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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
黄金色の思い出
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1

 晩夏の朝の空気は、豊かな草の香りを連れてきて、遠路はるばるやってきた旅の疲れを忘れさせた。陽は高原の空にいよいよ眩しく、新しく始まる一日を祝福している。

 伯父について狩りに出られるとばかり思っていたリヨンは、大人たちの出かける間、シェネフ家の邸宅に預けられると分かって、がっかりした。

 若くて快活な伯父が聞かせてくれる狩りの話に魅了されて、ことあるごとに父に思いを伝えてきた。それが叶う日がようやくきたと思ったのだが、狩猟の同行は父が許さなかったのだという。

 代わりに北の高原には、ひとつの出会いが少年を待ち受けていた。

 その朝、彼らを迎えたエピウゾン地方の伯爵ネフェリオは、一通りの挨拶を終えると、背後に隠れていた少女の肩に手をおいた。娘は父の後ろにいて恥じらいながらも、興味津々に大きな瞳をこちらへ向けている。

 幼い娘をわざわざ客人の前に連れてきた伯爵に、彼なりの思惑があることを、少年が知るはずもなかった。

 狩猟を人生の楽しみとしている公爵ナトロから、領地への立ち寄りにキリエス王の長子リヨンが同行したがっていると聞いて、伯爵ネフェリオは彼に年の近い娘がいることを打ち明けたのだった。伯父がそれをどう聞いたか、リヨンには分からない。伯父ナトロは自分が関わった巡り合わせについて、後になっても言及することはなかったからだ。

 エピウゾン伯ネフェリオは、評判もよく人望も厚く、娘も父親に似ていれば美しいことは間違いない。ひょっとすると伯父は、慕いよる甥と幼くも美しい娘を引き合わせるのに、大人の意地悪に似た楽しみを抱いたかもしれない。それまで幼い甥の我が儘に耳を傾けて後は知らぬ振りをしていたのが、王が許せば連れて行っても良いと言い出したのだから。

 しかし少年の方は、異性との巡り会いに特別なものを感じるには、まだ幼すぎた。退屈な挨拶が終わるのを、今か今かと待っている。

「ネフェリア、ご挨拶しなさい」

「わたし、」

 父親に促されて、少女はやっとのことで自分の名前を口にした。

「ネフェリシェネイア・ミノー・シェネフです」

「おや、お嬢様は下の子ですか」

「上の娘は病弱でして、今日は部屋で休んでおります」

 伯のその言葉に、リヨンは顔を上げて邸宅の二階を眺めていた。明るい日差しを避けて、寝台にひっそり横たわる少女の存在が、陰りとなって彼の胸によぎった。

 すぐにこちらをじっと見る、妖精のようなその少女の眼差しに気づいて、視線を戻す。陽光が長い髪を蜜色に透かしていた。愛らしい少女であったが、少年にとって女の子とは、異なる世界に住む存在でしかなかった。

 挨拶がすむとリヨンは、少女へは一瞥も向けずに、ともに連れ立ってきた子供たちと東の庭の方へ走り去ってしまうのだった。



 午後になって大人たちが出発してしまうと、尾根にかこまれた高原の邸宅は静けさに沈んだ。

 リヨンと遠出をともにした二人の兄弟は、公爵の義弟で侍従の男の子供たちで、王太子の暇の相手として同行したのだった。

 屋外の遊びに疎いリヨンと違って、カルジャンとカルシスの兄弟は、さっそく邸宅の周りの探検に精を出した。

 年長のカルジャンは、まだ新しい友人への躊躇があったが、弟に命令を出して、親分のように振る舞っている。年下のカルシスは、見知らぬ土地と友人に表情を輝かせて、兄の指令にも元気よく従ってみせた。

 偵察からかえってきた弟によって、林には見張り番がいることが分かった。木々の奥への立ち入りを断念しなければならず、兄に渋い表情が浮ぶ。リヨンもまた、伯父たちは今頃、鹿や兎などのすばしっこい動物を追って野を駆けているのだろうかと思うと、不満がつのった。

 神妙な顔のふたりをよそに、カルシスの視線が馬屋の隅に注がれた。

 つられて視線をあげると、使用人の少年が、肥やしを積んだ荷車を運び出そうとしているところだ。水分を含んだ荷が重いせいか、小さな体で必死に荷車を押している。

 二輪は窪みになった芝との境をようやく抜け出した。

 おもむろに少年に近寄ったカルジャンが、荷車の端に足を掛ける。わずかに押しただけで、荷車は均衡を失って傾いた。

 少年は慌てて取っ手を押さえつけ体勢を保ったが、反動で跳ねた汚物が、悪童の衣服にかかってしまった。思わずあがった叫び声に、背後の二人は同時に笑い声を上げていた。

 さっきまで大将気分でいたカルジャンは、恥をかかされたように感じたのだろう。憤りの形相で少年へとにじり寄った。

 その不穏な気迫を感じてリヨンは笑顔を失くした。だが、隣のカルシスは成り行きを面白がるように、兄をからかっている。それでリヨンもつい口をつぐんでしまうのだった。

 身を強ばらせた少年の肩をカルジャンの手がつかんだ時、別の方向から声があがった。

 一同がその姿を認めるより早く、小さな人影が、向かい合った二人の大柄な方へと飛びかかる。一瞬の怯みからカルジャンの反撃は遅れた。だが体格の差があって、割って入った子供は、地面に簡単に押し倒されてしまった。

 離れて立っていたリヨンも、森から飛び出してきた白い影の正体に釘づけになった。今朝エピウゾン伯に紹介された娘を、妖精のようだと思った、その印象をふたたび思い出していた。

 身を起こした子供は、自分より体格の大きな少年へと顔を向けた。淡白色の明るい髪が、透けるような肌にかかっている。取っ組み合ったために、短い髪は乱れていた。

 地に身を預けてもなお、その眼差しは厳しく相手をにらんでいた。挑む目つきを見下ろしながら、カルジャンは脅かしを含めて、ゆっくり言葉をかけたのだった。

「おまえ、何をやったか分かっているのか」

「分かってる、あんたたちが何をやったのかも!」

 見下ろす少年は、驚いた顔になった。たかが子供の使用人をからかったくらいで、咎められるのは心外である。その警告を聞き流して、カルジャンは口を開いた。

「分かってるんなら謝れ」

「謝るのはそっちだ、人をいじめて恥ずかしくないのか」

 立ちすくんでいる少年をちらりと見やって、カルジャンは言葉を返した。

「人じゃないぞ」

 違う、と声を上げて、子供はなおも引くところを見せない。

「神様の前ではみんな同じだ」

 カルジャンは息をのんだが、見る見るうちに頬を上気させると、荒げた声で言った。

「ぼくとこいつが、同じだというのか!」

「分からないなら、もっと悪い!」

 そこまで言うと、口論の様子を遠巻きに見ていた二人へと、視線をなげる。

「あんたたちもだ!」

 突然、批判の先を向けられてリヨンは驚いた。顔をあげてこちらを見たカルジャンの表情が目に入る。彼はともに戦う仲間を待っていた。

 その批判は不本意でしかない。この遠縁の少年がもう少し度を超せば、きっと止めに入っているに決まっていた。

「ぼくは何もしてない」

 片手を広げてみせてリヨンは言った。

「見て見ぬふりはより罪深いんだ、あんたたちみんな自分の行いを恥じるべきだ!」

 咎められて、リヨンは頬が熱くなるのを感じた。

 敬われるべき両親の間に生まれ、今日まで一度も人に恥じるようなことをした覚えはない。その彼に面と向かって、罪だ恥だと糾弾するのだ。

 リヨンは己に降り掛かった曇りを払おうと、怒りの混じった息を吐いた。

「今の言葉を取り消せ」

 手をついていた体勢から身を起こすと、子供は声を張って返した。

「取り消さない!」

 身のうちにわき起こる熱を抑えられずに、少年は細く小柄な子供の前へと歩み寄った。

「取り消すんだ!」

 彼の隣にいたカルシスが、歩幅を進めて子供の腕をとる。それに応じて、リヨンも相手の胸ぐらをつかんで引き寄せた。

 にらみつけようとした矢先に、頭突きが飛んでくる。目の下に衝撃を感じて、半歩後退したリヨンに代わって、左から飛んできた拳が、子供の顔を殴打した。反撃の火ぶたが切られたかと思われたその時に、邸宅の方から声があがった。

 彼らは一斉に叫び声の方を振り仰いだ。

 体の小さな子供を三人が取り囲んでいる。遠目に見られて分が悪いことが、少年たちにも予感としてよぎった。大人たちをどう言いくるめるがいいか、知恵を巡らせるより先に、彼らは息をのんでいた。

 悲鳴を聞いて数人が表に出てくる。その中からひとり、筋肉の塊のような大男が、猛烈な勢いでこちらに突進してきた。さすがにまずいと、リヨンと二人の兄弟は、飛び退くようにして子供から離れたのだった。

 男は三人には目もくれなかった。驚いて突っ立ったままの子供の前で仁王立ちになると、次に屈んで腰から腕をまわし、持ち上げた体を屈強な肩に乗せる。抵抗して肩の上で奇声をあげる子供を、大きな手で押さえながら、男はわずかに頭を下げてみせた。

 あっけにとられたままの少年たちに背を向けると、なおも暴れ続ける荷物を担いだまま、邸宅の方へ戻っていく。

 入れ替わるようにして、使用人たちが走り寄ってきた。

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