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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
黄金色の思い出
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3

 リヨンが伯父のナトロにより親しんだのには、いくつか理由がある。

 キリエス王ペタロの子リヨンは、父の再婚相手には懐かず、幼くからしばしば母親代わりだった伯母を慕った。

 伯母である王女グジアは二たび夫を失くし、三度目の婚姻相手がミュリナの公爵ナトロであった。

 新しい夫婦の間には子供がなかったが、公爵は後継を遠戚に譲ると公言してのんびり構えている。

 煩いごとから一歩身を引いて過ごす伯父の姿は、幼い王太子に窮屈な場所の空気を忘れさせてくれた。伯父の初めの印象からすでに、リヨンは彼を自分の兄と思って接することに決めたのだった。


 翌年も国いち華やかな町ミュリナを訪れた後、リヨンは伯父に連れ立って、秋の匂いの漂い始めた山道をエピウゾンへと向かった。

 渓谷の低くなった辺りに大きな橋が掛けられている。そこを通れば、シェネフ家の邸宅が姿を現した。歩みを緩めた先頭の馬を、屋敷の従者たちが出迎える。

 伯父について箱馬車を降りたリヨンは、挨拶を向けるシェネフ家の家臣たちへはちらりとも視線を向けなかった。それどころか、広間に通されてからも、伯父の後をついてまわって、他のことには興味がないそぶりで言うのだった。

「今年は狩りに連れて行ってくれるんでしょう」

 初めは聞き流していたナトロだったが、なかなか傍らを離れないリヨンに、素っ気なく返事を返す。

「屋敷にとどまるという約束でついてきたのだろう」

 あっさり指摘されて、リヨンは口ごもった。諦めずに言い返そうとした矢先に、広間の大きな扉が開く。

「ご挨拶なさい」

 家の娘にかけられた女性の声に、少年の心臓がはねあがった。おそるおそる振り返ると、扉の側に立つ蜜色の髪の少女が目に入る。

 リヨンは安堵と落胆を同時に感じながら、この秋の催しを待ち遠しく思う影に、シェネフ家のもうひとりの娘の存在があることを思い知るのだった。


 翌日の大人たちが狩りに行っている間は、世話役を命じられた家臣たちが、王太子の相手をすることとなっていた。シェネフ家の男のひとりが、遊び相手となる彼の幼い兄弟を迎えに出た間に、リヨンは外に出て西の庭にまわった。

 庭に座る大きな石の上に登ると、そこから見える二階の窓に向かって、小石を投げつける。円状の硝子をつなげた厚い窓の向こうに、小さな影がゆれた。部屋の中からこちらを見定めていたのか、少女はやがて窓を持ち上げて、隙間から外を見やった。

 わずかな間から姿を見せた少女と目が合う。リヨンは大きく腕を伸ばして、森の方を指し示した。約束だっただろ、と言わんばかりに。

 少女ネフェリンは彼の身振りを見ると、やがて小さな頭を揺らせて、窓向こうに姿を消した。

 ほどなく呼びとがめる声を振り切って、少女が裏庭へと現れる。友人の姿を認めると、彼女は何を告げるでもなく背を向け、邸宅の東へと駆け出すのだった。

 あわてて彼女を追って、リヨンも走り出していた。

 ネフェリンは庭を横切り、馬小屋のわきから森へと入った。木の葉の翳りに飛び込むと、踏みならされてできた森の小径を辿る。背後を振り返ろうともしない彼女の後を、はぐれまいと必死に追いかけた。

 病弱とばかり聞かされていたが、道に慣れているせいか少女の足は速く、リヨンは懸命に走らなければならなかった。

 しばらく行った先で小径をそれる。せりあがった岩の塊が現われ、そこが目的地のようだ。まさかと思っていると、ネフェリンは岩肌をよじ登り始める。その先に大きな楓の木があった。

 何の説明もなくどんどん先へ行く少女へ、リヨンは苛立ちを覚え始めていた。岩に登るなんて、どの大人が教えてくれる。しかし、少女にたやすくこなす姿を見せられると、その訴えは恥ずかしいことのように感じて、結局見よう見まねでリヨンも岩をよじ登ったのだった。

 ネフェリンは先に木の幹へたどりついた。

 低く垂れた枝に膝を掛けると、その上にはいあがって、太い枝にまたがる。振り返ってリヨンを待つ彼女の顔には、満足げな笑みが浮んでいた。

 彼の心に差していた不満の翳りは、その笑顔を向けられると、さっと散ってしまうのだった。

 彼にはまだ木の枝に登るという試練が残っていたが、それはもう不機嫌の種にはならなかった。幹の窪みに足を掛けて、這うように枝へと渡る。ようやくリヨンが背後へと辿り着くと、少女は友人の下手な木登りには何も言わずに、顔をそらせて枝の先の光景を眺め見た。

 彼女の視線の先を追ったリヨンは、眼下に広がる黄金色の森を目にしていた。辺りの静けさに、粗い呼吸で胸が上下するのを意識した。

 山を吹き下ろす乾いた風が、頬をなぜ、体の熱をぬぐい去っていく。不安定な枝の上で風景を眺めていると、遥かまで広がる紅葉の絨毯の上に浮いているような気になった。

 それが彼女の見せてくれた、森の秘密のひとつだった。

 遠くに山々の稜線が折り重なる。まだ少し緑の木を交えながら、山全体は金色に輝き、ところどころ深い赤がにじんだ。

 色彩の奏でから森の匂いがたちあがるようだった。

 ネフェリンは足をぶらつかせながら幹にまたがっている。風が渡ると、木の葉が擦れて音がたった。

 地平まで続く森のひとところに、ふたりは身をおいていた。草木の気配に包まれて、この広い森に、彼らだけが取り残される。遠くに鹿の鳴く甲高い声が聞こえた。

 沈黙に急かされて、リヨンは口を開いていた。

「伯父さんたちは、狩りに出てるんだ。本当はぼくも行きたかったんだけど」

 ネフェリンは背中越しにリヨンを見た。友人の顔に浮んだ未練をとらえて、ふたたび山へと視線を向ける。

「あの辺、」

 彼女が指差した先をリヨンは見やったが、山の峰が広がっているだけであった。

「あそこを越えると広い場所があります。たぶんそこにいると思う」

「へえ」

 紅葉の木々の少なくなるあたり、いちばん手前の山の稜線を眺める。あの向こうで、馬を駆けさせる伯父たちの姿があるのだろうかと、リヨンは目を細めた。

 眼下の林を抜ければ、第一の山頂までは、そう遠くないように思えた。さっき走ってきた道を往復するほどで、近くまでいけそうだ。

「あそこまで行ける?」

 尋ねると、ネフェリンの表情が曇る。

 そこまで行ったことのない彼女には、答えることができなかったのだろう。彼女の世界の果ては、この木の枝なのだった。

 それを悟られるのを嫌ったか、ネフェリンは彩りの薄い山頂の辺りへ、視線を注ぎながら答えた。

「行ける」

 振り返ったネフェリンは、リヨンと目が合うと言った。

「降りて」

 言われてリヨンは一瞬の戸惑いの後、這うように後退して幹を滑り降りた。

 伯父に合流できたからといって、どうすると考えがあったわけではない。彼女にとっての新しい世界にともに足を踏み出すことは、彼にとってもまた冒険心を必要とした。

 この森の姿を、彼女から教わるのではなく、自分の目で見ることができるのだ。不安を感じながらも、開拓への一歩は少年の心を高鳴らせた。

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