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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
黄金色の思い出
7/37

6

「冬を越したら、グメリンに行く」

 その言葉にネフェリンは、顔をあげて彼を見やった。

 一度言葉にすると、リヨンの胸に熱いものが込み上げる。

「やっと戦いに参加できる。父はなかなかお許しくださらなかったけれど、いつかは僕がこの国を率いていかないと」

 相づちもなく、意識を自分の思いへ向けるように、彼女は視線をそらせた。

 その横顔を一瞬眺める。狩りの話の時のように喜んでくれると思ったのだ。彼女の表情の影を、彼はまだ深刻にとらえなかった。

「あの一帯は僕たちの土地だった。父は自分の代で、グメリンの奪還を遂げたいと思っている。僕もそのために戦いたい」

 熱っぽい口調に、ネフェリンがゆっくり息を吐いた。それでようやく彼女の不満に気がつく。

 ネフェリンは良い言葉を探すそぶりを見せたが、二人の間にはすっかり不穏な空気が漂っていた。

 彼女の意見を待つ眼差しに負けて、ネフェリンは口を開いた。

「裕福な者の戦いにすぎません」

 その言葉にリヨンは、彼女と思いをともにできないことを知らされるのだった。

 彼の気を損ねかねない一言を口にしたことで、彼女自身、戸惑う表情を浮かべている。そこに他意のないことを察しても、リヨンに身を引く気は起こらなかった。

「国の誇りを取り戻すための戦いなんだ。裕福な者だけがこの国の民だというのか。貧しい者の心には、誇りはないのか」

「自尊の心は誰しもございます。けれどもあの戦いは、裕福な者のためにおこされた戦いです」

「どういうことだ」

 尋ねる声がつい険しくなる。

 ネフェリンは場の空気を落ち着けるように、ゆっくりと答えた。

「セウレウス家が多大な支援をされているとか」

「そうだ、だが、賞賛はあっても批判されることではない」 

「人は疲弊し、彼らは富みを得ます」

「金銭のための戦いだと言いたいのか」

 今度はリヨンが息をつく番だった。苛立ちを吐き出しながら言葉を続ける。

「そんなものの戦ではない。グメリン奪還は国の悲願だ。むしろ幾ら支払ってでも、われわれは戦う」

「そうでしょう、だから問題なのです」

 言い切った彼女の真っ直ぐな瞳を見返す。言葉を失くした一瞬を見計らったか、ネフェリンは続けた。

「セウレウス家は、国王様からお預かりしている以上の金銭を、供与されているのではないですか。それは、いつかお返ししなければならないのでしょう」

「それはそうだ、だが、」

「それでは、彼らの思う通りになってしまいます」

 遮って言ったネフェリンの口調は、いつになく強い。半ば言い聞かせるような切迫感があった。

「今に返済金で身動きがとれなくなって、セウレウス家の言いなりにならざるを得なくなります。戦いが長引くほど——」

「彼らのことを悪く言うのはよせ!」

 たまらずリヨンは声を荒げていた。

「国のために支援してくれているんだ。なぜそんな風に疑う」

「彼らは、コランタム国へも援助をしています」

 思わぬ言葉に彼女を見つめ返す。憤りの熱が冷めないままで、その眼差しは剣呑なものになった。

 ネフェリンに怯む様子はなく、視線をそらさずに言葉を次いだ。

「グメリンの酒保商人とつながって、武器や食糧を送り…」

 あとに続いた言葉を払うようにして、リヨンは厳しい口調で言った。

「それがあなたの家の見解か」

 琥珀色の瞳がじっと彼を見据えた。

「知らないのは、国王さまだけでございます」

 ふだん心を傾けている相手だけに、リヨンは感情が荒ぶるのを抑えることができなかった。

 その場を立つと、怒りの熱を込めて、忠告の言葉を口にした。

「父のことを悪く言うのは、いくらあなたでも許さない」

「悪く言ったわけではありません」

 ネフェリンもかけていた岩から立ち上がって、彼に向き直った。こういうことになると、互いに一歩も引けない。

「実際に父が、これから先は僕が、戦いの地に立つ。なのになぜ文句をつける。あなたはこの国を愛していないのか」

「愛し方が違うのです。命が失われる一方で、富める者がいます。このことを気に病むのは、愛しているゆえではありませんか」

「みな、国のために命を懸けているのだ。それをそのような疑念で挫こうとは、あなたは薄情が過ぎる」

 薄情という言葉には、本心が含まれていた。彼女の心は、リヨンの知る風景から少し浮いた場所にあって、それが彼女の奔放さに感じられる。しかし時にそれは、人の義理やしがらみに疎く、冷淡な印象を残すのだ。

 おそらく彼女が国を愛していると言っても、それは憎んではいないというだけのことであって、心に湧く熱意はないはずであった。

 その言葉の含みに気付いたか、ネフェリンの表情は曇った。

「そうお思いになりたいだけでしょう」

「力を尽くしてくれている人たちを、疑いたくない」

 頭を振ってみせると、ネフェリンは身を翻させた。着慣れない長衣の裾を持ち上げると、石肌の露になったごつごつの道を踏んで戻り始める。

 言い争いについて、謝るのは相手の方だという思いに揺らぎはなく、リヨンは彼女を呼び止めなかった。

 彼女の去った後を辿りながら、追いつかないようにのんびり歩く。しかし心は穏やかではなかった。

 彼女ならともに喜んでくれると思ったのだ。戦いの地に立ち、自ら兵を率いて敵に挑む。その栄光をあの輝く瞳で受け入れてほしかった。



 夜になり就寝用の部屋に戻ると、ある不安がリヨンの胸に忍び込んだ。

 頑固な彼女はこのまま顔も合わせずに、彼との別れを受け入れる気ではないか。

 次の秋の頃、喧嘩のあったことなど忘れたふりをして、ふたたび会うこともできる。しかし、ぎくしゃくとして向かい合えないかもしれない。何よりもこのような思いのままで、会えない時期を過ごすのは、彼には耐えられないように思えた。

 それでもリヨンは、自分が折れるべきではないと考えた。

 父の背負ったキリエス国を誇りに思う。彼女はその自尊心に、深い一差しを突き立てた。あの馬小屋の一件もそうだ。彼の聖なる場所に颯爽と風を吹き込む。そこに惹かれているのかもしれないが、翻ってそれは憎らしい時があるのだ。

 どのくらい夜が更けたか分からなかった。長い間、闇の中に身を横たえているうちに、もうひとつの不安が彼の心にわき起こっていた。

 伯父たちが起き出す前に、リヨンは邸宅の外に出て、向かい合う棟へ辿り着くと、木戸を叩いた。

 扉を開けた女中が、驚いた顔を見せる。しかし、何の用でやってきたのか、詳しく聞かなくても察しはついたようだ。

「まだ、お休みになっております。昨夜から体調を崩されていて」

 やはりと思う。昨夜そのことを思いついてから、平静ではいられなくなった。それから、ずるいと感じた。

 いつも彼女に負けまいと思うのに、彼女の体調のことで結局、自分が身を引くことになる。

 会えない日々に戻るまでに、この憂いを振り払って行きたかった。

「帰る前に一言、話しておきたいことがあるんだ」

 女中は困ったような表情を浮かべたが、迷った時間は短く、すぐに中に入れてくれた。

 奥から二つ目の扉と教わって、まだ薄暗い階段をのぼる。扉の前に立つと、これまでに抱いたことのない躊躇を覚えていた。

 女性は深く問わず入れてくれたが、伯父たちが知ったらどう思うのだろう。

 彼らは若くはあったが、もう子供ではない。ひとつの部屋にふたりきりでいることを、大人たちは何と見るだろう。その考えを追い払うと、リヨンは扉を押した。

 部屋はすでに雨戸が開いていて、早い朝の光に薄明るく満たされている。少女は寝台に横になって、まだ眠りの中にいるようだった。

 そっと近づいて、その白い面を見つめた。

 まぶたは固く閉じられ呼吸も荒いことから、彼女がおのれの中の熱と戦っていることが分かった。

 その熱に、彼女が奪い取られてしまうのではないかという思いに襲われた。それが考えすぎなのか、相応の不安なのか、彼には測れなかった。

 思えば彼女は、病弱な部分を決して見せようとしなかった。

 体力が弱いことを知っていながら、少女が自分自身と闘う姿を見るのは、彼にとって初めてのことだった。

 いつかシェネフ家の従士ゼオラが、彼に教えてくれたことがあった。

——お嬢様は、普段お体のことを顧みようとしませんが、秋の間は別なのです。

 夏が終わりを見せると、涼しくなる季節に配慮して、外に出るのを控えるのだという。

 客人の子供たちと喧嘩をした時、森で迷った時に、少女を助けに現れたその大男は、寡黙さがそのまま存在感となっているような喋らない男であった。

 しかしエピウゾン伯からの信頼も厚く、偏屈な娘も心を許している。そのシェネフ家の内情をよく知っている物静かな男が、何の気なしに言ったような一言だった。

 あの時は何となく聞いただけだったが、今頃その話が胸によみがえった。

 今朝方まで、彼女の弱さをずるいと感じていたことを恥じた。彼女はその弱さを盾にしたことは一度もない。それどころか、垣間も見せないように努めていたのではなかったか。

 彼女が見せまいとしたその姿は、むしろリヨンにとって目にしておきたいものだった。

 彼女をよく知っていたようで、そうではなかった。虚無とうつつを行き来する魂を、眺めて立ちながら、リヨンは心の動揺を感じていた。

 寝台の側に膝をつく。朝の淡い光に少女の頬が色を失って、白く浮かび上がっていた。

 その胸に置かれた手に、ふれたいという思いに駆られた。そうすれば、彼の祈るような思いが彼女に伝わるのではないか。彼女をこの地上に引き戻すことができるのではないか。

 それが友人を思う純粋な心から出た欲求だとしても、彼にはそれができなかった。

 手に手を重ねて、その熱を我がことのように感じたいと思っても、見とがめるものが他に誰もいなくても、その一線を越えることがどうしてもできないのだった。

 熱に苦しむ彼女を前にしても、何のひとつのこともできない。その焦燥に灼かれる思いで、しばらくの間リヨンは、その場に座っていた。

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