〜御園鈴の場合1〜
別に彼女はイジメで死ぬほど辛い目に合わされたわけではない。
恋人に振られての傷心からくる願望でもない。 まぁ、恋人が出来るほどの器量はない、と言うのが正しいがそれもあまり関係ない。
ただ単に、“生”に対する執着が無く、故に死に対する恐怖はあまりにも薄かった。
ただなんとなく、今のまま、完成状態で終わるのも一興かな、と思ったのだ。
四、五階程度の建物での飛び降りは無様に生き残る可能性があると知る彼女。
そんなわけで二十階もある高層ビルを選び、その屋上の縁でただ一人風に身をまかせていた。
意識的にではなく、あからさまにではなく、自然に、何気なく下を見下ろす。
地球の引力に吸い込まれそうな錯覚と酩酊感を覚えるが、不思議と恐怖感は無かった。
『ん……さてどうしたものか。お前さん自殺すんの?』
彼女以外誰もいないこの屋上に、不意に明後日の方から浸透感のある中性的な声が響く。
その声の主を見つけようと彼女は辺りを見渡すがやはり誰もいない。
「……ただの幻聴かな」
自分が出した幻聴という答えに納得したのか、彼女の意識は当面の目標に戻っていく。
深呼吸一つ。そして履いていたローファーを片足づつ丁寧に脱ぎ、綺麗に並べる。
この行為にも意味はない。自殺前に靴と遺書を揃える、という日本に浸透している行為を思い出しただけにすぎない。
ただし彼女は遺書までは用意しなかった。世界に言い残す言葉は微塵もないのだから靴を揃えるという行為だけで事足りた。
『いや、待てって』
またも声が響く。
間違いなく彼女以外の存在が在ることを証明する声。
やや困惑しながら辺りを見渡すが、周囲には誰もいない。
「いや、上も見ろって」
「!?」
思わず体が固まり驚きの声さえ出なくなる。それも当たり前だった。鉄の塊が空を飛ぶならいざ知らず、生身の肉体が何の機械も無くホバリング──空中停止ができるわけ無いからだ。
「っ…………舞空術?」
ボソリと呟いたそのあまりにも間抜けなボケに、彼は器用にも空中でズッコケてみせるという妙技を披露した。
「いやいや…人の死、黒い衣裳、あまりにもありえない状態、と言えばわかるだろーが」
「まさか………死神?」
「正解正解♪非常に物分かりのいい娘だねぇ。」
その彼の軽い発言に対して彼女は目を細めた。
それもそのはず、幾ら黒い衣裳といってもこのイケイケな──胸には髑髏をあしらったペンダントトップ。黒のインナーの上に黒のライダースジャケットを羽織り、黒のジーンズを穿きこなすといった衣裳──格好から死神を連想しろ、と言うのは少しばかり無理がある。
「…まさかと思うけど…フード付きの黒いローブを身に纏って、髑髏の仮面を被りつつ大鎌を振るう姿を期待してたかい?」
「…うん」
『……………』
しばし静寂が二人の間を支配する。
唐突に、彼は清々しい程の笑みを浮かべ─爆笑した。
「っはっは!!っくっくく…今時そんなベタな格好で…くっくく…更に“黒色”を選ぶやつなんざ死神界の絶滅危惧種だっつの!っはっはっは!」
ふと、彼女の頭に疑念がよぎる。彼は先程なんと言ったか?確か“人の死、黒の衣裳……が死神”と言ったはずである。そうなると導きだされる答えは只一つだ。
「つまりあなたが絶滅危惧種で、厳重管理課の下において保護されるべき貴重素体…というわけ?」
死神に対して臆することもなく冷ややかな眼差しを送りながら、尚も的確に言葉を発する彼女には間違いなくツッコミの属性が付加されていた。
「がっ!?お前…御園鈴<みそのすず>ってやつは嫌な女だな。細けぇ事覚えてやがる」
「ふん。“死”を食い物にする死神が人を“嫌な奴”だなんて……世も末ね」
あまりのことに絶句し、しばし放心してから彼は言い放つ。
「知らんのか?死神は慈愛に満ちた神様なんだぜ?俺等の顔見るたび不幸だと人は口を揃えるが、言っちゃえば俺等は四つ葉のクローバーだぜ?むしろ俺らに遭遇せず、死天使に葬送されるほうがよっぽど不幸ダッツの!」
らしくない格好で、軽めな発言で言われてもいまいちピンと来ない。大体私は死ぬんだと、邪魔しないで欲しいと鈴は心底思った。
「まあいいさ。死ぬ前にいーもん見せてやる」
彼女の腕を強めの握力でグッと握り締めて、空に躍り出る。彼は彼女をどこに連れていこうというのか。
二人の体は水中を泳ぐように、空に放たれた。
いやだから、死なせてよ??
そんな彼女の思いもどこ吹く風、彼はさらりと自分をアピールする。
「ああ、自己紹介が未だだったな。俺は──俺の名はゼロ、しばしの間よろしくな」