ファフニール
いつのころかもわからないほど昔のことです。それはそれは鮮やかで多くの色たちが住む世界がありました。たくさんの色たちは昼の間明るい光の下で互いに混ざり合い、離れながら遊び、夜は深海よりなお深い瑠璃色の下で眠っていました。そんな光と色に満ちた世界を憎々しい思いでみつめているものがいました。地下深くに大きな城を構える灰色の魔女です。彼女は灰色に生まれた自分が嫌いでした。自分が住む城の灰色が嫌いでした。自分の外に広がる明るくて色とりどりのセカイが嫌いで嫌いでたまりませんでした。
ある新月の夜のことでした。灰色の魔女は大きく不気味な魔方陣の真ん中に立ち、両手を広げ呪いの言葉を紡ぎ始めました。荒々しい舞いのように動きながら魔女の呪文は続きます。魔女がすべての呪いを紡ぎ終え一つ息をついた瞬間世界中の色という色が魔方陣に吸い込まれ始めました。十分もしないうちに魔方陣は全ての色を吸い込み終え、世界はのっぺりとした灰色に塗りかえられてしまいました。灰色の朝日は世界を照らすこともなく灰一色の世界が静かに産声を上げたのでした。灰色の地平線を水平線を眺めながら魔女は悲しそうにつぶやきました。
「誰も私を愛してくれなかった。何もしてくれなかった世界には、なにもないのがお似合いだ」
魔女の呪いによって全てが灰色になってしまったはずの世界には、しかし光と色は点在していました。弱弱しく自身でも見失いそうな光、それでも確かに色をまとった光でした。
そんないくつかの光の中で最も優しく暖かい光は小さな赤い花の中から発せられていました。花弁の内側には赤の姫がふるえながら座っていました。姫はたまたま花の中でお昼寝をしていたため恐ろしい魔女の呪いから逃れられたのでした。姫は冷たくとげとげしい力がこちらに来ないことが分かってから恐る恐る花のベットから灰色の世界へと足を踏み出しました。
「誰かいませんか?」
細く小さな姫の呼び声はいくつかのこだまを残して消えていきました。
「誰か、誰かいませんか?」
今度はさっきより少しだけ大きな声で呼んでみますがこだまがいくつか増えただけでした。あんなにたくさんのお友達がいたのに姫は今一人ぼっち。さびしくて悲しくて姫はなきだしてしまいました。泣き疲れるまで泣いた姫が花のベットに戻ろうとしたときです。
「おーい」
小さな声が聞こえた気がしました。姫ははじめ風の音かと思いました。しかし、
「おーい。誰かいないかー」
今度ははっきりと呼び声が聞こえました。
「行ってみなきゃ、誰かがいるかもしれない」
姫はまだ少し震える足で灰色の中へと踏み出しました。
それから七年。
世界は今日も灰色のままだ。
◆
パチン、と。
戦場に響いたその破裂音は、羽振りのよかった貴族が、調子に乗ったときにするフィンガースナップに似ていた。けれど一転した視界の中で――もう奴等は一人も生きちゃいないことを、ファフニールは思い出した。
まるで泡が弾けるように、男達の夢は終わりを告げる。
初めは興奮していて気づかない内に血を流し過ぎたのかと、青年フニは考えた。なんせ化物退治なんて、もうすぐ二十を数えるが今までただの一度もやったことはなかった。だから知らぬまに負傷していたっておかしくはない。しかし剣を取り落とし、床に無様に転がった四肢はまったく動かなかったが、背中に伝わる底冷えた感覚ははっきりとしていたし、意識も然りと保っている。痺れもない。耳鳴りもない。変だ。これは貧血の症状ではない。青年は素早く周囲を観察した。
そしてぐるりと横回りしたフニの眼球は、これが間違いなく何者かの仕業であると結論した。かつて帝宮と呼ばれ、今まさしく戦場となっていた広間には、数十名の男達が青年と同じように倒れ込んでいた。無論その中には死者も混じっているだろうが、それにしてもこんな偶然は有りえない。何者? いや逃避だ。本当はわかってはいるのだ。青年はこんなふざけた真似が、人の努力を鼻で笑うような化物を、まさに殺しに来たのだから。
「――ふふふ、まるで夢から覚めてしまったブリキの兵隊ね」
フニの耳に届いた少女の声は鈴の音ではあったが、含まれていた毒は間違いなく金属よりも重かった。視線の先、かつて皇帝のために労作されたであろう玉座に腰かけていたのは、見目には少女としか言いようがない。しかし青年は知っている。眼前の、この恐ろしいまでに美しい少女の〝ヒトガタ〟が、けして人間などではないことを。
「…………魔女、め」
憎々しげにその忌み名を呟いた仲間は、次の瞬間には頭部を踏み潰され果てていた。悲鳴が上がる。しかしフニを始め誰もが、その光景から目をつむることは許されなかった。突如として、それまでは自由の利いていた目玉までもが本人の制御を外れ、閉じることを忘れたのだ。すべては少女の仕業だった。そして考えたところでもう手遅れだということはわかっていた。
これまですっかり意識の外にあった〝異形〟が、少女の怒気を感じとって再び動き始めたからだ。粉砕音の後を次いだのは咀嚼音だった。その頭を踏み潰された死体を、でっぷりと腹と尻が膨らんだ、まるで蟻にも豚にも思える四足歩行のヒトガタが、その全面にびっしりと唇が生えた頭を、死体の腹に突っ込んで、まるで群れるように血も肉も骨も、犬のように荒い息を吐きながら一緒くたに食い散らかしていたのだ。
それはあまりに凄惨な光景だった。日々の糧を得るために森を駆けていたフニでさえ、こんな酷い捕食は見たことがない。生き物の血と死にある種の慣れがある青年をしてそう思わせるのだ。都にて商いで生計を立てていた者にはとても耐えきれるものではなかった。
続けざまに何人かが吐き、そして死んだ。不愉快気に玉座の肘を叩いた少女の指先のリズムに合わせて、異形の拳が諸々の頭蓋を、まったく同時に粉砕した。まるで木のようなヒトガタだった。短足に、やたら長い胴体。そして肩から伸びる腕の片方の掌から生えた二本の腕、そうしてまた五本に、八本に、最後には十三本に。葉がつくように腕が生えていた。
戦闘の興奮から覚めてしまえば彼奴らはもう人間の手におえるようには思えない。その醜悪なる名状し難き怪人物は、まさしく異形としかフニには表現しようがなかった。彼奴等は何一匹とて同じ形状をしている個体はおらず、共通するのは人の身体を基盤に、そこに様々なモノの特徴を適当に付け合わせたような姿をしているということだけだ。
フニはそんな異形と、それを操る玉座の少女を討つために立ち上がった一里人だった。仲間とともに里を出ようとする青年を、普段は小生意気な弟も能天気な友人も、そしてたった一人の愛する貴女も、村の誰もが考え直せと言って止めた。けれどその助言は現状を慮るに、青年には逆効果でしかなかった。言われれば言われるほど青年の義憤は燃え上がったのだ。
(何故だ? なんで誰もがこうも諦めを抱いて生きなければならないんだ? 皆がいったい何をしたっていうんだ!)
そうして今、まさしく死を迎えんとするここに至り。再び自由の叶った乾ききった目ん玉でフニが睨めつけたのは、予想外といった表情を浮かべる少女の白面だった。青年の眼光に宿る暗き感情は嫉妬という。
フニには少女の美しい〝色〟が憎たらしくて、そして羨ましくて仕方がない。硬質の美貌に、霞がかった銀髪、そして陶器のように白い素肌。玉座に斜めがけて男達を嘲笑しているその艶やかな姿態に身に纏うのは、豪奢な漆黒の衣装である。
その姿は――。
この灰一色の世界ではあまりに綺麗過ぎるのだ。
もう四年も経っている。かつて世界は異形の出現と同時に、少女の手によって色を奪われた。この世から灰色以外のありとあらゆる色彩は剥奪され、朝と昼と夕と夜との区別はなくなり、美しさとは造形の陰影のみに乏しめられ、そして色の精霊と魔法は例外を除き失われた。
魔法使い。その匠の称号はもはや希望と絶望の代名詞になりつつある。少女は後者だった。異形の群を率いて長らく続いた大帝国を崩壊させ、人々からは魔法と色彩を取り上げた簒奪者。其は〝灰色の魔女〟シルバリオという。
「ふーん、どうやら面白いのが一人混じっているみたいね?」
くすくすくす、と。それまで浮かべていたのとは質の違う〝笑み〟をシルバリオは見せた。邪気のないあどけなさを覗かせる年相応の美貌。ゾッとした。フニはその表情に覚えがあった。本来なら絶対に繋がるはずのない、たった一人の大切な弟と少女が重なる。まだ小さかった頃に眺めていた弟の横顔、そこに浮かんでいた笑みと同じだった。子供らしい無知からくる残酷さと容赦のなさで、手の中で抗う虫の羽を千切っていたときに浮かべていた弟の笑みだ。
やめろ、と叫ぶ暇さえなかった。フニが、自身が先に思い浮かべていたまったく有りえない連想をどうにか忘れようと躍起になっている内に、殺戮は終わっていた。ふと気づけば悲鳴は止み、血だまりに膝をついている青年以外の尽くが異形によって皆殺されていた。傍に転がる目玉は、手足はいったい誰のモノなのか。あまりに理解を超えた現状に、青年は恐怖さえも忘れて呆けることしかできなかった。
「やっぱり。……けれど、どうして今まで無事だったのかしら? おかしいわ。だってこんなに異形なのに。うーん」
頬に人差し指を当てて、しばしシルバリオは黙考していた。その間もフニに動きはなかった。いや、動けなかった。揺れる銀髪の間から覗く少女の瞳。人形のような容姿には不釣り合いなほどに鋭い三白眼が、青年を覗き込んでいた。その己を射抜く眼差しに全身が震えた。
「……俺も、殺すのか?」
「いいえ?」
シルバリオは、どうしてそんなことを聞かれるのかわからないといったふうに続けた。
「興味深いから少し話がしたいわ。……あ、その前に教えてあげる。わたし魔女って言われるのは好きじゃないわ。だって魔女じゃないもの。魔女って契約する者でしょう? わたし契約はしないわ。だから〝解嘱の魔女〟は間違いよ。わたしは〝解嘱の魔法使い〟」
「〝灰色の魔法使い〟?」
「そう解嘱の魔法使いよ、――わかった?」
シルバリオの言にフニは正しく誤解させられた。魔法使いと魔女の間にある致命的な差が里人である青年にはわからない。しかし知らないでは済まされないことが世にはある。これがまさにその一つであるとは露にも思わず、ただ雰囲気に呑まれたまま青年は肯いた。
「ふふ、わかったようね。それじゃあ訊くけど貴方の名前は?」
「…………フニ、だ」
「……ふーん、詰まらないことで時間を取らせないでちょうだいな?」
シルバリオの言葉に反応するように灰色の異形が蠢く。フニに対して質問の形を取ってはいたが、それは紛れもなく強制だった。かたかたかた、と。合わなくなった歯の根が、己の身体の屈服を青年に教えていた。しかしまだ、だ。まだ青年の心は辛うじて均衡を保っている。守らなければならない誓いが、帰らなければならない場所が青年にはある。だから――。
「……っ、…………ファフニールだ」
「ファフニールね、覚えたわ」
諦める訳にはいかない、――そんなことは誰だって、シルバリオだって知っている。違いがあるとすればそれはまさしく〝知った〟その後の対応だろう。知った上で踏み躙る。それが魔女とも、魔法使いとも称される少女の答えだった。
例えるなら、それは孵化の寸前に子供の手に捉われた蛹のイメージが適当だ。生かすも殺すも己が思いのまま。そんな理不尽を体現した力だからこそ〝魔の法〟というのだ。瞬きの間に、フニの瞳は色を失っていた。
「じゃあ次に貴方の大切な人達のことを教えて?」
「……家族は弟が一人いるだけだ。名前は――」
そうして。フニは気づけば弟の名前も友の名前も、たった一人の愛する貴女の名前さえも、残らず眼前のシルバリオに語り尽くしていた。異様な光景だ。まるで騎士と姫君の誓いの儀のように、まるで信者と教祖の洗礼の儀のように。物語の一節の如く青年は少女に傅く。
「――ああ、そうだ。俺は四年前に失われた貴女の色を取り戻してあげたかった。美しかった貴女の髪色を、ともに眺めた夕焼けの景色を、俺は取り戻したかった……」
フニの独白は続いた。微睡にも似た夢見心地、抗うにはあまりに幸福な過去。けれどもそれはけして他人には、ましてやシルバリオなどには話してはいけないことだった。ふるふる、と少女の全身は震えた。だが恐怖に怯えた青年とは違う。それは本当に、滑稽で堪らないと言わんばかりに。そうして何度か目の誘導の後、とうとう破滅はやってきた。
「――貴女が俺を愛してくれているように、俺も貴女を愛している……」
「嘘ね」
「………………え?」
「貴女は貴方のことなんかちっとも愛してはいなかったわ」
どうしようもない悪癖だった。シルバリオはこの灰一色の世界では誰よりも美しかったが、同時に誰よりも醜い心を孕んでいた。フニの話。この、仲間の死にあまりに無頓着な歪な男を支えていた、反吐がでる美談化された思い出話。そういう他の共感を誘うようなモノを見ると、聴くと、知ると、――少女はいつもどうしようもなく滅茶苦茶にしてやりたくなるのだ。
「…………え、俺、愛してないの?」
「へえ、わたしは〝あなた〟って言っただけなのに、貴方はそんな受け取り方をするんだね。良かった。片思いはいつだって悲劇だもの。どちらかだけが辛い経験をするなんて、割に合わないと思わない? ……どうせならどちらも苦しまなくちゃねえ?」
この手にもうすぐ美しい蝶になる蛹がいるとしたら、シルバリオはそれを上下に引きちぎらずにはいられない。しかし誤解してほしくない。少女は虫が嫌いではない。むしろ尊敬さえしていた。虫は凄い。歪を歪のままに受け入れ変態する。上半身は生きるために死へと羽ばたき、地に落ちた下半身は死してなお産卵することさえ可能だ。だからいつだって不満だった。
どうして人間は、いつだって正常でなければ生きられないのだろうか? それは間違った適応の仕方ではないのだろうか、と。そうだからこそシルバリオは弄ばずにはいられない。
パチン、と。鼓膜を叩く音に、ふとフニは我に返った。気絶でもしていたか、いや、記憶は確かだ。――ああ。そうして青年は思い出す。何もかも手遅れだということを。すべてをこの眼前の忌まわしき化物に知られてしまったことを。思い出す。そんな存在の言い分を鵜呑みにし、少しでも愛する貴女を疑ったファフニールという間抜けのことを。
「…………ああああ、」
とうに乾ききった眼球から、それでも溢れ出した涙は灰に汚れた〝赤〟だった。この痛み、この臭い、それはもうとっくに忘れ去っていたはずの色そのものだ。
このときフニは敵意を上回る自己嫌悪の中でそれを自覚した。そして。本当の意味で青年はそれを今失くしたのだ。己の全身で沸き立っていたはずの色を、とうとう汚してしまった。
苦悩に蹲るフニには見えなかった。痙攣するように身体を震わせ笑い声を堪えるシルバリオの姿が、その手に掴まれた実体を伴った赤が。鷲掴まれた赤は、しばし抵抗を続けたが、少女の口元が三日月に歪曲するとともに握り潰され四散した。くすり。遂に漏れた声に、面を上げた青年の瞳に映った心は、既に灰に侵されていたのだった。
「…………嘘だ」
「ええ、嘘よ。みんな嘘、なにもかも嘘。貴方が誰に懐く想いも嘘ばかりなら、誰もが貴方に懐く想いもまた嘘ばかり。ほら、信じられないのなら見せてあげるわ」
すう、と。シルバリオの指先が空をなぞる。後を追うように現れた揺らめく陽炎を、フニは呆とした表情で見つめていた。それは少女にはゆらゆらと漂う幻影としかわからない。けれど眺めていた青年には――。
――いなくなって清々したよ。
小生意気な弟はそう言って笑った。どうせ生きて帰って来るなんて有りえない。馬鹿な奴。ただ一人の肉親であるフニをそう散々に扱き下ろして、そうして弟は青年の部屋にあった物すべてを売り払った。何もかも無くなってしまった部屋に、唖然と立ち尽くす青年の後ろで弟と聞き慣れぬ女の声がする。
今日から一緒に暮らそう、二人で幸せになろう。……家族だと、思っていた。早くに両親を亡くしてからも力を合わせて生きてきた、大切な家族なのだとフニは一人勝手に思っていた。けれど真実は残酷で、弟にとって兄たる青年などただの邪魔者に過ぎなかった。
――いなくなって清々したぜ。
能天気だと思っていた友人はそう皮肉気に言った。小さい頃はともに遊び、成人してからも同じ仕事でともに日々の糧を稼いだ幼馴染みも、弟と同じくフニの無謀を酒のつまみと嗤う。大嫌いだったんだ。一人、友人はそうごちる。
いつだって己の前に立つ目障りで無神経な男、癇に障って仕方がなかった。いつもいつもいつも見下しやがって、と。……違う。声が届くのならフニはそう伝えたかった。そんなつもりは少しもなかったのだと伝えたかった。けれども喉元まで出かかったそれは、続く友人の言葉に飲み込まれた。まあ取り繕った甲斐はあった。これで仕事も安泰だ。商売敵がいなくなって良かったよ、と。
フニはもうどうしていいかわからなくなった。友人だと思っていた、何でも話せる幼馴染みだと思っていた。そう思っていたのは自分だけだったのか? すべて迷惑だったのか。十数年来、友人と考えていた相手に、己はただ苦痛だけを味合わせてきたのだろうか、と。もう何も見たくない、聴きたくない、知りたくない。けれど確かめずにはいられない。そして。
――いなくなって清々したわ。
ベットの上で大きくなり始めたお腹を撫でながら、たった一人の愛する貴女はそう言った。友人と一緒で、幼馴染みだった。ずっと好きだった。だから返事をもらえたときには涙が出るくらい嬉しかった。嬉しかったのだ。けれど、けれどそれも独りよがりだったのか?
フニは眼前の貴女を見ていた。幸せそうな顔。お母さんになるのだと微笑む、灰色になっても美しい貴女。だというのに何故、その隣に己はいない? どうして――名前も顔も知らない男が隣に寄り添っているのだ。どうして服を着ていないのだ、どうしてそんなに見つめ合っているのだ。どうして、どうして、どうして?
「ああ、あああ、ああああ! ……嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 嘘、嘘嘘、嘘だ……あああ、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ウソ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うソ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ウそ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそウソうソウそウそうソ嘘うそうそウソウソ嘘うソうソウそウそうそウソうソウそ嘘ウソ嘘うそ嘘うソ嘘ウそ嘘うそウソ嘘だぁ……ああああああ!」
フニの瞳は徐々に見開かれ、口元は次第に嘘だと嘯く。段々とそれは呟きの連続から絶叫に変わり、そして懇願へと終息する。喘ぐ青年を眺めることのなんと楽しきことか。シルバリオには青年がどんな夢幻を見ていたかはわからない。しかし予想はつく。青年は見てしまったのだろう。愛していた者達の、その、不義のすべてを。
「――まあ、勿論。〝嘘〟なんだけどね?」
平然とタネを明かすシルバリオの、どこか茶目っ気のある邪悪な声音さえフニには届いてはいなかった。青年はもう手遅れだった。白目を向きながら絶叫して床をのた打ち回り。何度も何度も額を腕を、力一杯床に叩きつけて自傷を繰り返す。その皮膚を掻き毟る爪も、ぶちぶちと引き抜かれ散らされる髪も、とうとう有らぬ方に折れ曲がった手首から飛び出た骨も、そのすべてが灰一色だった。
フニは塗れている。シルバリオが吐いた嘘という灰に塗れている。そして侵されていた。灰色に、嘘に、まるで不治の疾に罹られた狂人のように。そうして。遂に蹲って身動き一つしなくなったその姿は、――まさしく蛹のようで。
「うふふふふ、ああ楽しかった。ファフニール、……いいえフニ。貴方って本当に面白いわ。こんなに気分が良いのなんていつぶりでしょう。貴方って祭りの前座に出てくる道化みたいね。ねえ聞いてる? ……まあ、いいわ。わたし貴方のこと気に入ったの。だからコレクションしようと思うの。いいわよね? それじゃあ早速始めましょうか。ねえ――――〝変われ〟」
パチン、と。三度目の波動が響き、そして魔法は始まった。蹲るフニを中心に魔方陣が広がる。立ち上がり近づくシルバリオ。紡がれるのは呪いの言、追従するのは異形達の咆哮。
何一匹合うことのない舞が始まった。しかしそんなヒトガタの群に共通する想いは一つ。歓喜。そこに居合わせたすべての化物達が祝っていた。
ようこそ。ようこそこの仄暗き世界へ、青年という薪よいざ燃えろ。その肉体という枷を取り払い、さあ心のままに。ともに心の異形のままに生きようではないか!
そして。呼吸と対応するように微痙攣を続けていたフニの全身は、今度こそその動きを完全に止めた。沈黙。しかし次に瞬けば青年は脊髄に沿うようにぱくりと抜け殻の如く左右に割れ、中から異形は這い出てきた。
それは四足歩行する豚にも蟻にも見える異形に少し似ていたが、長い胴体には大きさの違う腕が八つ、足は表裏が逆についており足首から先は捻じれてまるで長針を連想させる。さらにでっぷりと張れた臀部には体毛が虎模様のように張り巡らされていて、その容姿は言うなれば蜘蛛人間とも表現できた。
一声上げた後に、青年の抜け殻のような死体を食らう顔もまたフニそのものであり、表情はまったく悲しそうなままに固定され異形は、自分自身だった死体を一心不乱に咀嚼する。
そんな狂気そのものといった光景を眺めながら、簒奪者〝解嘱の魔法使い〟シルバリオは満足げに嗤う。儀式の際に乱れた髪を手櫛で直しながら、少女は玉座へ戻る。覗く長耳、それが少女がまた尋常なる人ではないことの象徴であった。
斯くして。これが逃れられぬ因縁の、その邂逅を約束する契機となったことをシルバリオはまだ知らない。悲鳴のような声を上げながら身食いを続ける新たな玩具。いったいどう遊べば楽しいか。少女はまったく少女らしい表情で可愛らしく悩み――そして悲劇は幕を開ける。




