの参考書を広げ、思った。
翌日のテストは、文句なしの満点を取った。
嫌だ嫌だと言っておきながらも、やれば結構出来るじゃないか、自分。
そうであればよかったのだが、曲芸飛行のような低空飛行でパスできたのが、詳細である。
まったく、教科を受け持つ教師にも、
「ぎりぎりすぎる、直江」
といわれる始末である。
しかし、こんなの免停くらって再度免許をとりに行った、運転試験場の一発試験と同じである。受かれば、万事快調なのだ。気にするのは馬鹿であるし、どうせ追試くらっているんだから、成績評価を今更気にするのもおかしい。
だいたい、勉強してないのに、パスできた方を喜ぶべきだ。
と秀才ならば、信じられない事を終わらせた僕は、学校から帰宅していた。
住宅街を一人、ボースのイヤホンを耳に突っ込んで歩く。テンションは、かけているアーティストのせいもあるが、多少上がっていた。
なにより今日は、ちょっと嬉しい連絡があったからである。
それは注文していた品が、店に届いたからである。
普通自動二輪免許をもっているから、僕は当然バイクを持っていた。
けれど、旧車は金も知識も求められるから論外として、一人暮らしの高校生が買える単車なんて限られてくる。その上、勤労もせずにバイクを購入しようと思ったら、送られてくる仕送りを工面して買うしかない。そうして、僕は税金とか保険料まで考えた為、原付二種の中古しか買えなかった。
ローンを組めば話しは違ったのだろうが、ニコニコ現金一括払い中毒者の僕は、借金をしてまで買おうとは思えず、結局中古のソイツを乗り回していた。
なにより、僕はローンの審査にすら通らない。
まあ、それは今のアルバイトをする前までの話である。
アルバイトで凄い給料が入ってくるのだ。罪深い給与で経済を活性化させるため、バイクを買おうと、僕が思い立ったのが先週のことだ。その考えは今週中、僕の頭を新車に乗れるという夢想をかきたてた。
自分でも、これほどの良案はないと思ったね。
だって、馬鹿みたいに貯金があるのである。金持ちが金を使わねば経済は回らないと言うんだし、それに好きなものを買うのだ、無駄遣いではないだろう。
たまには贅沢しませう。
そう思った僕が行動を開始してもなんら不思議ではないだろう。
さて、話が変わるが、機構の給与の額は凄く、余裕で百万は超える。なら保険料も税金も維持費も大丈夫だと言うことで、僕は免許が許す限り、最大の排気量の奴を買うことにした。
と言うわけで、色々悩んだ挙句、僕はスズキのGSR400を購入した。
ドウカティの400も悩んだけど、国産の新車がよかったのでコッチにした。61馬力にFI、さらにABS。割愛するけれど、その他もろもろの素敵な成り立ちのバイクである。
……んな、グルメレポート的な御託はもう止めよう。
今、僕はバイク屋が、ソイツを押してくるのを、待っている所だ。
すでにバイク屋に頼んで自賠責に保険は大丈夫であり、自宅まで一走りしたい僕は、今か今かと、バイクの到着を待ち望んでいた。
万一、立ちコケやコーナーでコカした時の為にスライダーは装着済み。
しかも純正マフラーよりもいい奴に変えて軽量化にも抜かりはないし、ブレーキもホイールもサスも換装してある。あと、差別化の為にグラフィックを頼んで、中々格好いいのを入れてもらったのだ。
そんな愛車の鍵を、受け取ろうとする、僕の期待をなんと言い表そうか。
満足感、
充実感、
それと期待が入り混じったこの感覚は、中々得られるものではない。それと、待ちに待った愛車に跨って走り出した爽快感は、さらに上を行くだろう。だから、僕は楽しみにしながら待っていた。
あぁ…セルを押す、その瞬間が待ち遠しい。