透明なら見えなく、グレーなら掴めない
前に座る男の子が
億劫そうに持っている英単語帳には
1800単語の言葉が詰まっているらしい
その斜向かいの女の子は
マドンナを片手に模試の丸付けをし
菓子パンにかぶり付いている
ながら勉強にも程がある
金木犀は順調に枯れ始め
秋は次第に駆け足になってきている
寒い夜がそれを引き摺り廻す
いつの間にか前の男の子は
こっくりこっくり首を打っている
手に持った単語帳は今にも床に落ちそうだ
昨日は徹夜だったのかもしれない
受験生にとっては灰色の冬が来る
ラストパートと余裕ぶっている
強者はほぼいない
ほとんどが夏場の自分を恨んで
涙を飲んでテレビを観ている頃だろう
少なくとも私は煎餅を食しながら
ノートを片手にイヤフォンで耳を塞いでいた
懐かしい受験シーズン真っ盛りの頃の話だ
この頃、いわゆるチャリ族だった私は
学校に行くのにも、塾に行くのにも
肉まんをほいほいっと買いに行くのも
相棒のチャリと一緒だった
何故か無性にチャリが好きだった気がする
無駄に大雨の中でも
自転車を漕いで帰っていた所為か
11月、受験最後の模試の前に
軽い風邪を引いてしまった
受験生にとってはケジメをつける
最後の大切な模試である
裏を返せばこの模試が悪けりゃ
お前なんか行くとこねーんだよ
来年きやがれ、クソ野郎…と
紙切れごときに言われた事になる
そうなれば今から戦争に行く前に
心は既に折れきってしまう
だからって受けないのは無条件降伏に等しい
こりゃ困ったわい。
私は困っているのが
あまり人に伝わりにくいらしく
いつも誰も本気にしてはくれない
どうやらふざけていると思われているらしい
損な性分だ
真剣に困った挙句
一日目は頑張って受けて
二日目の理科や数学は捨てる事にした
さっきといってる事が弱冠違うが
どうせアレだ。数学だし
データなしでも大して変わりはない
親にだけは二日目受けない事を伝えて
土曜日出勤で模試を受けに高校に向かった
学校には高3生しかいなく
それも数は少なかった
推薦枠の同級生が恨めしい
何故芸術系には推薦なんて用意されてないのか
一度教育委員会の方に尋ねてみたい
一限目の国語を受け終わって
気分が悪くなっていた時、
学年主任が私の名前を読んだ
どうやら放課後職員室に来いとのことだ
彼は国語の教師なのだが
ひどく痩せていて、ひょろっとしている
ネアンデルタール人の様な顔立ちだと
いつも思ってしまう
後もう少し肥えたら
なかなか男前だと思うのだが
いつも頬が痩けて目が輝いて見えるので
暗がりから現れたらちょっと怖い
彼は他の教師とは何処か
違う雰囲気を纏っている
その理由として
どうやら何というか、見えるらしい…
真面目な教師だけに
その言葉は本気に聞こえてしまう
彼と生徒が対峙して話をしている時
その生徒の後ろをひょいっと観る目が
時折、真剣過ぎて怖くなる
後ろはただの白い壁なのに
そんな曰く付きの教師に呼ばれた私だが
特にしでかした事は
思いつけないまま放課後になった
彼の元に用件を聞きに行くと
「お前明日休むんだってな」
そう言われて心臓が止まるかと思った
でも次の瞬間、あぁ親か。
きっと明日休む事を親が電話したんだろう
余計な事を…
「これ明日の数学と理科。渡しとくから。
月曜日までに家でして来て提出してくれたら
いいから…」
えっ。と、言うことは、
「模試しに学校こなくていいんですか?」
単刀直入に聞くと、うんと頷いてくれた
なんて優しいんだ、ネアンデルタール…
そしてありがとうペアレンツ
早速帰って熱を上げながら親に礼を言った
「えっ…いや、電話してないよ。
そんな面倒くさいことするわけないし。
それに今日、祝日土曜だから
学校には電話繋がんないし」
は?
「えっ、でも先生知ってたよ。明日休むこと」
「なんで?」
…何でだろう
急に熱が冷めた気がした
その場の温度も2度程下がった所で
きっと2組のもう一人の東さんと
間違えたのだろうと結論になった
無事に模試も終え
あそこまで悩んだ模試の結果も
たいして変わる事もせず
受験当日となってしまった
人が群れてる会場で私の隣りは
たまたま2組の東さんだった
彼女と受験ネタで盛り上がり
話が一区切りついたところで
そういえばこの間の模試…と切り出した
前の模試で東さんが休んだ分を
私がとってしまったので
模試を受けられなかったんじゃないか
そう考えていた
そしたら悪い事をした…
「いや、それ私じゃない。だって受けるの
私学だかや3教科で、一日目だけだよ」
「そうだったんだ…
じゃ、なんで先生休むの知ってたんだろ?」
「さぁ。でも気持ち悪い」
…キモイじゃなく、もはや気持ち悪い
それは流石に可哀想だ、東さん…
彼女は宣言通り一日目で終わり
私は二日目脳味噌が活性化されないまま
新たな問題だけを残して試験は終わった
その後、高校を無事に卒業し
3月の二次試験を終え
何とか大学に滑り込んだ旨を
高校に報告に言った帰り
職員室の前で、私は久々に先生と出会った
しばらく世間話をしていたが
ふと、あの時のことを聞いてみたくなった
何故あの模試の時
私が休むことを知っていたのか
多分聞くチャンスはこれが最後だろう
ずっともやもやしていた事に終止符を打ちたい
あぁ、あの子と間違えていたよ
なんて他愛もない返事を期待した
先生は口の端を歪めて笑った
「あぁ、多分それは分かったんだよ。
人には第三オーラっていう見えない物があるん
だけれども、それが教えてくれたんだと思う。
たまにあるんだよな、こういう事が」
彼はグレートーンの落ち着いた
声色でそう語った
こういう事がたまにあってたまるか!
詳細は分からないが
(分かりたくもないが)
どうやらそのオーラとやらが
私が休むことを教えてくれたらしい…
守護霊の一種なんだろうか
まるで近所の世話焼きオバサンの様だ
受験の思い出としては
何よりもインパクトの強い
体験となってしまった
おそらくあんな経験二度とないだろう
今、目の前で幸せそうに
眠りこける受験生は
きっとこれから大変な季節を
向かえていくのだろう
世の中上手くいくことばかりではない
泣いちゃうような時だってきっとある
それでも頑張らないといけない
けれども、自分にいつもついていてくれる
何かがいるとしたら…
幾分気持ちは楽になるのかもしれない
手から滑り落ちた単語帳を
拾ってくれた親切な人のように
それは時に自分を慰めてくれる
かもしれないのだから
しばしの休息を 。 おやすみなさい
それにしても
休むことしか考えていなかった
私のオーラって一体何なんだ…
あの時どれだけ休みたかったんだろう
などと考えてしまう
複雑な心境には変わりないのだ
季節は巡り、昨年度の春
私は先生とちょっと背伸びをして、肩を並べられる様になりました。