判子の複製
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応化儀杖の機能の一つに、担い手の技の記憶と言うものがある。
それは前の持ち主の技量を熊崎が記録し、なんらかの理由で担い手が死亡した時、あるいは怪我により、次の担い手が彼女と再契約した時に、前の持ち主の技量を再現させるものである。
つまり、僕が何の努力もなく剣術を使えるのには、このような理屈があるからだ。
だから僕の使う剣術とは、熊崎に綿々と蓄積された前の担い手の技術。その模倣に過ぎない。より正確に述べるなら、
応化儀杖の機能を使って、僕の体で前の担い手の技術や判断を、繰り返しているだけである。先程の緊急回避が、まさにそれだ。
ただ、この感覚。あまり好ましいものじゃない。
わかりやすくいえば将棋で最善手を自分が意識できないまま出すものだ。
よって、まるで障害持ちか、それとも異常のように、手足が動くのだ。
アルバイトを始めた当初ほど、この違和感は、大きかった。しかし最近は、この感覚自体、薄れてきている。加えて僕の馴れもあってか、気にならなくなってきた。
もしかすると、僕の体が、技術を覚えはじめているのかもしれない。
でも、なんか、インストールされてるみたいで嫌だ。
「少なくなってきた…」
…数が多かったが、結果としてどうにかなってしまった。
火炎放射をするマレビト、それと鞭のような器官のあるマレビトには当初手を焼いたが、何匹か斬るうちに慣れてきた。しかし、こうしてバッサバッサと殺陣を演じる、自分らは異常ではないだろうかね?
いくら学習機能があるからと言っても、自分でも不思議に思う。
僕は剣術を習った事など一度も無く、よく解らないが……それでも、前の担い手はよほどの手錬だったのであろう。
今日まで生きてこられたのは、前の担い手のお陰であると言っていい。
が、たまに、その事実が怖くなる。
マレビトと向き合えるだけの技量を彼が有していなければ、今頃僕は死んでいる事だろう。だから、感謝はしている。
な、の、だ…が、そんな彼が死んだと言う事は、彼ほどの実力者を殺せるマレビトが存在すると言う証明だ。
また彼のような人間の技能に頼れねば、戦えない自分を情けなく思う。
そうして、マレビトを切り倒していると、やはり何時ものように自己嫌悪が胸の内に沸いた。
本当に、自分が嫌いになりそうだ。
戦う力は借り物、現状に不満を抱きながらも何もしない。
そんな自分が、とてつもなく無様に思えてきた。
こうして熊崎を振るっている時は、超人の如く、体が動く。だが、日常との落差はどうだ?うだつの上がらない、劣等生。
挙句、こんな非日常でさえ、前の担い手の技術に縋らなければ満足に戦えない。
そうして自己嫌悪の渦にいると、気が抜けていたようだ。
「直江、後ろだ!」
二階からの畠の叱咤。
それで僕は振り返り、犬型のマレビトの牙と爪が迫るのを知った。
「…、…ッ」
気を抜きすぎだ、馬鹿者。
接近を許すばかりか、不意打ちまでさせるとは。爪を避ければ、牙の餌食と、なんとも酷い手に、僕は焦る。対応が間に合わない、と僕は冷や汗をかいた。
どうするか、僕は迷ったのだが、
僕の体は、僕の判断よりも早く行動を開始していた。
僕の体は、両手持ちだった咎獅子を、右手で逆手に握る。そのまま、腰を軸にアッパーを繰り出すかのように、大きく捻る。当然、拳の軌跡をトレースして刃は走り―――拳の横の延長線上である刀身は、マレビトの爪と顎を捉えていた。
後は、振りぬくだけだ。
マレビトを斬る感触がした後、返り血をべったりと浴びる。
マレビト自身の飛び込む力と、僕が切る力の応力は十分すぎた。全身を両断れたマレビトは断末魔の叫びも上げることなく、即死した。最後の足掻きか、頬を少し切ったが、死ななかっただけ僥倖だ。
勝手に動いた自分の体への不快感も、今は感じなかった。
動かなければ、死んでいた。ならば、勝手に動いた事に感謝しよう。
けど、ちょっとだけ情けない。
僕は、熱も無く燃えていく返り血を眺めてから。先に仕事を終えたらしい、畠の方に向き直って、礼を言った。
「忠告、どうも」
僕のそんな発言に畠は、
「例はいい。それよりも、やるじゃねえか」
なんて楽しそうに答えてから、ホワイトノイズを錦竜で指しながら言った。
「見ろよ、閉じていくぜ」
切っ先が指す方向を見れば、ホワイトノイズ。
みるみるうちに、ソイツは収縮して終息消えた。
「でたらめ、だ」
見飽きた光景だが、相変わらず理屈がわからない。
あのホワイトノイズ、平面的かと思えば、横の厚みもきちんとある三次元的な物体である。物質として存在してそうなのに、応化儀杖でも切れないし、ましてや触れない。そして無重力でもないのに、宙に浮くのは何故だろうか?
人間が武器に変身するのと同じく、やっぱり冗句か伝奇にしか思えない理屈で動いているんだろう。どうせ、やたらめったら小難しい哲学的な説明を必要とするような理論に決まっている。
アルバイトの終わりだと言うのに、僕はやっぱり楽しくなかった。
もちろん楽しくないことをしているから、楽しくないのは当然だ。
けれども楽しくないいやな事が終わったのに、気分が悪いままだ。
ホワイトノイズをボーっと眺め、僕は、そのようなどうでもいい事を考えていた。だからだろう、応化を僕が中々解かないもんだから、ついに熊崎から文句が飛んできた。
“…直江、そんなことはいいから、早く応化を解いて“
声も無いのに、声が聞こえる事を、僕は不思議に思わない。
「わかってるよ」
僕は、そう熊崎に告げる。これまた、へんな物ではあるのだが、武器に変身した応化儀杖と担い手の間には、テレパシーが使える。
ありがちかつ、ありがたくもない、能力である。
何時ぞや、うっかり雑念を考えながら応化させたばっかりに、熊崎が僕の雑念(むろん猥談である)を完璧に記憶してしまい、後でなじられた事があった。しかもこのテレパシー、担い手は応化儀杖の前述の機能(担い手の技術の保存)の為、応化儀杖を使っている間中、一方的に心を覗かれる。
まったく、プライバシーもあったものじゃない。
このテレパシーのせいで、僕は熊崎に芹澤さんや沢田の事まで知られて、いい迷惑である。
「じゃ、応化解除するから」
そう言ってから、僕は目を閉じて、応化を解除する。
見えないから、音だけである。多分、応化とは逆の行程を辿って元に戻っているのだろうが、見たことがないから、よく解らない。いや、今、目を開ければ見えるわけだが、それは絶対に出来ない。
テレパシーで心を覗かれたときに、覗いた事実が露呈すれば、洒落にならない。
これ以上関係を悪化させると、応化にまで影響する。たしか、最低限の信頼関係が無ければ、応化すら出来ない、と言う話だったから、これ以上関係を悪化させて得など何も無いのである。
よって年頃の男児として女体に非常に興味がありながらも、僕は紳士として、絶対に熊崎の肌を見ないと決めていた。
応化が終了したらしい。
ペタペタと、裸足の彼女が、自分の後ろを歩いていく。服を拾いに行く、何時もの行動だったが、今日は少々勝手が違ったらしい。背後で熊崎の驚いた声が聞こえる。何事かと思い、僕は熊崎に背を向けたまま尋ねた。
「何かあった?」
僕はてっきり、服がどこかに飛ばされて、見つからないから声を上げたのだと考えていた。
しかし、現実とは常に予想と一致しないものである。
彼女の答えは、僕の予想を超えていた。
「…服が消し炭、直江」
「なるほど…」
嗚呼、豚のマレビトのせいね。
しかし、『服が消し炭だ、直江』と言われても、僕が貴女の着替えを僕が持っていると思っているのか、熊崎先輩?と思ったが、仕方が無い。
僕は自分の着ていた上着を脱ぐと、後ろの熊崎に投げた。
無言で投げたが、熊崎は意味を察したようだ。足音が近づいてから、上着を拾う音がする。男物で、しかも丈が長いため、何とか隠せるだろ、そう僕は考えていた。
「ありがと」
実際ダイジョウブだったようだ。
僕は熊崎から、珍しく感謝の声を聞いた。多分いろいろ隠せたんだろう。彼女が着替えたことを確かめてから、僕は熊崎の方へ振り返った。
そして着替えた熊崎を見て、ぽろっと言ってしまった。
「…意外と、すご」
現実とは、かくも厳しいモノなのか。
そこそこ、お洒落な熊崎だから、コレは駄目だった。男物の上着はブカブカらしく、なんかダサい。服だけ浮いているとは、まさにこーゆーことを言うんだろう。
似合わない上に色気も無い、サイアクだ。
「直江…ッ」
「…どうもすみません」
身の危険というよりも、関係の亀裂を察した僕は、反射的に謝罪した。
「いい、気にしないで」
と、熊崎は言ったが、絶対嘘である。どうせ、心中は煮えくり返っているに決まっている。元々、応化儀杖の服が、マレビトの火炎放射で消し炭になったせいだが(マレビトに近い位置で抜刀したのを、今更後悔した)、それでも失言をしてしまった自分の口の軽さに苛立つ。
マレビト駆除で出来た怪我は痛いが、それよりも痛い失敗だった。
なんだか、俺って、ひどくダメ人間な気がする。