「一目ぼれした」と他の女に走った婚約者、今更何なの?
「リリナ。好きな人が出来たんだ」
久しぶりのデートでアヴェルが突然、そんな事を言いだして心底驚いた。
ちなみに私達は婚約しており、一か月後には正式に夫婦になるはずである。
「好きな人?」
「そうだ。ルイーズだ」
「えっ?それって、ネディン子爵令嬢の事?」
「ああ。彼女に一目ぼれした」
「待って。彼女はジルベールの婚約者でしょう?」
もっと先に言うべき事もあるだろうに、飛び出した言葉はそれであった。
ジルベールとは私やアヴェルの友人であるコレット伯爵令息の事だ。
「アイツに婚約者だって紹介されたんだが、彼女を見た瞬間生まれて初めて胸が高鳴ったんだ」
なら、私に言ったセリフはなんだったんだ?
トーティア子爵家の三男であるアヴェルとオーディナル子爵家の次女たる私が婚約したのは12才で彼が十五の時だった。
同じ子爵家同士の婚約。妥当なところではあるが、当初父は私を現王太子の側妃にする事を目論んでいたためアヴェルとの婚約には難色を示していた。
それでも、話がまとまったのは、
「リリナに一目ぼれしたんです。彼女を一緒幸せにします」
アヴェルが父にそう断言したからだ。
あれから、五年。
「リリナ。別れてくれないか」
「はあ?」
思わず、令嬢らしからぬ声が漏れたが、それは仕方のない事だ。
「何を言い出すの?」
声は震えていた。
確かに婚約はアヴェルからだったが、穏やかに愛を育んできたつもりだった。
「ルイーズの方も俺に気があるんだ」
「ちょっと、何を考えているの?」
「俺達は一目見た瞬間に惹かれあったんだよ。ジルベールにもその内話す」
私はさらに鈍器で頭を殴られたようなショックで言葉を失った。
駆け巡るのはこれまでのアヴェルとの思い出だ。
「リリナとなら素敵な家庭を築けるだろうね」
「ふふ。ありがとう」
そうやって、笑い合ったのは偽りだったのだろうか。
宮廷騎士団に所属する彼は怪我が絶えなかった。街に被害をもたらしたモンスター退治に駆り出されるたびに増えていく傷に胸を痛め、何か出来ないかと治癒の魔法を会得もした。
今だって、彼の腕に出来た傷を癒している途中である。
その手は思わず止まる。
「アヴェル。話はついた?」
何が起きているのか理解が追いつかない中、突然彼の部屋の扉が開いた。
立っていたのはまさに話題の中心となっているルイーズだ。
彼女はアヴェルの傍らにまるで長年連れ添った恋人のように寄り添った。
「ごめんなさい。リリナさん。私達は愛し合ってるんです。だから、身を引いてください」
この女は何を言っているんだと叫びたかった。
だが、出来なかった。
心変わりしたんだと言われたらそれまでだったから。
その言葉だけは聞きたくなかった。
アヴェルとのこれまでを否定されたくはなかった。
それほどに私は彼の事が好きだったのだと思い知らされる。
「彼の治癒はこれまで通りおこなってもらって構いませんよ。リリナさんは優秀な治癒師でらっしゃいますものね」
「ああ。そうだな。リリナに治癒してもらうと調子がいいんだ」
今まさに私に別れを告げた口で何を言い出すんだ。
穏やかに笑うルイーズという女の真意も分からない。
すべてが気持ち悪かった。
「……そう。でも、それはお断りします」
「リリナ?」
「治癒師なら他にもいるでしょう。失礼します」
こみ上げる涙をこらえて、私はトーティア子爵家の屋敷と飛び出した。
どうやって帰ったのかも覚えていない。
その日は自室で泣いた。
「いいのよ。リリナ。思いっきり泣きなさい」
姉の優しい言葉が胸を打つ。
「トーティア子爵家め。今までどれだけの支援をしてきたと思ってるんだ」
「あなた。即刻、すべての魔法具の返還を要求しましょう」
扉の向こうで父や母がアヴェルへの怒りを爆発させる中、我が家がトーティア家に多額の支援をしている事を初めて知った。
トーティア子爵家は戦に特化した魔法を受け継ぐ一族であったけれど、長い歴史の中でその力は失われつつあるらしい。それを補うために目を付けたのがオーディナル子爵家が長年集めてきた貴重な魔法具達だ。それらは私とアヴェルの婚約を機にトーティア子爵家に駆り出されていたのだ。家族になるのだから、構わないだろうという理由だったそうだが、アヴェルが婚約破棄したのだ。もう、貸し出す理由はないと言う事だろう。
だからって、私の心は晴れない。
それから数日後。まだ、心の傷が癒えぬ中、屋敷を訪ねてきたのはジルネディンあった。彼の顔色は悪い。おそらく、ルイーズからアヴェルとの事を聞かされたのだろう。
「君がどうしてるかと思って。大丈夫かい?」
「それはジルベールも同じでしょう?」
ジルベールはアヴェルと同じ歳だが、私は飛び級で魔法学園に入ったため彼とは同級生であった。
「まさか、あの二人が恋に落ちるなんて。俺はなんて間抜けなんだ。すまない。リリナ」
涙をにじませるジルベールに彼がどれだけルイーズを思っていたのか手に取るように分かる。
「謝らないで。悲しいのは貴方も一緒でしょう?」
「お前はいつだって優しいんだな」
「今は泣きましょう。私達にはそれぐらいは許される」
聞いた噂によると、アヴェルはトーティア子爵家から怒りを買い、家を追い出されたそうだ。だが、愛するルイーズも一緒なのだから彼は幸せなのだろう。
そして私の元にはジルベールは足しげく訪ねてくるようになった。最初は傷をなめ合うだけの関係だったのかもしれない。だけど、半年ほど経つとアヴェルの事も頭の隅に追いやる事が出来るようになった。
ジルベールはお茶を入れるのが凄くうまかった。
「リリナの作るお菓子に合えばいいんだが…」
そういえば、アヴェルは甘い言葉を囁いてくれたけれど、贈り物をしてくれた事もこうしてお茶を入れてくれた事もなかった。
常に私が焼いた菓子を食べるだけ。
「ありがとう」
久しぶりに胸が温かくなった気がした。
こうして、ジルベールと同じ時間を共有するこの瞬間が何よりも大切だと思う自分に驚いた。
「なあ、俺達付き合わないか?」
「えっ?」
ジルベールの突然の申し出に驚いた。
それでも不思議と嫌ではなかった。
「言っておくがこの先も傷をなめ合おうと言ってるんじゃない。ルイーズも大切だったという気持ちは今もある。だが、それ以上にリリナとのこの時間に幸せを感じているんだ」
「その気持ち分かるわ。私もこの関係を続けたい」
「嬉しいよ」
こうして、私はジルベールと愛を育む事にした。
そして、彼との何度目かのデートの最中、現れたのは…。
「リリナ」
「アヴェル?」
数か月ぶりにみるアヴェルは痩せ焦げていた。
「頼む。リリナ。俺の傷を癒してくれ。全然治らないんだ」
アヴェルの腕には無数の傷が刻まれている。
「ジルベール!」
アヴェルの背後から現れたのはルイーズだ。
「ひぃっ!」
「げっ!」
アヴェルとルイーゼはお互いを汚物でも見るように眉を顰め合う。
愛を誓った二人とは思えない。
「どうしてアンタがここにいるのよ」
「お前こそ。近寄るな」
「そっちこそ」
手で払いのける仕草をするアヴェル。
「ああ。リリナ。お前はいつだって綺麗だな」
アヴェルは私に縋りついてくる。
「一体何事なの?」
「この女といると傷が治らないんだ」
「こっちこそ、アンタといると魔力が下がるのよ!」
罵り合う二人。その瞬間、アヴェルの腕の傷がなぜか深くなっていく。
「貴方達、もしかして反魔法体質なの?」
反魔法体質とは特定の人間の魔力に拒否反応を起こす人達の事だ。
要するに魔力の相性が悪いのである。
近くにいるだけで体調が悪くなったりすることで知られている。
アヴェルの場合は傷の治りが極端に遅くなり、ルイーゼは魔力が下がる現象に見舞われているのであろう。
「そうよ。私達は一緒にいちゃいけないの。だから、ジルベール。私を助けて」
ルイーゼは涙を浮かべながら、ジルベールを見上げる。
「リリナ。そう言う事だから、また以前みたいに愛し合おう」
こいつらは一体何を言っているんだ。
こんなに馬鹿だったとは思わなかった。
思わずため息をつきたくもなる。
「本当に今さら何なの?断るに決まってるわ。反魔法体質者同士が近くにいなければ、治癒の速度も通常になるはず。私が貴方の婚約者に戻る理由にはならないわ」
「そんな事言わないでくれ。ルイーゼと暮らし始めてからお前との時間がどれだけ幸せだったのか身をもって知ったんだ。俺が悪かった」
懇願するアヴェルを前にしても心は動かない。
「見苦しいぞ。アヴェル。リリナは今、俺の婚約者だ」
ジルベールは私を優しく抱き寄せた。
それだけで胸が温かくなっていく。
「奪ったのか?」
「最初に奪ったのはお前の方だろう」
ジルベールは怒りの形相でアヴェルを見下ろす。
「ああ、やっぱり私の事がそんなに好きだったのね。ごめんなさい。ジルベール。もう、貴方の事しか見ないから。ねえ?」
「冗談だろ。ルイーゼ。お前はアヴェルを選んだんだろう。ならば、その愛を貫け」
ジルベールに促されて、私達はその場を後にしようとする。
だが、その足は少しだけ止まった。
「アヴェルがルイーゼさんを好きだと言った時、心底傷ついたの。好きだったから」
「リリナ…」
「でも、今は違う。私の心を癒してくれたのはジルベールよ。貴方じゃない。もう、その顔も見たくないわ」
「ああ。そんな冷たい事言わないでくれ」
「くどい!私の事を思ってくれるなら、身を引いて頂戴。私はジルベールが好きなの」
ジルベールはリリナの腰に回した腕をさらに強くする。
「そう言う事だ。お前達が付け入る隙は無い」
その言葉を聞き、アヴェルはその場に力無く蹲った。
ルイーゼはジルベールの腕にしがみつこうとするが、その鋭い目つきに動けず立ち尽くすだけであった。
そうして、今度こそ私達はその場を後にする。
その後の話ではアヴェルとルイーゼは別れたらしい。
だが、彼はトーティア子爵家の許しを得る事は叶わず、後ろ建てのない状態で騎士として今も活動している。だが、その心にはずっと後悔がくすぶり続けている事を私は知らない。
なぜ、ルイーゼに惚れたのか。
あのまま、リリナと結婚していたら自分は今よりもずっと幸せだったのにと思いながら、今日もモンスターを狩り続けている。
一方、ルイーゼは、ケチが付いたと両親からネチネチと小言をいわれて、耐えられなくなり、家を出てかなり年上の公爵の愛妾になったそうだ。
そして、リリナはこの度、無事にジルベールと結婚するに至る。
「あら、怪我してるの?治しましょうか?」
「いいよ。これぐらい。俺は君が隣にいてくれるだけで癒されるから」
「そうなの。ふふっ!」
コレット伯爵家の屋敷は平和である。




